北風が吹くなかを歩いていると、なぜか北京を思い出す。
いまの北京ではなくて、私の思い出の中の、93年当時の北京。
アスファルトの感覚が消えて、石畳の感触がよみがえり、
独特の靴音が聞こえたような気がする。
もう12月なのだなあ。
12月になると届くハガキがある。
喪中ハガキだ。
今年も、ちらほらと舞い込み始めた。
今日届いたのは、ちょっとした思い出のあるおばあさんが亡くなったというハガキだった。
母親同士が仲良しで、私と同年の女の子がいるという家のおばあさんだ。
母親同士の気が合うと、娘同士も気が合うのだろうか。
お互い1人娘だったこともあって、以前は一緒に遊ぶ機会が頻繁にあり、
ときどきおばあさんともお会いすることがあった。
小学生のときに、おばあさんからお手製の布バックをもらった。
当時、私たちはピアノ教室に通っていたので、
その楽譜入れにちょうどいいサイズのものだった。
ピンクのふわふわした感触の、とてもかわいらしいバックで、
外側に小さなポッケがついていた。
よく見ると、友人のバックと私のバックは少し違う。
どうやら、彼女のバックのほうがポッケが多く、サイズも一回り大きいのだった。
なんとなく、少しショックを受けて、家に帰ってから母に言ったら、
「当たり前じゃない。あなたは孫じゃないんだから」と言われた。
私は母に、「それならなんで、お母さんはいつもいい方のを他の子にあげちゃうの?」と聞いた。
おやつが余ったら、いつも母は私の友だちにあげてしまう。
私はいつも後回しだった。
だから、親は自分の家の子どもを「ひいきしないもの」だと思っていた。
身びいきは恥なのだと思っていた。
そうしたら、母は私の顔を見つめて、
「あなたは一人っ子だから、なんでも自分のものになると思うようになったら、
心が歪んでしまうからよ」と言った。
もちろん私は、「だって、あの子だって一人っ子じゃない。どうして!
あの子は、お下がりなんか着ないし、自分のお部屋もあるのに」と反論した。
母は笑いながら、
「あそこのおうちはね、もともと京都の名家なのよ。
地位もお金もある人は、他人にあげないものなの。
上品だし、頭もいいし、とてもいいおうちだけど、そこはかっこわるいね。
でもさ、おばあちゃんはああだけど、おばさんはわりと普通だよね。
そういえば、成城のお金持ちの人も、
一生かかっても使い切れないくらいのお金を持っていたけど、すっごくケチだったよ~」と、
すごく可笑しそうに言った。
そういえば、おばあちゃんの前では、なんとなく窮屈な気持ちになったっけ、など、
いろいろなことが、喪中ハガキを眺めながら思い起こされた。
「祖父母は孫にあまい」という典型みたいな家だったなあ、と懐かしく思う。
いまの北京ではなくて、私の思い出の中の、93年当時の北京。
アスファルトの感覚が消えて、石畳の感触がよみがえり、
独特の靴音が聞こえたような気がする。
もう12月なのだなあ。
12月になると届くハガキがある。
喪中ハガキだ。
今年も、ちらほらと舞い込み始めた。
今日届いたのは、ちょっとした思い出のあるおばあさんが亡くなったというハガキだった。
母親同士が仲良しで、私と同年の女の子がいるという家のおばあさんだ。
母親同士の気が合うと、娘同士も気が合うのだろうか。
お互い1人娘だったこともあって、以前は一緒に遊ぶ機会が頻繁にあり、
ときどきおばあさんともお会いすることがあった。
小学生のときに、おばあさんからお手製の布バックをもらった。
当時、私たちはピアノ教室に通っていたので、
その楽譜入れにちょうどいいサイズのものだった。
ピンクのふわふわした感触の、とてもかわいらしいバックで、
外側に小さなポッケがついていた。
よく見ると、友人のバックと私のバックは少し違う。
どうやら、彼女のバックのほうがポッケが多く、サイズも一回り大きいのだった。
なんとなく、少しショックを受けて、家に帰ってから母に言ったら、
「当たり前じゃない。あなたは孫じゃないんだから」と言われた。
私は母に、「それならなんで、お母さんはいつもいい方のを他の子にあげちゃうの?」と聞いた。
おやつが余ったら、いつも母は私の友だちにあげてしまう。
私はいつも後回しだった。
だから、親は自分の家の子どもを「ひいきしないもの」だと思っていた。
身びいきは恥なのだと思っていた。
そうしたら、母は私の顔を見つめて、
「あなたは一人っ子だから、なんでも自分のものになると思うようになったら、
心が歪んでしまうからよ」と言った。
もちろん私は、「だって、あの子だって一人っ子じゃない。どうして!
あの子は、お下がりなんか着ないし、自分のお部屋もあるのに」と反論した。
母は笑いながら、
「あそこのおうちはね、もともと京都の名家なのよ。
地位もお金もある人は、他人にあげないものなの。
上品だし、頭もいいし、とてもいいおうちだけど、そこはかっこわるいね。
でもさ、おばあちゃんはああだけど、おばさんはわりと普通だよね。
そういえば、成城のお金持ちの人も、
一生かかっても使い切れないくらいのお金を持っていたけど、すっごくケチだったよ~」と、
すごく可笑しそうに言った。
そういえば、おばあちゃんの前では、なんとなく窮屈な気持ちになったっけ、など、
いろいろなことが、喪中ハガキを眺めながら思い起こされた。
「祖父母は孫にあまい」という典型みたいな家だったなあ、と懐かしく思う。