漕手のやんごとなき日常

~立教大学体育会ボート部の日常を漕手目線で~

無くしもの 2年内山

2017-09-23 13:03:08 | 日記

空高くそびえていた夏雲の気配も薄らぎ、鱗状の雲が一面に広がりすっかり秋の空模様です。
夕暮れ時、肌寒く日が落ちる早さからも、どことなく秋の哀愁を感じるようです。

人は生きていくために過去を忘れていく生き物です。自分が昨日の晩御飯に何を食べたのか思い出せないという経験をした人も少なくないことと思います。
すぐ昨日の出来事でも忘れてしまうというのに、自分の高校時代に何を感じ、考え過ごしていたのかを明瞭に覚えている、という人はどれ程いるでしょうか?

修学旅行での行先や体育祭などのイベント、部活の大会での成績・結果など。それに対して楽しかったり悔しかったりといった、起こった事柄への「瞬間の感情」は強く印象に残っているものです。
いざ昔を懐かしんでみると、私をつくってきた高校3年間の毎日はほんの片隅にあるばかりで、思い起こされるのは高校時代過ごした思い出の日々...ではなく、自分の中で切り取られた特別な時間が頭を占めていて。

強くなるために膨大な時間を捧げて、汗を流しながら一生懸命練習に励んでいたはずなのに、成功した時しか、ひと握りの瞬間しか印象に残らないのは、なんだか自分の頑張ってきたことは全てなくなってしまったのではないかと時々感じることがありました。

なぜこのような感傷に浸ってしまったのかと言いますと、近頃怪我等であまり調子が上がらず結果を残せなかったり、エルゴのタイムも伸び悩み、自分はあれから全く成長していないのではないか?と考えてしまうことが多くなったからです。


しかし、そんな私の考えを綺麗に取り払ってくれた出会いがあったのです。
先日、私は教職の授業の一環として母校で部活動指導をさせていただきました。

たった2年前卒業したばかりと思っていましたが、懸命に練習に励み、楽しそうに漕いでいるのを見ていると、大分彼らを若いと感じてしまいました。しかし、高校生でも、大学生でもボートに真剣に向かい合う姿は、どこへ行っても同じものでした。
そこで私は1年生の女子の指導に当たらせていただいたのですが、 やはり入部してから数ヶ月ばかりですので技術的にも体力的にも少々足りない部分が見受けられるところもありました。

まだまだ未熟でしたが、このクルーは確かなひとつの目標を持っていたのです。
彼女達は私に真っ直ぐな目を向け、とあるクルーに勝ちたい、とだけ言いました。

自信もなく、決して強いとも言えない自分が上手く教えられるだろうかと不安に思いながらも手探りで指導が始まりました。
自分が出来ることから、そしてなるべくわかりやすくを心がけ、当時の部活ノートを見返しつつ、昔を思い出しながら基本的なところから教えていきました。

指導を始めて3日目に変化は訪れました。
艇のスピードが変わった!と練習中嬉しそうに報告してくれたのです。確かにはたから見ても艇速の伸びがはっきりとわかりました。練習中の雰囲気もより良く感じられ、自分の教えたことが彼女達の成長に繋がったことが本当に嬉しく思いました。
私はそこに自分の心が大きく揺れるのを感じたのです。

こうした日々の練習の中でほんの少し「できた!」「速くなった!」という彼女たちの成長を目の当たりにしたことで、考え方は大きく変わりました。
競技を長く続けていると、長年の経験から考えが凝り固まりがちで、定まってきた漕ぎを大きく変えるのはなかなか大変なことでもあります。

しかし、彼女たちが素直に物事を受け入れ、清新な感覚で艇を進めていくのを見ていると自分が何を忘れてしまっていたのか気づくことができました。
確かに、練習は毎日積み重ねられて、毎日の記憶はレースの特別な記憶に埋もれてしまうかもしれません。

けれども私はそれで構わないと思います。
何を練習で何を掴んだかはノートに書き込めば記録として残るし、得た感覚はこうした少しの気づきが積み重なって、現在に繋がっています。
つらいだとか、大変だっただとか、記憶は忘れてもいいから、練習の中で掴み取った感覚を身体で覚えていたい。そしてそれが発揮すべき所で出せたのなら一番良い。

今自分がしていることは、100%勝てるものだと言い切れません。しかし、どこで、何が報われるかわからないのです。だからこそ無駄にはならないのだと信じています。
全日本までおよそ1ヶ月。やれることをまっすぐに、全力で取り組んでいきたいと思います。