いつから生えていたのかは覚えがないが、親を知らず生えていたらしいので物心ついたくらいなのだろうか?
だとしたらまあ、四十年近く苦楽を共にしたのだろう。旨いものも、不味いものも、分かち合ってきたんだ。
そんな親知らずを、
「あってもいいことないですよ、抜きましょう」
と、言われて「はいそうですか」と言えるほど人間出来ちゃいねぇよ、オイラは!
だったのだけれど、親知らずの弊害をとくとく説かれて
「抜く方向でお願いします」
と方向転換。
それでもやっぱり、他人に聞いてきた親知らずを抜いた痛みや煩わしさ人生は壮絶。
もう、ドキドキドキドキまいっちんぐ! だったけれども、なんか、これも時代の進歩だろうか? はたまた先生の技量だろうか? まったく痛み無く
「え、もう抜いたの?」
くらいの楽ちんさ。
その後も、痛み止めももらったけれども使うほどの痛みも無く、これならまあ、あとのも抜いちゃえばいいかー。
って、楽観できた。
その後、親知らずをポンポン抜いた結果、特に問題は無いのだが、時折、この、奥で嚙んでた癖が出て、「あ、歯茎しかないや」って時に永年連れ添ってきたものの哀愁を感じる。
そこにあったものが無い、っていうのはやっぱり不自由。
だとしたらまあ、四十年近く苦楽を共にしたのだろう。旨いものも、不味いものも、分かち合ってきたんだ。
そんな親知らずを、
「あってもいいことないですよ、抜きましょう」
と、言われて「はいそうですか」と言えるほど人間出来ちゃいねぇよ、オイラは!
だったのだけれど、親知らずの弊害をとくとく説かれて
「抜く方向でお願いします」
と方向転換。
それでもやっぱり、他人に聞いてきた親知らずを抜いた痛みや煩わしさ人生は壮絶。
もう、ドキドキドキドキまいっちんぐ! だったけれども、なんか、これも時代の進歩だろうか? はたまた先生の技量だろうか? まったく痛み無く
「え、もう抜いたの?」
くらいの楽ちんさ。
その後も、痛み止めももらったけれども使うほどの痛みも無く、これならまあ、あとのも抜いちゃえばいいかー。
って、楽観できた。
その後、親知らずをポンポン抜いた結果、特に問題は無いのだが、時折、この、奥で嚙んでた癖が出て、「あ、歯茎しかないや」って時に永年連れ添ってきたものの哀愁を感じる。
そこにあったものが無い、っていうのはやっぱり不自由。