先日、あるゲームをやってビックリした。
エンドロールに、延々と「デバッカー」の名前が並んでいる。
パソコンソフトやゲームソフトの開発に少しでも関わったことのある人なら、
そのデバックの恐ろしさは、すごくわかると思う。
クリエイティブと言われる仕事をしているのと同じだけの時間、
場合によっては、それ以上の時間をデバックにとられる。
デバックは、思った通りにソフトが動いてくれているかどうかを確認し、
間違いを探し、修正していく作業。
最近のソフトはいろいろと複雑なので、
人間が予想したところ以外でも、いろいろとコンピュータが動いてしまう。
というか、コンピュータからしたら、そういう指令がきているわけだから当然なんだけど、
人知をこえたことも起こる。
そして人間は「なんで~。どこが悪いの~!」となる。
作業の効率化のための計算機だった時代のコンピュータと逆転し、
いまは、コンピュータに人間がぶら下がっているような感じになっている。
そんな間違い探し、バイトにやってもらえばいいじゃん、と、
最初はみんな軽く思うんだけど、
そこにその機能を埋め込んだのを知っているのは自分だし、
ソフトがそんな動きをしてもいいのかどうかを判断できるのも自分なので、
結局は、クリエイティブ部門の人たちも総出で、デバックをせざるを得なくなる。
デバックは、本当に消耗戦だ。
ひたすらイヤな人になって、ソフトを使ってみる。
ひたすら、ひたすら・・・。
いまのプロジェクトも、ようやく素材がプラットフォームに乗っかってきたので、
これからどんどんデバックが増える。
コンピュータ様に言うことをきいてもらうために、
人間は「かゆいところはないですか?」「気持ち悪いところはないですか?」と、
言葉が通じぬコンピュータ相手にお伺いをたてなければならない。
特に、ソフト開発では後発で、「あれもこれもできる」と、
ワクワク感から仕様をどんどんふくらませた場合は、
担当者がデバックの恐ろしさを認識していないこともあり、
最後の最後は地獄のようになる。
今回のこれも、特に納期がきっちりかっちりと決まっているものなので、
本当にすごいことになるだろう。
あるゲームソフトのように、
エンドロールに、デバックに携わった人たちの名前を載せたくなった気持ちはわかる。
すごくつらい作業だし、名前が出ることなんかまずないし、達成感も乏しいし、
なにより、生活がすさむ。
でも、エンドロールで延々とその名前の羅列を見せられるユーザーの気持ちからすると、
「不要。内輪ウケやめて」の一言につきる。
女工哀史で語られるような仕事は、形をかえて、今に残っているということかな。
エンドロールに、延々と「デバッカー」の名前が並んでいる。
パソコンソフトやゲームソフトの開発に少しでも関わったことのある人なら、
そのデバックの恐ろしさは、すごくわかると思う。
クリエイティブと言われる仕事をしているのと同じだけの時間、
場合によっては、それ以上の時間をデバックにとられる。
デバックは、思った通りにソフトが動いてくれているかどうかを確認し、
間違いを探し、修正していく作業。
最近のソフトはいろいろと複雑なので、
人間が予想したところ以外でも、いろいろとコンピュータが動いてしまう。
というか、コンピュータからしたら、そういう指令がきているわけだから当然なんだけど、
人知をこえたことも起こる。
そして人間は「なんで~。どこが悪いの~!」となる。
作業の効率化のための計算機だった時代のコンピュータと逆転し、
いまは、コンピュータに人間がぶら下がっているような感じになっている。
そんな間違い探し、バイトにやってもらえばいいじゃん、と、
最初はみんな軽く思うんだけど、
そこにその機能を埋め込んだのを知っているのは自分だし、
ソフトがそんな動きをしてもいいのかどうかを判断できるのも自分なので、
結局は、クリエイティブ部門の人たちも総出で、デバックをせざるを得なくなる。
デバックは、本当に消耗戦だ。
ひたすらイヤな人になって、ソフトを使ってみる。
ひたすら、ひたすら・・・。
いまのプロジェクトも、ようやく素材がプラットフォームに乗っかってきたので、
これからどんどんデバックが増える。
コンピュータ様に言うことをきいてもらうために、
人間は「かゆいところはないですか?」「気持ち悪いところはないですか?」と、
言葉が通じぬコンピュータ相手にお伺いをたてなければならない。
特に、ソフト開発では後発で、「あれもこれもできる」と、
ワクワク感から仕様をどんどんふくらませた場合は、
担当者がデバックの恐ろしさを認識していないこともあり、
最後の最後は地獄のようになる。
今回のこれも、特に納期がきっちりかっちりと決まっているものなので、
本当にすごいことになるだろう。
あるゲームソフトのように、
エンドロールに、デバックに携わった人たちの名前を載せたくなった気持ちはわかる。
すごくつらい作業だし、名前が出ることなんかまずないし、達成感も乏しいし、
なにより、生活がすさむ。
でも、エンドロールで延々とその名前の羅列を見せられるユーザーの気持ちからすると、
「不要。内輪ウケやめて」の一言につきる。
女工哀史で語られるような仕事は、形をかえて、今に残っているということかな。