ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

読みにくい

2010-09-06 20:08:47 | Weblog
いま読んでいる本は、ある大学の歴史の教授が高校生に歴史の講義をしたもので、
日清戦争から太平洋戦争までのお話が語られている。
Amazonのランキングを見ると、いま結構売れているらしい。

内容はなかなか面白い。
でも、とっても読みにくい。私にとっては。

たぶんテープに録音したものを文字におこし、少しリライトしてまとめている。
若干、読みやすいように整形しているのだろうけど、
そもそも話し言葉と書き言葉は、違うものだ。
書かれている「話し言葉」を読む場合、
話し言葉のテンポに読む速度を落とさなければならない。
そして、声を頭の中で思い浮かべながら、間すらバーチャルに補う。
語順も違うし、文体も統一されていないことがある。

だから、ぜんぜんペースが上がらない。
つまり、文章に乗れない。

ターゲットが高校生なら、もしかしたら、あの年代には読みやすいのかもしれないけど、
私は、もうれっきとしたおばちゃんなので、つらい。
いつもの読書のペースまであがらない。つまり、自分のペースで読めない。
すごくフラストレーションを感じ、なんだか集中できない。
内容が面白いだけに、すごくもったいないような気がする。

で、ようやく200ページまでいき、
まだ全体の半分だと気がついたとき、このまま読み続ける忍耐力は私にはない、と思った。
そもそも、一気に読むものではないのかもしれない。
高校生が、授業の進捗にあわせて、少しずつ読むものなのか。
400ページも。

そもそも話し言葉調の文章を楽しく読める限界って、
雑誌の特集レベルではないのだろうか。

と、いうことで、このまま途中でおしまいにするにはもったいないから、
ザッと読もうと思う。
そうすると、結局は、これまでの知識以上のものは残らないような気がする。

とりあえず、読みながら高校2~3年のときの歴史の先生を思い出した。
1年のときに、自虐史観を植え付けられたあと、
その後の2年間で、違う歴史の先生が、この本で語られているような流れで語ってくれた。
あの先生は、素晴らしい先生だったのだと改めて思った。
ただ、名前を思い出せない。

ついったーの活用法

2010-09-06 00:38:23 | Weblog
ついったーで顔を知らない人がつぶやいているのを読んで、ふと思い出した。
きっかけは、
「中国人が、なぜか食べ物を少し残すのだけど、下品だと思う」に対して、
「中国の風習です」というコメントを読んだときだった。

私がはじめて中国に行ったのは1992年で、
約1週間の北京旅行だったのだけど、
食事が苦痛でたまらなかったのを思い出した。

レストランに入ると、食器はどれも汚い。
前の人の食べこぼしがあるのに、テーブルも拭いてくれない。

あとになって友人から、
「すごく怖い顔をして、ウエットティッシュで
テーブルを隅々まで拭いていたあなたの顔は、きっと一生忘れられない」
と言われたほどだった。
とにかく、道具類がぜんぶ不潔で、いやだった。

でも、それよりもイヤだったのは、中国人の食事のマナーだった。
骨付きの肉にかぶりついて、骨を床に捨てる。
食事の席なのに、床に痰を吐く。

そして、何よりも耐えられなかったのは、
ご飯のお碗を手に持たず、テーブルに置いたまま、
イヌのように猫背になってかき込む姿だった。

口の中に食べ物があるのに、大声で話し始める。
いろいろとまき散らしても、あまり気にしない。

私が、小さい頃から「やってはいけない」と言われたことが、
すべて食事の席で再現されるような悪夢に、
絶対中国人の男性とは結婚できない、と思った。

そして、私は日本人として生まれ、躾けられたことを、
非常に嬉しく思った。

そんなことが、ついったーを見ていると、再現されている。
私はすでにあまりにも過去のことで忘れてしまったことが、
いまリアルタイムで、誰かが疑問に思い、つぶやいてくれる。

これは、実はすごくありがたいことだ。

私が大好きな人には、私が中国にいるときの姿を見てほしいと思う。
仕事で行ったときではなくて、旅行しているときの私を見てほしい。
そうしないと、私のなかの何かを伝えそびれているような気がする。
私の生き方を、思考回路を、知ってほしいと思う欲求を、なにか大事な自分自身を、
表現できていないような気がする。

でも、それは、相手にとっては、すごくたいへんな経験なんだ。
私を知るという以前に、中国という環境の迫力にのまれてしまう可能性がある。
そして、それは、非常に生理的な不快感をともなうから、
すべてに対して眼を閉じさせる原因になる可能性が大きく、
結果、私を受け入れる余裕すらなくなることがある。

私にとってはあたりまえになり、スルーできるようになったことが、
程度は少し軽いかもしれないけど、確実に相手に起こるんだ。
そんな客観性をくれることが、私がついったーを活用する価値だと、
改めて思った。