毛筆で美しい文字が書けたら、いいなあ。
そう思ってから、すでに20年くらい経つ。
一向に練習をしないので、上手くはならない。
というか、学校で習った漢字は、楷書がまだどうにかなるものの、
ひらがなは、特に難しい。
筆は、持つ姿勢から、いろいろと筆に合理的にできている。
むかしアメリカ人と集まって一緒に勉強しようとしたら、
彼らはベットの上に横になったり、床に座ったり、
もう見ている方が困ってしまうくらい「だらしのない格好」をして、
テキストやノートに、読めないようなアルファベットを書いていた。
私はその場に自由を感じる以前に、居心地が悪かった。
さて、電車のなかで、ひらがなの難しさをボーッと考えていた。
私が、ひらがなを勉強しはじめたとき、一番難しいと感じたのは「は行」だった。
最初は「ま行」が難しいと思ったのだけど、
ある程度経験を積んでも、最後まで格好がつかなかったのは「は行」だった。
「はひふへほ」どれも難しい。
「は」と「ほ」は、すごく似ている。
「ひ」は、左側と右側のどちらが高いと格好がつくのか、よくわからない。
「ふ」なんて、なにがどう流れているのか、さっぱりわからない。
「おたふく」の「ふ」のように、ふんわりと、
「ふ」という音を発するときの頬と唇のように書きたいのに、
そんなやわらかさや軽さを文字で表現するのは、最高に難しい。
「へ」は、右側が長くなりすぎて、ひげのようになってしまう。
ひらがなほど、コツが必要な文字はないと思う。
ひらがながもつ軽さとやわらかさは、その音を発しているときの身体と密着につながっている。
「あいうえお」ではなくて、「いろは」のほうが近い。
滑舌の頬の筋肉の問題ではなくて、流れるように美しく発する音が、
そのまま文字というかたちになったのが「ひらがな」なんだと思う。
ああ、上手く筆で書けるようになりたいなあ。
そう思ってから、すでに20年くらい経つ。
一向に練習をしないので、上手くはならない。
というか、学校で習った漢字は、楷書がまだどうにかなるものの、
ひらがなは、特に難しい。
筆は、持つ姿勢から、いろいろと筆に合理的にできている。
むかしアメリカ人と集まって一緒に勉強しようとしたら、
彼らはベットの上に横になったり、床に座ったり、
もう見ている方が困ってしまうくらい「だらしのない格好」をして、
テキストやノートに、読めないようなアルファベットを書いていた。
私はその場に自由を感じる以前に、居心地が悪かった。
さて、電車のなかで、ひらがなの難しさをボーッと考えていた。
私が、ひらがなを勉強しはじめたとき、一番難しいと感じたのは「は行」だった。
最初は「ま行」が難しいと思ったのだけど、
ある程度経験を積んでも、最後まで格好がつかなかったのは「は行」だった。
「はひふへほ」どれも難しい。
「は」と「ほ」は、すごく似ている。
「ひ」は、左側と右側のどちらが高いと格好がつくのか、よくわからない。
「ふ」なんて、なにがどう流れているのか、さっぱりわからない。
「おたふく」の「ふ」のように、ふんわりと、
「ふ」という音を発するときの頬と唇のように書きたいのに、
そんなやわらかさや軽さを文字で表現するのは、最高に難しい。
「へ」は、右側が長くなりすぎて、ひげのようになってしまう。
ひらがなほど、コツが必要な文字はないと思う。
ひらがながもつ軽さとやわらかさは、その音を発しているときの身体と密着につながっている。
「あいうえお」ではなくて、「いろは」のほうが近い。
滑舌の頬の筋肉の問題ではなくて、流れるように美しく発する音が、
そのまま文字というかたちになったのが「ひらがな」なんだと思う。
ああ、上手く筆で書けるようになりたいなあ。