1年前、1年後に今みたいな生活をしているとは、まったく予想していなかったように、
きっと来年の今日も、1年という時間の流れと、その意外性に驚いていることだろう。
今年は、まずiMacを買って、春にウズベキスタンに旅行して、仕事が変わって、
あせったり、びっくりしたり悩んだりして、
そしていろいろな人に出会ったと思う。
なにかひとつ出来事があると、読む本の枠がぐっと広がる。
誰かに会って何かが起きると、私の気持ちが広がる。
そのもやもやした気持ちを言葉というかたちにしていくために、
いろいろな人が書いたものにふれたくなる。
そして、近いな~、いや違うな~、などと思いながら、
自分の心を確かめ、ときに保留して、なんとなく前に進む。
一番困る問いは、「それじゃあ、あなたは何がやりたいの?」というものだ。
漠然とした答え以外、心の中に見つけられない。
本当にやりたいことは、言葉にできるようなことではなくて、
ある何かに面したときに無意識にとる行動や、発する言葉で、
毎日のあり方じたいが、私がやりたいこと。
仕事に追われている時は、そんなふうに仕事がやりたいからやっている。
本を読んでいるときも、友人と話をしているときも、
すべては、私がその瞬間にそうやりたいから、そうせざるを得ない欲求があるからやっている。
さて、めずらしく少し腰が痛いので、
このへんでコタツにもぐりこみ、ゆっくりと読書でもしよう。
いま読んでいるのは「龍樹」の本だ。
そして、ぼんやりと、来年やろうとしていることを考えてみよう。
この繰り返しが、私の生き方なんだろうなあと思う。
きっと来年の今日も、1年という時間の流れと、その意外性に驚いていることだろう。
今年は、まずiMacを買って、春にウズベキスタンに旅行して、仕事が変わって、
あせったり、びっくりしたり悩んだりして、
そしていろいろな人に出会ったと思う。
なにかひとつ出来事があると、読む本の枠がぐっと広がる。
誰かに会って何かが起きると、私の気持ちが広がる。
そのもやもやした気持ちを言葉というかたちにしていくために、
いろいろな人が書いたものにふれたくなる。
そして、近いな~、いや違うな~、などと思いながら、
自分の心を確かめ、ときに保留して、なんとなく前に進む。
一番困る問いは、「それじゃあ、あなたは何がやりたいの?」というものだ。
漠然とした答え以外、心の中に見つけられない。
本当にやりたいことは、言葉にできるようなことではなくて、
ある何かに面したときに無意識にとる行動や、発する言葉で、
毎日のあり方じたいが、私がやりたいこと。
仕事に追われている時は、そんなふうに仕事がやりたいからやっている。
本を読んでいるときも、友人と話をしているときも、
すべては、私がその瞬間にそうやりたいから、そうせざるを得ない欲求があるからやっている。
さて、めずらしく少し腰が痛いので、
このへんでコタツにもぐりこみ、ゆっくりと読書でもしよう。
いま読んでいるのは「龍樹」の本だ。
そして、ぼんやりと、来年やろうとしていることを考えてみよう。
この繰り返しが、私の生き方なんだろうなあと思う。