今日の仕事も終わろうというときに、左目にゴミが入った。わりと盛大に。
擦れば取れるだろうと思い、ゴシゴシやったら余計悪化した。まあいずれ取れるだろうと、車に乗り込み帰路につくも、コロコロして鬱陶しいことこの上ない。
「ええいっ!」と、しゃにむに擦ると、さらに悪化した。(この悪化というのは擦りすぎて目が痛くなった+ゴミが奥へ奥へ突き進んでしまっている状態)
もはや物理的攻撃では手に終えないと判断した私は、「泣く」という戦術を試みる。
泣くのは得意である。ポン酒五合くらい呑ませてくれれば、ちょっとした一言でわんわん泣ける。が、しかし、如何せん運転中の身である。そいつは無茶だ。
なので、鉄板で泣ける映画のシーンや小説の一節などを懸命に思い出す。尚且つBGMはフジファブリック。さあ、涙よ、押し寄せて来い!
……来ない。
それはそうであろう。もうなんか、目が痛くって歯痒くて尋常な状態ではないところに、あれこれ「泣き」の要素を引っ張り出したがために統一性が持てず感情は昂ぶらない。ついでに言えばこのとき勃起も無理だな、それくらい酷い状態なのである。
普段は冷静沈着菩薩の如き私だが、このときばかりは神経が逆撫でされ、車の中で一頻り喚き散らした。
「うわー!」とか「ああっ! もう!」とか「なんでやねん!」など。
だが、これを逆手にとって、今の自分の情けなさに哀切を憶えれば泣けるのではないか? おお、なんと聡しいことよ。しかし、普段からこれ以上に情けない己の所業をわきまえているので、こんなことではちっとも泣けない。ハッキリ言って、怒りしか湧かない。
そんなこんなで家に帰り着き、目を洗ったり、目薬を差したりするも、一向に取れる気配がない。一時の神経を逆撫でするような不快感は過ぎたものの、違和感は依然として残っている。
妻は、「朝になったら目脂(めやに)と一緒に出てくるんじゃない?」などと悠長なことを言ってくれるが、夜は永い。
やはり「泣く」という方法がベストだと思えるので、とりあえず鉄板で泣ける小説を物色した。やっぱ重松清か……。が、普段から本はほとんど図書館で借りる派なので「泣ける重松ベスト1」(ちなみにそれは『とんび』)は手許にはない。それでも数冊ある中から『定年ゴジラ』を抜き出し、その中のベストシーンを拾い読みする。いや、流石重松。泣けたわ。こうまで簡単に泣けるとは、重松も凄いが私も凄い。
ところがどっこい、涙もじんわり出るのだが、それよりも鼻汁のほうがよく出るもんで、一向にゴミが出てこない。たぶん、俯いて読んでいたせいであろう。こんちくしょー。
では、再チャレンジ。しかし、だからといってもう一度、重松で涙を誘うのも芸がないように思われ本棚の前で思案に暮れていたら、ふと、数年前オフクロに「読んでみれ」と渡された漫画が目についた。それは、11才の少女が突然「骨肉腫」と診断されながらも癌と必死に闘い続けた1年9ヶ月を描いた実話であった。
なんともベタな話ではないか! と思い、ずっとほったらかしにしてあったのだが、これだ、これこそが今の私に必要なものである!
私はひねくれて汚濁しまくっている心をなるべくピュアにして、あと上を向いて、読み耽った。
……取れた。
その本の感動もあることにはあったが、やはりそれにもまして憎き目の中ゴミが取れた、という感動のほうが勝っていた。
こんな読み方をしては、この癌と闘った娘に対して失礼だな、とも思うが、ゴミが入らなかったら、たぶんずっと読まなかっただろうなとも思うので、良しとさせてもらう。
擦れば取れるだろうと思い、ゴシゴシやったら余計悪化した。まあいずれ取れるだろうと、車に乗り込み帰路につくも、コロコロして鬱陶しいことこの上ない。
「ええいっ!」と、しゃにむに擦ると、さらに悪化した。(この悪化というのは擦りすぎて目が痛くなった+ゴミが奥へ奥へ突き進んでしまっている状態)
もはや物理的攻撃では手に終えないと判断した私は、「泣く」という戦術を試みる。
泣くのは得意である。ポン酒五合くらい呑ませてくれれば、ちょっとした一言でわんわん泣ける。が、しかし、如何せん運転中の身である。そいつは無茶だ。
なので、鉄板で泣ける映画のシーンや小説の一節などを懸命に思い出す。尚且つBGMはフジファブリック。さあ、涙よ、押し寄せて来い!
……来ない。
それはそうであろう。もうなんか、目が痛くって歯痒くて尋常な状態ではないところに、あれこれ「泣き」の要素を引っ張り出したがために統一性が持てず感情は昂ぶらない。ついでに言えばこのとき勃起も無理だな、それくらい酷い状態なのである。
普段は冷静沈着菩薩の如き私だが、このときばかりは神経が逆撫でされ、車の中で一頻り喚き散らした。
「うわー!」とか「ああっ! もう!」とか「なんでやねん!」など。
だが、これを逆手にとって、今の自分の情けなさに哀切を憶えれば泣けるのではないか? おお、なんと聡しいことよ。しかし、普段からこれ以上に情けない己の所業をわきまえているので、こんなことではちっとも泣けない。ハッキリ言って、怒りしか湧かない。
そんなこんなで家に帰り着き、目を洗ったり、目薬を差したりするも、一向に取れる気配がない。一時の神経を逆撫でするような不快感は過ぎたものの、違和感は依然として残っている。
妻は、「朝になったら目脂(めやに)と一緒に出てくるんじゃない?」などと悠長なことを言ってくれるが、夜は永い。
やはり「泣く」という方法がベストだと思えるので、とりあえず鉄板で泣ける小説を物色した。やっぱ重松清か……。が、普段から本はほとんど図書館で借りる派なので「泣ける重松ベスト1」(ちなみにそれは『とんび』)は手許にはない。それでも数冊ある中から『定年ゴジラ』を抜き出し、その中のベストシーンを拾い読みする。いや、流石重松。泣けたわ。こうまで簡単に泣けるとは、重松も凄いが私も凄い。
ところがどっこい、涙もじんわり出るのだが、それよりも鼻汁のほうがよく出るもんで、一向にゴミが出てこない。たぶん、俯いて読んでいたせいであろう。こんちくしょー。
では、再チャレンジ。しかし、だからといってもう一度、重松で涙を誘うのも芸がないように思われ本棚の前で思案に暮れていたら、ふと、数年前オフクロに「読んでみれ」と渡された漫画が目についた。それは、11才の少女が突然「骨肉腫」と診断されながらも癌と必死に闘い続けた1年9ヶ月を描いた実話であった。
なんともベタな話ではないか! と思い、ずっとほったらかしにしてあったのだが、これだ、これこそが今の私に必要なものである!
私はひねくれて汚濁しまくっている心をなるべくピュアにして、あと上を向いて、読み耽った。
……取れた。
その本の感動もあることにはあったが、やはりそれにもまして憎き目の中ゴミが取れた、という感動のほうが勝っていた。
こんな読み方をしては、この癌と闘った娘に対して失礼だな、とも思うが、ゴミが入らなかったら、たぶんずっと読まなかっただろうなとも思うので、良しとさせてもらう。