今年100冊目の本はキルケゴールの『誘惑者の日記』だった。
これは恋愛小説なのか・・・。
ある種の官能小説だとは思う。
ただ、これを官能小説だと思う人は、たぶん男性がほとんどだろうと思うし、
こんな恋愛をしてみたい、と思う男性とは、たぶん付き合えないと思う。
なんとなくだけど、光源氏と若紫を思い出した。
自分のイメージそのままの、かわいらしくて美しい女性を、
ひたすら観念として愛でたいという欲求は、たぶん男性側のもので、
女性が書くと、源氏物語のように、最終的には具体的な愛になっていくと思う。
まあ、男性が落として、婚約して、捨てて、女性が自殺する、なんていう恋愛は、
いまならゲームのなかで展開されるのだろう。
別にイヤな気持ちにはならなかったけど、面白いとも思わなかったのは、
私に美女ゲーをやるセンスがないのと同じ根っこのような気がした。
そして、101冊目の本は穂村 弘さんの『絶叫委員会』。
節目にふさわしい1冊だった。
内向的な人だからといって、心の中もおとなしいとは限らない。
内面では、さまざまな面白いストーリーが展開している人はいる。
生活にあふれるいろいろな言葉を、独特の感性で切り取る。
そのネタには「そうそう、同じことを思ったことがある!」ということもあれば、
「うむむ。そんなセリフを聞くのは、あなただからでは。普通はない!」と、
思い切り突っ込みたくなるようなことなど、いろいろと広がっていく。
本を読みながら声をあげて笑ったのは、本当に久しぶりだ。
会話って面白い。
実際に耳で聞かなくても、双方向でなくても、たまに成立してしまうことがある。
でも、実際の会話も、ほとんどがそんなことの繰り返しじゃないかな、と思った。
冒険小説でも、「夢を与えます」ファンタジーでもないけど、
読んでスカッとした一冊だった。
これは恋愛小説なのか・・・。
ある種の官能小説だとは思う。
ただ、これを官能小説だと思う人は、たぶん男性がほとんどだろうと思うし、
こんな恋愛をしてみたい、と思う男性とは、たぶん付き合えないと思う。
なんとなくだけど、光源氏と若紫を思い出した。
自分のイメージそのままの、かわいらしくて美しい女性を、
ひたすら観念として愛でたいという欲求は、たぶん男性側のもので、
女性が書くと、源氏物語のように、最終的には具体的な愛になっていくと思う。
まあ、男性が落として、婚約して、捨てて、女性が自殺する、なんていう恋愛は、
いまならゲームのなかで展開されるのだろう。
別にイヤな気持ちにはならなかったけど、面白いとも思わなかったのは、
私に美女ゲーをやるセンスがないのと同じ根っこのような気がした。
そして、101冊目の本は穂村 弘さんの『絶叫委員会』。
節目にふさわしい1冊だった。
内向的な人だからといって、心の中もおとなしいとは限らない。
内面では、さまざまな面白いストーリーが展開している人はいる。
生活にあふれるいろいろな言葉を、独特の感性で切り取る。
そのネタには「そうそう、同じことを思ったことがある!」ということもあれば、
「うむむ。そんなセリフを聞くのは、あなただからでは。普通はない!」と、
思い切り突っ込みたくなるようなことなど、いろいろと広がっていく。
本を読みながら声をあげて笑ったのは、本当に久しぶりだ。
会話って面白い。
実際に耳で聞かなくても、双方向でなくても、たまに成立してしまうことがある。
でも、実際の会話も、ほとんどがそんなことの繰り返しじゃないかな、と思った。
冒険小説でも、「夢を与えます」ファンタジーでもないけど、
読んでスカッとした一冊だった。