ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

そして、またこの日がきた

2009-10-08 19:23:34 | Weblog
自分のことにばかりかまけていて、
うっかり10月8日に日付がかわったことに気がつかなかった。

4年前の今日、日付がかわってすぐに母が亡くなったとき、
私はいったい何を感じたんだっけ。

確か、看護婦さんに「そろそろ危ないから」と仮眠から起こされたとき、
「今回こそは、ちゃんと死ねますように。
向こうに渡るまで私がちゃんと見届けているから、安心して逝って」と思って、
母のベッドの隣に座ったのは覚えている。

その後、少し時間が経ち、
一回家に帰ることになって西武新宿線に乗り、朝の通勤の人に混じって新宿へ向かった。
両脇に座っていた人が、なぜか2人とも私に全体重をあずけて寄っかかってきた。
もし、ここで「いま母が亡くなったんです。寝ていないんです。
なのに、あなたたちは、私に全体重をかけて寝ている。
しかも寄っかかっていることを自覚していますね」と、
回答のしようがない一言を言いたくなった。

その瞬間、窓の外に、とても美しい朝日が射していることに気がついた。
本当に、この世と思えないくらいにキラキラしていて、
「ああ、こんなにも光があふれているんだ。美しいんだ。この世は」と思って、
胸がいっぱいになった。
そして、
もう隣の人が私に寄っかかっていることなんか、どうでもよくなった。

地元の駅で降りた時、母が一番好きだったピンクのコスモスをどうしてもお別れにあげたくなって、
まだ開店前の駅前の花屋さんに、無理を言って花束をつくってくれるようにお願いした。

それから毎年、命日にはピンクのコスモスを供えている。
でも今日、会社帰りに花屋さんに寄ってみたら、
今日に限って、誰かがピンクのコスモスを買い占めて行ったと言う。

きっと誰か、ピンクのコスモスが大好きな人の、とても大切な日だったのだろう。
私は白のコスモスを買い、母に「ごめんね」と言って供えた。
母の返答は、「過去を忘れて、切り替えるのが得意なあなたにしては、
よく今日を覚えていたね」と、いつもどおりに笑いながらチクリと言われた。

昨日から、唇に疱疹が出ている。
母が生死の間を彷徨っていた最後の数ヶ月、
私はあまりのストレスから帯状疱疹になった。猛烈に痛かった。

最近は、ストレスを感じると疱疹が出るものの、とても小規模ですんでいる。
精神が肉体を蝕む前に精神状態を安定させる術を、ある意味では学んだのだと思う。

あの時のストレス。
母は、何回か心肺停止になったけれども、私が側にいないから、お医者さんは蘇生をしてくれる。
それがお医者さんの本分だからしょうがないのだけど、
苦しみが引き延ばされているようで、
その後の母の姿を見ていると、本当につらかった。
「え? 死んだはずなのに。なぜ?」と混乱している声が聞こえてくるようだった。

私が見ていないところで逝こうとするから失敗するんだよ。
私がいるから死なせてあげるから、終止符は打てるから。
と、思いながら、私は母の背中を押した。

でも、まだ私は混乱している。
14年間の、母が植物状態だった時間。
そして、4年前のお別れ。

私は生き残った者として、一生、何度も問い直さなければならないのだろう。

帝都衛星軌道

2009-10-07 23:32:57 | Weblog
島田荘司著、講談社文庫

上手だなあ。と思う。
構成はもちろん、読者に情報を与えるテンポも、さすがだなあ、と思う。

帝都衛星軌道の前後編の間に、「ジャングルの虫たち」をはさんでいる。
ちょうど、この「ジャングルの虫たち」を読んでいたとき、
テレビで、30代ホームレスの話をしていた。

ホームレスになるくらい追いつめられても、
「自己責任」という言葉や「プライド」にしばられて、
なかなか「助けてください」とも言い出せないのが30代なのらしい。
なんだか気持ちがわかるなあ。

