ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

卒論の思い出

2014-05-10 18:45:21 | Weblog
上海の地下鉄で、チベット語の文字を暗記していたときに、ふと思い出した。

いまから約20年前、大学4年生で卒論を書いていたときのことだ。
卒論の主査の先生からは、中国文学を卒論のテーマに選ぶように
かなり説得されたのだけど、
結局私は、モンゴルによる中原支配をテーマに選んだ。

本当は、モンゴル帝国自体をテーマにしたかったのだけど、
あまりにも中国文学から離れてしまうことに対する申し訳なさを感じ、
なんとなく対象エリアだけは「中国」にしてみた、という卒論だった。
ただし異端なので、参考とする文献の正当性から教授たちを説得する必要があった。
そして、それでも認めてくれた教授たちは、とても心が広かったと思う。

ある日、卒論の進行状況に関する質疑応答が終わった後、
主査と副査の先生から、こう言われた。
「あなたは、卒業後、どうする予定なのですか?」と。
「就職が決まっているので働きます」と答えたら、
「大学院に進むと言う選択肢はないのですか?」と言われた。

私は「母が病気なので、経済的に自立する必要があり、
本当は内蒙古大学あたりに留学したいですけど、いまは無理です」と答えた。
そしたら先生方は「そうですか、残念ですね。
将来、必ず、学問の世界に戻ってきてください」と言ってくれた。

そして、「東洋学の祖である那珂通世博士は、もともと支那の専門家だったけど、
支那を理解するには、周辺の民族のことも知る必要があると思われ、
40歳で満洲語とモンゴル語を学び始めたと聞きます。
そして、モンゴル語と満洲語の文字の基礎となったチベット語にも通じていらした。
確かに仕事をして、社会を見るのは必要なことです。
でもあなたの価値観は学問にあると思うから、必ず戻ってきてください」と。

そして、卒論の最後の口頭試問の日、無事クリアした後に教授たちはこう言った。
主査の先生は、「せっかくそれだけ中国語ができるのだから、
中国でも文革のせいで失われてしまった中国文学の担い手となってください」と。
副査の先生は、「その中国語力を公用語として活かして、
中国に取り込まれてしまったが故に、いままさに失われつつある周辺民族の文化を
引き継ぐ役割も忘れないように」と。

正直言って、当時の私は、生活のことで頭がいっぱいで、
学問なんて生活の余裕がある人がするもの、私には縁がない高嶺の花。
そもそも、そんなに頭よくないから、無理だし、と思っていた。

でも、本当は、そのまま学問を続けたかった。
いまから振り返ると、方法はあったと思うけれど、
世間知らずの一大学生には、わからないことだった。

いまから思うと、私の教授たちの時代は、まさに学生時代から文革の影響を受け、
中国文学の専門家となっても、
中国人の中国文学の専門家と、政治を抜きにした、学究の話がしづらく、
本当に残念な気持ちでいっぱいだったのだろうと思う。
そしていまはもっと、書き換えられた中国の歴史しか知らない中国人の若者ばかりだ。
話したくても、基礎が違いすぎる。

とにかく、物覚えが低下中の脳みそに喝を入れて、
少しずつチベット語を覚えて行こう。
週に3回くらいはやらないと上達しない気がしているので、
これを打開する方法を模索中。

難しいリクエスト

2014-05-10 10:33:35 | Weblog
やっと週末。
先週は日曜日から、法定の出勤日だった上に、お腹の調子が悪く、
体力的にきつい1週間だった。

最近は、友人と飲みに行く機会もめっきり減ったのだけど、
この1週間は比較的多かったので、
毎晩誰かと飲んでいるような上海在住の人たちは、
本当に体力があるなあと改めて感心した。
もしくは、その人たちにとっては、食事自体が仕事になっているのかもしれない。

昨晩は、上海在住の非常に気が合う日本人の友人と、
日本から来た、初対面だけど古くからの友人みたいな雰囲気の人と一緒に、
上海ではそこそこオシャレスポットと言われているところに食事に行った。
ウォーターフロントで、注目され出した頃のお台場くらいな位置づけのところだと思う。

が、レストランは、どこもガラガラ。
メイン通りに面しているレストランは閉店しているし、
「エリア、どんどん拡大中」という宣伝とは裏腹に、なんとも寂しい雰囲気だった。

おそらく、土日はまた違うのだろうけど、金曜日の夜にこれでは、という感じで、
私たち以外のお客さんは全員中国人で、たぶん比較的お金持ちの層。
しかも、単なるお金持ちではなくて、経費に家族の外食代をつけられる人たち、
という雰囲気だった。

席がガラガラだったおかげで、私たちは中国人と少し離れた席に座ることができ、
非常に静かで快適な食事ができた。
広東料理を食べたのだけど、日本人が3人、しかも全員が女性だと、
野菜中心のオーダーになるので、比較的安くなる。
それでも一人当たりお酒込みで300元(約5000円)くらい。
これが肉だ、海鮮だと頼み始めると、たぶん倍くらいの消費になる。
確かに、これではボリュームゾーンの中国人には無理だろう。

日本から来た人のリクエストが「上海のOLが行くようなところ」だったのだけど、
これが非常に難しい。日本のようなイメージでは探せない。
私の部下のOLたちに聞いたら「じゃあ、ケンタッキーが一番多いよ。私、週3でケンタッキー」
という返答で、20年前に比べると、中国の生活水準はかなり上がったとも言えるし、
金曜の夜にデートや友人との食事でケンタッキーはあるまい。高校生じゃあるまいし。
というギャップは、まだある。

中国人には「場を読む」という文化がないだけに、
「場」に対して価値を見いだし、それへの対価を払う、という感覚もあまりないと思う。
うるさかろうが、隣で痰を吐いていようが、
安くて美味しいものがお腹いっぱい食べられればいい、という感覚のほうが、
まだ主流だと思う。

酔うと、どうしても中国人に対して1日に1回は腹を立てる、という話になりがちで、
特に公共のマナーが悪いことは、日本人と中国人の間の大きな溝だと思う。
なんで、地下鉄やバスで、降りる人を待たず乗り込んできて、
こちらが降りようとすると殴ってくるのか、
歩道を歩いているのに、逆走してきたバイクに、猛烈にクラクションを鳴らされるのは心外だ、
そこら中で痰を吐いたり、子どもに道路などでトイレさせるのはやめてほしい、など、
ワケのわからない怒りは、どんなに精神鍛錬を積んでも乗り越えるのが難しいと思う。

これが日本に帰ると、なんで日本人はこんなに村感覚なんだ、という気持ちに、
たぶんなるんだろうなあ。