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日本三大財閥の社長会:三菱(金曜会)、三井(二木会)、住友(白水会)

2024-07-21 09:50:38 | 日本の企業・世界の企業、ビジネスマン、技術者

現在、日本の三大財閥は、売り上げの大きい順に言えば、三菱、三井、住友が筆頭に挙げられます。 私は、歴史のある順に、住友、三井、三菱とよくいっていますが。
三大財閥は、それぞれ会長・社長会を持っています。

 

三菱財閥は『金曜会』で、月一回第二金曜日に例会が開催されることから、金曜会と呼ばれています。 金曜会が行われるのは、三菱商事本社ビル21階で、撰用エレベーターしか行けないその階には接客用の応接室やバーが併設されたサロンや広々としたホールがあり、金曜会はそのホールに細長い円卓が置いてあり、行われます。

金曜会の例会は正午に始まり、昼食が供された後で、親睦会や講義などが1時間半くらい行われます。会の目的はあくまでも、「三菱グループ企業の社会的信用の維持・向上」「三菱の文化財の維持管理」「政治経済、社会問題などの研究・調査」などです。

 

三井財閥は『二木会』で、月1回第二木曜日に定例会が開催されることから、二木会(にもくかい)と呼ばれています。

 

 

住友財閥は『白水会』で、月1回定例会が開催されています。 白水会の名称のいわれは、説明すると少し長くなりますが、住友家の先祖・忠重(ただしげ)が父の姓名(須見友貞:すみともさだ)を合わせて「住友を名乗ったのが始まりです。 

 

忠重の子孫・住友若狭守政俊は、織田家の武将・柴田勝家に仕え、越前丸岡に城を構えますが、賤ケ岳の合戦に敗れて殉死。 

そのため、政俊の孫・住友政友(まさとも:1585~1653)は京都に落ちのびて町人となり、『富士屋』という薬屋・出版業を営むも背を開きます。 これが住友家の事業の出発点です。 政友の姉婿-蘇我理右衛門(そがりえもん:1672~1636)は、『泉屋』を名乗る銅商でした。

理右衛門は、南蛮(欧米)人のハックスレーから「南蛮吹き」という粗銅から銅と金銀を分離する技術を学び、巨利を得ました。

『屋号』のいわれは、ハックスレーに「白水」と当て字した後、上下合わせて『泉』とし、『泉屋』となったのです。



三井の『二木会』、住友の『白水会』の定例会の目的は、三菱の『金曜会』とほぼ同じです。



GHQによる財閥解散、そして財閥が商号の使用禁止が昭和25(1950)年1月に出され、三菱、三井、住友の三社が協力して、時の吉田茂首相や岸信介(清話会の源流)らに直訴し、財閥称号禁止令の解除を強く求めますが、ご存じ吉田茂、岸信介はご存じのように、GHQに尻尾を振り、売国側の政治家なので、どうにもなりません。

 

ちなみに、日本軍を解体したのが岸信介政権で、日本の安全保障をアメリカに依存するようにしたのが日米安保条約です。安全保障を握られた日本は、以後なにをするにもアメリカの言いなりの属国となりました。

 

しかし、時代の変化が味方し、昭和24(1949)年に中国で毛沢東による独裁共産主義国家が成立し、昭和25(1950)年6月から始まった朝鮮戦争で、アメリカは日本を共産主義の防波堤にすべく、日本の巨大な力を持つ財閥の力を必要とし、昭和27(1952)年4月のサンフランシスコ講和条約で、同年5月7日に財閥商号の使用禁止は解除され、日本の財閥は復活することができたのです。

 



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