50年も昔、高知から須崎・東津野村を通り梼原へそして一人で約束の峠を目指しました。
当時の道は狭くてカーブが多かった記憶があります。その地は天誅組の吉村虎太郎が庄屋を営んでいたと後から知りました。今はその地などに銅像があるそうです。
2017年春 大阪府堺市の港に天誅組義士上陸遺蹟碑を見ました。天誅組はここよりを五條市を目指したとか。
今年は、湯の峰温泉からご存じ日本一長い路線バスで有名なバスに乗り五條市へ出ました。
途中、天誅組が転戦した十津川村があります。村の人達のお金で作った長い吊り橋「谷瀬の吊り橋」では、バスが10分間停車してもらえます。
一緒のバスに乗っていた女性が、10分有るならと走って渡って行きました。
バスは途中何処かの大学の「大塔コスモ観測所」なるトンネルの横を通りました。大塔てあの南北朝の護良親王と関係があるのかななんて思ったりします。何せ吉野の隣ですから。
高知の山々も険しいが十津川の山も険しく、何か虎太郎や那須真吾は里のような感じを持ったのではなかろうか。
五條市は新町へ行ってみました。家屋の裏直ぐが紀ノ川(吉野川)で荷揚げ場跡が有りました。河川流通が盛んだったのでしょう。
重要伝統的建造物群保存地区
本陣にした櫻井寺 近代的なお寺でした。
民俗資料館(五條代官所の長屋門)天誅組の資料館になっています。
五新鉄道跡
五條市から新宮市までの鉄道敷設計画があったが止めになった名残。
街の中に流れている川は何か癒やされます。市内に2時間しか時間がとれなかった、この川原でゆっくりしたかった。