ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

変化があるもの、ないもの

2014-05-01 00:38:24 | Weblog
先日、約1週間の旅行をして、最初に中国のあちこちを旅してから20年といっても、
変わったところ、変わってないところがいろいろあると思った。

まず、もっとも変わったなあと思ったところは、コミュニケーション。

今回、久しぶりに高速鉄道ではない普通の列車の寝台車に乗るので、
たくさん食料を買い込んで行った。
お決まりのカップ麺のほかに、パンやお菓子。
特にお菓子は、個包装になっている物がいい。
なぜなら、寝台車の硬臥は、
6つのベットが向き合って1つのかたまりになっており、
そこに泊まる他の人に、持ってきた食べ物をお裾分けをするから。

昔は、みかんやら飴やら、向日葵の種やらが、
縦横無尽に手渡され、「どこから来たんだ」「どこへ行くんだ」
「いま何歳だ」「何をやっているんだ」「家族はどうだ」と、
とにかくいろんな個人情報が飛び交う会話があった。

が、いまはそんなことはない。
まる1日以上も顔を合わせていれば、少しは会話もあるけれども、
まず他人には干渉しない。そういう雰囲気だ。

でも、せっかく持って行ったし、
何かあったとき、外国人は不利なので仲良くなっておこうと思い、
率先してお菓子を配ったら、逆にすごく驚かれた。

中国人は、個人的には日本人が好きな人が多く、非常に親切にしてもらった。
ばらまき効果も少しはあったかもしれないけれど。

次に、変わってほしいのに、やっぱり変わってないなあと思ったのは、トイレ。

昔より、トイレの設備はよくなった。
水不足で流れないとか、そもそも穴からこぼれてるなどはあるけど、
まあ、それはある程度はしょうがない。
揺れる車内で和式である以上、ある程度の限界というものはある。

が、そういうことではなくて、ゆるせないのは子どものトイレだ。
なぜか中国人は、3歳くらいまでの子どもに、トイレ以外の場所でさせる。

例えば、洗面台で歯を磨いているときに、
お母さん、子ども、そして乗務員が3人で急いで入ってきたら、これは危ない。
洗面台の床で始まる。
これは、トイレがふさがっているからではない。空いていてもそうなる。
もし洗面台のところで、誰かがカップ麺をすすっていても、気にしない。
中国名物でもあるお茶ポットにお湯を注いでいる人がいても、お構いなし。

誰かがいても、そのとなりで、ジョーまたは、うーんが始まる。
で、たまたま居合わせた中国人は、普通にカップ麺をすすり続け、
お茶ポットにお湯を足し、普通に去って行く。
もちろんその場は匂う。揺れるといろいろと足のほうに流れてくる。
でも、みんな平気だ。

乗務員まで協力しているわけだから、これは列車内での禁止事項ではない。
私には、どうしても理解できない。
自宅の居間でも、同じようにさせるのだろうか。
たまに学齢に達するくらいの背丈の女の子に、そのへんでさせている場合もある。
先日は、上海の地下鉄駅のホームでしていた。

このトイレ感覚は、例えば台湾や香港でも「大陸のヤツってよ~」という書込みに繋がるが、
なぜか大陸の人の反論は「台湾人や香港人は、私たちをバカにしてる!」などというもので、
「なぜそこで用を足させるのか。非常識だ」という書込みはない。

つまり、話が噛み合ない。

まあ、こういう子ども時代を送るから、
大人になってもパンツ丸見えだったりしても、女子は気にしないんだろう。
おかげで、全然色気を感じないけど。