漕手のやんごとなき日常

~立教大学体育会ボート部の日常を漕手目線で~

変わっていくとき 2年 榮原

2019-09-11 16:34:40 | 日記

こんにちは!2年の榮原です。

オフが開けたらもう4年生がいないと思うと寂しい気持ちになります。食堂でいつも賑やかに話していた4年生。4年生が作り上げてきたこのボート部の雰囲気は本当に素敵だったのだと実感します。この雰囲気に夢を抱いて入部した人間が何人もいるのは事実です。実際自分もその一人でした。この先、4年生が社会に出ても、僕ら残された後輩のように、そのユーモアと優しさに惚れてしまう人がきっと沢山いるのだと思います。

さて、ボートというスポーツは究極のチームスポーツと言われながらも自分個人と向き合う時間が圧倒的に長いような気がします。だからこそ、挫折して転んでしまうような、時に道を踏み外してしまうような事が誰にもでもあるのではないかと思います。私も1年生の冬、春が近づいているというのに心は寒々しく曇天模様で、少し悩んだ事がありました。何かに悩むことは決して悪いことではないと思います。自分には届かない壁に手を伸ばしているのですから、悩みを抱え戦うことできっと今までに見たことない景色を眺める事ができることもあるのではないでしょうか。ただ、実際悩んでいるその時は、辛くてどうしようもない事が多いのが事実です。ボート、大学、将来、自分自身に不安になることがまだまだ多くて、20歳になるにもかかわらずの思春期の青年のように物事を複雑に考えてしまうこともボート部にいるとあります。しかし、悩んでいても誰かに相談しようと思えない人は多いのではないでしょうか。私は何故か主観的に、悩むことはダサいし、恥ずかしいし、なんか子どもっぽいなと思ってしまうのです。1人で解決すんのが大人だろ、そう思って歯をくいしばる日々もありました。ただ、ある時、ある人が声をを掛けてくれたことがありました。その言葉は凛と咲いていて、「もう少し踏ん張ろう。そしてもっと頑張ろう。」そう思わせてくれるものでした。そんな言葉に支えられて、この夏までボートに向き合うことができました。その人は私が今までで最も憧れた選手です。

これから私はチームの上級生へとなっていきます。「大丈夫、伸び代があるじゃないか。」そんな風に成績の出ない日々にお情けをかけることも出来なくなってしまうのです。今まで、自分のために努力をしてきました。きっとこれかもその努力は続けるのでしょう。自分が誰かに認めてもらうために、自分が自分自身を認めるために、私は色のついたメダルを夢に日々を過ごすのだと思います。ただ、走っていた足を止めてしまったあの冬に、人に支えてもらったことを忘れることはできません。その時、私は勇気を与えくれたその人ような人間になろうと固く誓ったのです。ただ、今は不安しかありません。それでも、憧れたその選手のように、後輩にこのボート競技という世界を走り続ける勇気を与えたいと思うようになりました。4年生が引退した今、きっと変わっていく時なのだと思います。2年生は1番楽なポジションです。仕事は後輩がやってくれるし、何事も先輩が支えてくれる。自分に一生懸命になっているだけで良いのだと思っていました。しかし、今、きっともっと大きなことのために、誰かのために、変わっていく決心をする時なのだと思います。いつか、「あの人のおかげで頑張れた。」そう言ってもらえるような選手になる努力を惜しまないことを誓いたい、そう思いました。

オフが開けたらすぐに新人戦があります。まずはそこに向かってがむしゃらにボートを漕ごうと強く思います。それと同時に、少しずつでも、憧れを憧れのまま終わらせてしまうような人間にならぬように、「変わっていこう。」と固く心に決めました。

代の変わるタイミングで、少し真面目な話になってしまいました。クソつまんないうえに、こんなに長くなってしまいすみません。ここまで読んで下さりありがとうございました。

次はのんべえ加藤です。
可愛い顔とは裏腹に、底なしの酒豪である彼の日記が楽しみですね。

それでは失礼致します。