加茂岩倉遺跡を出て、高速で松江に戻る。城脇の駐車場へ入れ、堀川めぐりの屋形船最終便に間に合った。
屋形船といっても屋根があるだけの開放的なものである。風は冷たいが、船には炬燵がある。長い特注のこたつ布団のかかったやぐら炬燵だ。船頭の手慣れた解説付き、船頭は歌まで歌う。種々の鳥がいたがカワセミも見た。ラッキーだったらしい。
屋形船の屋根は低い橋の下を通るたびに下方へ畳まれる。乗客はこたつに頭を接するまで下げてやり過ごす。話に聞いたことはあったが、本当だったのだ。
天守の見えるスポットでは完全な逆光。
折角だったから松江城にも上りたかったが、時間的に無理だ。
松江の城下は堀尾吉晴が造ったのだという。鎌倉時代、出雲には佐々木氏が守護として入った。その系統の京極氏が守護をしていたが、戦国時代尼子氏が乗っ取る。尼子は毛利に敗れ、関ヶ原の後、堀尾氏が出雲に入る。当初入場したのは尼子氏の居城だった月山富田城だった。安来の南の方だが、完全な山城のようだ。堀尾吉晴は平城の周りに武家・町民の住む城下町を欲した。水運の便と平地があることをみての立地だったのだろうが、宍道湖と中海の間の低湿地の開拓は容易ではなかったろう。
ホテルに向かい渡ったくにびき大橋から東の方に大山が残照を受け白く輝いて見えた。