西田敏行さんが亡くなった。76歳だった。2023年の日本人の男性の平均寿命は81歳を超えているから早すぎる。だが、70歳半ばで訃報を聞く著名人も多い。カルロス・クライバーの享年は74歳だったし、私の父は(著名人ではないが)75歳だった(女性だが、エディタ・グルベローヴァの享年は74歳であった)。このあたりに「見えざる壁」があるのだろうか。
西田敏行さんを最初に知ったのは、10チャンネル(当時の関東)で放送していたヴァラエティの「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」だった。小松政夫さんが♪しーらけどーり……と歌い、伊東四朗さん扮するベンジャミン伊東が電線音頭を踊り狂った伝説の番組である。そのなかに、キャンディーズと加山雄三が小芝居をうつコーナーがあり、そこに登場したのが初めて見る顔=西田敏行さんだった。設定は、言い寄る西田敏行さんをキャンディーズが足蹴にして加山雄三さんにラブ目線を送る、というもの。なかでもミキちゃんはあからさまに設定に忠実だったが、スーちゃんだけは西田さんがまんざらでもない様子。だが、西田さんがスーちゃんのことを「大福のようなほっぺ」と言ったためスーちゃんが気を悪くしたものだった(私も妙なことを覚えている)。因みに、このときの西田さんとキャンディーズのやりとりは、ヴァーグナーのオペラ「ラインの黄金」のアルベリヒとラインの乙女のそれと似ている。
その後、あっと言う間にスターダムをかけ上った西田敏行さんは、大河ドラマでいろんな役を演じたが、私的には秀吉になって佐久間良子さん演じるねねに「おかか、おかか」と呼びかけるシーンが一番脳裏に残っている(秀吉の正妻=北政所は、このドラマでは「ねね」だったが「おね」と呼ぶ向きもあるようだ)。
西田敏行さんは会津(福島県)の生まれだから、大河で薩摩の西郷隆盛を演じる際は「どうしよう」という思いがあったそうだが(会津は会津戦争で官軍と戦った)、長州じゃないからいいだろう、ってことで出演を決めたとどこかで(徹子の部屋?)仰ってた。会津の人にとって恨み骨髄なのは薩摩よりも長州の方らしい。それだけ、会津戦争の怨念は深いということ。往々にして、やった方は忘れるがやられた方は覚えているものである。とかいいながら、西田さんは長州の山県有朋も演じている(あれ?)。なお、代々の総理大臣の顔ぶれを見ると、長州閥ってまだ残ってるの?と思わないこともない。
映画にもたくさんお出になったが、変な意味で印象的だったのは「THE有頂天ホテル」で見た西田さんのお尻。あと、「釣りバカ日誌」の「合体」のシーンも、夫婦が仲よさそうで好きである(このシーンは真っ黒のスクリーンに「合体」の文字だけ浮かび、お尻は映らない)。
昨日、急遽予定を変更した「徹子の部屋」が西田敏行さんを追悼していた。まあ、トークの上手なこと!ようやく食べられるようになったので武田鉄矢さん一家と合同で食事会を開いた際、デザートのメロンではしゃぐ子供に対して「いつも食べてるだろ」とウソをつく話などは抱腹絶倒である。その中で、西田さんは、いずれ田中角栄を演じたい、と仰ってた。あらー、それはなんとしても見たかった。つくづく惜しい人を亡くしたものである。
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