怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

ドイツ人を超えたりす

2013年05月05日 | 義母
義両親と買い物に行ったとき、ラザニアを買おうと思ってスーパーで探した。
最初に入った店では1パック500グラム入りパッケージの品が1ユーロ79セントだった。数ヶ月前に同じ量の品を1ユーロの特売で買った私には少々高く感じた。
私が躊躇していると義母が「早くカートに入れなさい!」と急かした。
「ちょっと高いです、隣のスーパーと比較します」と私は答えた。
義両親たちが支払いを済ませている間に、数十メートル離れた隣のスーパーでラザニアを探したら、同じ量のものが1ユーロ19セントだった!私は3個掴むと喜び勇んでレジに向かった。60セントの差は大きいではないか!
義母に報告すると、彼女は驚きの一言を発した。
「それは倹約ではなく、しみったれです」
ええ?そ、それはないでしょう??
夫が日本で暮らしていた頃、やはり隣あったスーパーでよく値段を比較して買い物をした。
そのスーパーは隣と言っても大きな道路で隔たれていて、客は店の二階から歩道橋で隣へ行き来できるようになっていた。
食品売り場は地階と一階で、今回ラザニアを比較したスーパーの距離とは雲泥の差だった。
夫(当時は夫じゃあなかったが)はその距離をものともせず何度も行き来して安いほうを買ったものだ。
私は彼について歩く体力がなく、座って待っていた。ドイツ人の倹約ぶりのその実際を見せ付けられていた気分だった。
こうした記憶があるから、私は間違いなく義母に褒められると思っていたのに!

「ドイツ 倹約 節約」などの語句で検索するとたくさんのサイトやブログが出てくる。
また、書籍でもそのようなタイトルのものが多く出版されている。
実際、ドイツ人と毎日暮らしていて、または周辺の様子を観察していて、特に日本の生活より節約や倹約に優れた能力を発揮していると感じることは少ない。
生活そのものに対する感覚の違いもあるだろうが、ムダかなと思われるやり方も多い。
たとえば過剰な暖房。
ウチでは灯油暖房と更に薪暖房を併用している。薪は親族からのもらい物だからタダなのだけれど、薪作りにかかる労力などを考えると明らかにムダだし、環境を考えてもあまりよいものとは思えない。
深夜には暖房は止まるシステムになっているのだが、トイレや浴室は24時間、しかも夏季も暖房しっぱなしである。
水周りが凍りつかないように(古い時代の家屋はおそらく水周りが凍ったと思う)という意味もあるのだろうが、それにしてもやりすぎではないか、と私は感じたものだ(次第に感覚が麻痺してくる・・・)
また、明らかに暖房過剰の家もあるらしく、物を届けに行った先の家の人たちが真冬に半袖シャツで過ごしているのを見たときは以前読んだ書籍の知識と同じであることを確認した気分だった。
公共施設では誰もいない大きなホールや室内もガンガンに暖房しているところがたくさんある。この部屋はしばらく絶対誰も使わない、と判断してスイッチを切ったこともある私だ。もちろん、トイレはどこも暖かい!数分しか用がないトイレをずっと暖房し続けるのはムダではないか、と思っていた私。(古い話だが大屋政子が「トイレを暖房できない日本は遅れている」と発言したのを私はびっくりした思い出がある。現在、山形の豪雪地帯ではトイレに入ると自動的にスイッチが入って強烈な温風で室内を暖めるらしい。待機電力が必要だがずっと暖房しっぱなしより効率がいいと思う)

道端にパンが捨てられているのは普通にみる事ができる。半分くらい食べて、お腹がいっぱいになってしまったのだろうか、そういったものが結構捨てられている。ちゃんとゴミ箱に捨てればいいものを道端にあるのが情けない。
街中ならある程度仕方がないが、農道で見つけたときはわけわからなかった。
パンを平気で捨てるようなことをする人々を(たとえ子供であっても、たぶん子供たちだろう)倹約好きと言いたくない私。

「全部食べることができますか」と昼食に訪れたダンナの友達のドイツ人に尋ねた友人。
「大丈夫だ」と答えた彼はじゃがいも団子にほとんど手をつけずに残したのだそう。激怒した友人(中国人)は「今後一切彼を私の食卓に招かない」と言っていた。
この例なども倹約とはちょっと遠い現在のドイツ人をよくあらわしているように思うのだが、どうだろう。

あちこちに古着回収の大型ポストがある。来た頃は他のたいていの人と同様に私も感心したが次第に嫌気がさしてきた。
無造作にそのポストに突っ込む人々の様子を何度も見かけるうちに、だ。
H&Mのような数回着用して捨てるようなレベルの商品がここでも人気がある。それらの商品があのポストに入れられているのだなあ、と思う。
慎重に選んで大事に着用、って観念はすでにドイツにはないものと思われる。おしゃれな義母もその点では私と同意見だ。「現在はモード、というものは有りません」義母の言葉。

さて、ラザニアの話に戻る。
夫も私もラザニア初心者で、ラザニアパスタそのものの味についてまでまだ深い追求はない。料理する私も試行錯誤の段階だから安いもので何度も作ってみたい。だったら安い商品で充分ではないか、と思う。
しみったれなんかでなく、ちゃんと考えた妥当な買い物だと自負しているぞ。
いや、しかし、生粋ドイツ人に「倹約を超えたしみったれ」と認定された私、現在のドイツ人より倹約が上手いことを自慢することにしようか!!



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日本は個人が浪費家なのではなく売り手の消費のさせ方が非常に上手、と表現したい。それに乗せられずに過ごすことができるたら素晴らしいのだけど。