雲津から高い橋を渡り境港へ出、中海の砂洲が広がったような島を通り、松江方面に戻り、宍道湖の北辺を走り出雲市へ向かう。湖岸道路はいささか単調だ。
出雲大社は宍道湖が果てた後さらに西へ距離がある。事実上出雲の西端、ここが古代出雲の中心だったとは思えない。私にはやはり風土記の丘付近、東出雲の方が中心だったと思えるのに、大国主が国譲りに際し、高い社を築き祭れと言ったのはここだったのか?長い参道、行きかう人々、ここは観光地だ。だが昨今どこの観光地でもかまびすしかった外国語の響きは聞こえず、それらしい人も見かけない。新型コロナウイルスと呼ばれる中国武漢発祥の疫病の影響らしい。古来疫病は人の行動を変える。
参道はいったん上がって下る。正面に山が見える。あの山が本来の御神体だろうか。
大社本殿前には大きな円形が描かれている。発掘された神殿柱跡を示すものだ。巨大な神殿があった証拠だという。この関係の資料が古代出雲歴史博物館にあるはずなのだが、あいにく改装で休館中だ。あらかじめネットで判ってはいたが、来ればやはり悔しい。
出雲そばの店で昼食を摂るも不味かった。
旧大社駅へ寄ってみる。
天気はすっかり回復し、春の日差しが満ちている
かつて山陰本線から大社線という支線が伸びていた。その廃止後も駅だけ記念に残されている。木造平屋、特異な屋根だが中はハイカラ。
プラットフォーム、線路にも降りれる。踏板に兎の意匠。
SLも保存されている。
雲南市、加茂岩倉遺跡へ向かう。道がよくわからなかったが、何とか行き着く。
駐車場に銅鐸を模したものがある。
この遺跡は平成になって銅鐸が37個一括して発見された。現在の所、最大数を誇るが、銅鐸出土遺跡はよくわからない。古墳とか住宅趾とかではないところから出てくる。これまでも開墾などで発見され、そのまま取り出されたことが多いため出土状況がよくわからいことが多かった。ここも農道整備のための工事で見つかったのだが、すぐ文化財担当者が呼ばれ、考古学者による発掘がされた遺跡だ。
駐車場から遺跡とガイダンス建物へと歩く。いい春の散歩となった。途中から木道を上がる。山陰は雪が残っていた。
ガイダンスから遺跡遠景