今日は久しぶりに、元同僚の中国女性と食事。
彼女の話す日本語のほうが、私が話す中国語よりも断然上手なのだけど、
ここは上海なので、9割以上を中国語で話した。
中国人と、およそ3時間に渡り、サシで中国語による会話ができるようになったので、
上達しないと思っていた中国語にも、少しは進歩が見られて嬉しい。
会話というのは、お互いの信頼感と共通の話題があれば、できるもので、
逆にそれがない場合には、日本語で話していても辛いわけだ。
そうはわかっていても、中国人に対して心を開くのは、私にはなかなか難しい。
正直言って、チベット人やモンゴル人、
あと雲南あたりの少数民族とはすぐ打ち解けることができるのに、
漢族は、なかなか仲良くなれない。
これはおそらく、漢族のほうにも原因があって、
彼らは初対面の人に、そんなに心を開かないからだろうと思う。
特に日本人には。
こういうことを考えるとき、つくづく、なぜ私は中国語を選んでしまったのかと思う。
中国人と韓国人以外の世界中の人は、基本的に、日本人には好意的なのに。
まあ、そんななか、仲良くなった友人は、きっと一生の友だちになると思うのだけど、
ここまでの道のりが、長いんだよなあ。
彼女の話す日本語のほうが、私が話す中国語よりも断然上手なのだけど、
ここは上海なので、9割以上を中国語で話した。
中国人と、およそ3時間に渡り、サシで中国語による会話ができるようになったので、
上達しないと思っていた中国語にも、少しは進歩が見られて嬉しい。
会話というのは、お互いの信頼感と共通の話題があれば、できるもので、
逆にそれがない場合には、日本語で話していても辛いわけだ。
そうはわかっていても、中国人に対して心を開くのは、私にはなかなか難しい。
正直言って、チベット人やモンゴル人、
あと雲南あたりの少数民族とはすぐ打ち解けることができるのに、
漢族は、なかなか仲良くなれない。
これはおそらく、漢族のほうにも原因があって、
彼らは初対面の人に、そんなに心を開かないからだろうと思う。
特に日本人には。
こういうことを考えるとき、つくづく、なぜ私は中国語を選んでしまったのかと思う。
中国人と韓国人以外の世界中の人は、基本的に、日本人には好意的なのに。
まあ、そんななか、仲良くなった友人は、きっと一生の友だちになると思うのだけど、
ここまでの道のりが、長いんだよなあ。