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こんにちは
2年漕手の丹羽健太です。
いやー熱いですね!!
ワールドカップ
サッカー界の王者スペインに逆転勝ち。
本当にすごいです。
ワールドカップ観ているとサッカーのワクワクとか、楽しさとかすごく思い出します。
サッカー始めた頃のような、2010年のワールドカップ観ていた時に感じていたような、キラキラとした気持ちになります。
今回は今まで皆さんに話してこなかった、サッカー時代の僕について振り返って書こうと思います。
先に言っておきます。
今回の日記、多分長いです。
承知の上で付き合ってくれる方はスクロールしてくれると嬉しいです。
では、私のサッカー時代について少し書いていきたいと思います。
正直恥ずかしいです。
書きたくないです。
僕のサッカー人生は多分みんなが思っているほど綺麗で輝かしいストーリーじゃないんです。
みんなが思っているほど凄いことは何もしていないし、辛いことの方が多かったです。
ですが、ワールドカップ観ていたら書きたくなっちゃいました。
今だから書けるのかもしれません。
しばしお付き合いください。
僕がサッカーを始めたのは2010年の9月。当時小学2年生でした。
ちょうどその時、2010年のF I F Aワールドカップ南アフリカ大会がありました。
何に心を動かされたかというと、本田圭佑選手のフリーキックです。
覚えている方もいると思います。
デンマーク戦の先制ゴール。
あの試合を観て初めて、サッカーしたいって本気で思いました。
今までたくさんスポーツ番組を観てきましたが、こんな気持ちになった事はなかったです。
2010年のワールドカップはD V Dも3、4枚買って何度も何度も見回していました。
それほど熱中していて、すごく楽しくて、観終わってすぐボール持って家飛び出してっていうのを繰り返していました。
双子の弟の悠太をサッカーに誘ったのも僕からでした。
サッカーのチームに入りたいって親に言ったのも僕からです。悠太と共に同じチームに入りました。
その時の将来の夢はプロのサッカー選手になること。サッカーの日本代表になる事でした。
目指していた選手は長友佑都選手。
同じ左利きであり、ポジションも左サイドバックで同じでした。
彼は自分と同じく周りと比べて背が大きいわけではないですが、フィジカルが強くて、タフで誰よりも努力しているかっこいい選手でした。
放課後はランドセルを置いてすぐに走って公園へ行き、19時過ぎまで泥だらけになりながら悠太と友達とサッカーしていました。
周りからはサッカーバカと言われるほどずっとボール蹴って走っていました。
でも現実ってそんな甘くないです。
試合にはなかなか出ることができませんでした。
小学3年生になった頃から、悠太と何かと比較されるのがコンプレックスでもありました。
双子なのでしょうがないですね。
周りから比較されることは辛かったですが僕にとって一番の練習相手であり、最大の良きライバルでした。
悠太はリフティングも上手くて、試合にも出ていました。
リフティングが100回できるようになったのも、悠太が達成してから3、4ヶ月経ってからでした。
で、小学3年冬に初めて挫折というか、サッカーの現実を見ました。
公式戦で僕だけベンチだったんです。
その日は休みの選手も多く、全体の人数が12人だったので、ベンチに残るのは一人だけだったんです。
その一人は僕でした。
辛かったです。初めてこんな気持ちを経験しました。
今でもその試合のことは鮮明に覚えています。
どんな感じで点が入ったのか、どんな感じで点取られたのか。覚えています。
目を凝らしてベンチから見ていました。
結果敗退してしまったため、その年に公式戦出場はありませんでした。
その後の試合でも、メンバー発表で最初に自分の名前を呼ばれることはほとんど無く、自分でもそこまで期待しなくなっていました。
小学4年生になり、コーチが変わると、よくランメニューが入るようになりました。
多摩川の河川敷6キロとか、グラウンドの周り12周とか。
すると父が、「ランは絶対負けるな」って言いました。
「ランは気持ちで勝てるから。手を抜くな。」って。
