午後7時、英国海軍のヘリコプターがバーダム基地の芝生の上でエンジンを始動した。マウントバッテン卿を乗せてプロペラが回り浮上した。見送りは敬礼よりも手を振る者が多く賑やかだった。マウントバッテンはいつも、彼の部下たちからこうした打ち解けた見送りを受ける事が多かった。クリストファーはヘリコプターからそれ程遠くない所に立って、静かに見送った。ヘリコプターに乗る直前に、マウントバッテンはクリストファーを側に呼び、「これからのお前の仕事がとても厳しいことはわかっている」と言った。「だから、俺はお前が部下を少しでも動かしやすいようにしておいたよ」「ありがとうございます」、部員たちが手を振った。「後は頼んだよ」とマウントバッテンは言った。しかし、それ以上の説明はなかった。マウントバッテンの約束は、何か良いことには違いなかったが曖昧だった。 ------------------------------------------------ 最初、クリストファーは肩章の金モールがいつもよりほんの少し光っているのかなと思った。しかし、注意して見ると中佐の三本の飾条が四本に増えていた。大佐である。彼はジリーに向き直った。「おい、誰がこんな事を洒落だと思っているんだ」別の女性が答えた。「洒落ではありません。大佐。これは本当のことです」クリストファーが扉の方を見ると、ジャマイマが立っていた。「莫迦なことを言うな」とクリストファーは怒鳴った。彼は真面目に怒っていた。「俺は大佐じゃない」「”ロンドン・ガゼット”は貴方を大佐だと思っています。彼女は ”ガゼット”を差し出した。王室と政府の公報である。他の記事もあったが毎日の軍関係の昇進、任命、叙勲が掲載されている。”ネービー・リスト”と共に英国海軍士官のバイブルだった。クリストファーは自分の名前とその進級を読んだ。やっと、彼はマウントバッテンの言葉の意味がわかった。---「俺はお前が少しでも動かしやすいようにしておいたよ」勿論、マウントバッテンはクリストファーの不安や鬱屈した思いも知っていたのだ。そして、彼はクリストファーの自信をかき立て、個人としても司令官としても気分を新鮮にさせて、”M”セクションを活気づけようと考えたに違いなかった。 ---------------------------------------------