一人早い奴がいたんです。
そいつを抜かすのを目標に頑張っていました。
なんとかチームでも1位2位を争えるようになりました。
ちなみに、争っていたのは気がつけばいつも双子の弟、悠太になっていました。
相乗効果ってすごいですね。特に双子だと。
めちゃくちゃきついけど本当に速くなりました。お互い。
ランでは負けたくなかったです。
多分その時は負けてないです。(今は多分悠太の方が速いです。)
そんな感じで小学時代のサッカー生活が終わりました。
中学生になってからは、またも悠太と同じ、三鷹にあるジュニアユースに入ることになりました。
試合には出られませんでした。
正直レベルが高かったです。
言い訳ですね。
今思えば「試合に出るための努力」が足りなかったです。
気持ちも。
でも、サッカーは楽しかったです。
連携がうまくいった時、ディフェンスで相手を止められた時とか、プレーにも色々なパターンがあり奥が深いので楽しかったです。
また同じスポーツをやっている友達と毎日練習したり、そのコミュニティにいることがサッカーの技術面以外にも本当に自分を成長させてくれたと思います。
やめようとは一度も思いませんでした。
何より両親は本気で僕を応援してくれました。
どれだけ朝早くても、どれだけ遠くても、毎試合観に来てくれました。
今振り返ると、当時の僕にとって、サッカーを続けるやりがいはそこにあったのかもしれません。
高校はサッカーで決めました。
都立高校で文武両道のサッカーの名門校、都立駒場。
みんな個のテクニックがあり、上手でした。
僕は持ち味の持久力でしか勝負できませんでした。
父から「ランでは負けるな」って言われた小学4年生のあの日から、自分の武器が持久力になったのは確かです。
サッカー人生10年間を振り返ってみると正直スターティングメンバーとして試合に出られた数は本当に少ないです。でもサッカーをしてきた環境や出会った人はとても良かったです。
辛い経験、悔しい経験の方が多かったです。
いつしかテレビのサッカーの試合さえ観るのが嫌になっていました。
辞めたくはなかったけど、上手くいかない現実から逃げていました。
試合を観ていても2010年のワールドカップを見ていた時のようなワクワクした気持ちは一切ありませんでした。
気持ちでは頑張っていました。
高校では練習後に自主練したり、朝走り早く終わらせてボール蹴ったり。
でもメンバーとしてピッチに出る為の頑張り方は結局分かりませんでした。
だから、大学生では競技から離れることにしました。
結果とか頑張りが全て数字に出る競技が良かったんです。
学生生活で何か一つでも結果残したくて。
それは自分のためにも応援してくれている周りの人のためにも。
悔しい経験だけで自分の学生生活を終わらせたくないから、この世界に飛び込んできました。
って感じです笑
そんな気持ちで今やっています。
(すみません長くて、、)
僕のサッカー人生ってそんなに輝かしいストーリーではないんです。
だからボートで頑張ってます。
ボートも奥が深くて本当に楽しいです。
どハマりしてます。
今年のF I FAワールドカップカタール大会。
すっごく楽しいです。熱中できています。やっぱりサッカーは面白い。
心の底から見ていて楽しいです。
2010年に感じたワクワク感を久しぶりに味わっています。
何より、長友選手が出ていることが嬉しい。
僕の目標であった長友佑都選手は今大会で4度目の出場になります。僕のサッカー人生が始める前から終わった後まで日本を背負って戦っています。カッコ良すぎる。
ついに明日は決勝トーナメント戦。
2010年進むことができなかったベスト8まで、いや、いけるとこまで勝ち進んで欲しいです。
そして、僕が2010年に感じたような希望を多くの人に与えて、サッカーに関わる人が少しでも増えてほしいです。
みんなで応援しましょう。
長め日記最後まで読んでいただきありがとうございました。
以上です!
次回は、
僕にとって、エルゴ頑張ろうって思える原動力的存在の一人である山田雄恒くんです
お楽しみに〜!
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