そして、もうすぐ、若いということがひとつの「能力」である時期は、
過去のものになるだろう。

今日、会社で、ひとつ私が好きだったルートの仕事について、
「収束」の方針が出た。
仕事をしていると、そんなことはよくあることだけど、
やはり携わって来た私としては、ものすごい無力感におそわれた。

どう「おとしまえ」をつけるか。
対外的なパートナーに、どうやってその話をしたらいいのか、ずっと考えている。

人生は不連続の連続でつながっている。
過去にしばられるものだ。
だから、次につながるような終わり方にしたい。

『帝都衛星軌道』は、人間描写が非常に優れていると同時に、
社会の「うごめき」のような得体の知れない空気があって、
今日読むには、本当にぴったりの一冊だったと思う。

そして、ボーッと台風中継を見てしまう。

となり町戦争

2009-10-06 23:18:33 | Weblog
三崎亜記著、集英社文庫

先日読んだ『廃墟建築士』が面白かったので、この本を読んだ。

作家さんのうち、たま~に、この人の読書の趣味は、
5~6割、私とかぶっているのではないか、と思う人がいる。
三崎さんは、私が勝手にそう思い込んでいる作家さんの一人。

Amazonに書かれているレビューを見ると、そんなに評価は高くないようだ。
でも、私からすると五つ星。
この人が本当に書きたかった点を強調するために、
あえてこれ以上は書かなかったのではないかと、
好意的に解釈した部分がかなりあった。

戦争を背景にしたメロドラマを望んでいるような人からは、
当然、評価が高くはならないだろうし、
読後スッキリしたい人には、もっと向かないだろう。

でも、私は、夜中の台風の実況テレビに、不謹慎にもワクワクしてしまう人間だし、
湾岸戦争の実況をテレビで見ながら、普通に美味しくご飯を食べていた世代だから、
自分や日常にある「怪物」のような何かを、
乗り越えたい、乗り越えなければならない、という気持ちはどこかにある。

でも、友人と語って考えを整理したり、
ちょっとした行動を起こしたりもするんだけど、
どうも手応えを感じることができなくて、スッキリできない、という気持ち。
しょせん、生きている人間は、死んでいった人の代弁をすることはできないのだ、
という無力感。

そんなことを、もう一度、心の中に浮かび上がらせてくれる、こういった本は、
本当に好きだなあ。

ちょっとした限界

2009-10-06 00:15:24 | Weblog
ある人がよく「モノを作ったことのない人は、作ってる人の苦労がわからないんだよ~」と言う。

それは、もっともだ。

いいや、もっと言うと、
他人の苦労はしょせん他人事だから、クリエイターだろうが、一国の総理だろうが、
幼稚園生だろうが、ほんとのところはわかるわけがない。

「私の苦労をなんだと思っているの!」と言いたがる人をみると、
「あ~、もうわかったから。えらい偉い。でも、しょせんは他人事だから」と
冷たく言い放ちたくなってしまう。
私は性格がひねくれているのだろう。

苦労していない人なんていないんだからさ。
世の中、苦労のタネは、それこそ人口よりも多いくらいあって、
その見え方も人それぞれなんだから。

そして、苦労に偉いも偉くないも、重要もへったくれもない。

だから「自分を特別な人間だと認めさせなければおさまらない」というような発言は、
カッコ悪いからしなければいいのに。
というよりも、しても意味がないと思う。

「自分は偉い、凡人とは違う才能をもっているのさ!」という自意識が見えた段階で、
周囲の人はその人に対する配慮をストップすると思う。
なんで、そんな見下してくる人のことを尊敬してやらねばならないんだ。と思うし、
そもそもあなたは、私のこともひっくるめて、凡人にはわかるまい!と決めつけているんだから、
それに抗って、そんなことないよ、わかるよ、なんて言ってもしょうがないしね。
そんなの気持ち悪い。と、私は非常に冷める。

そのあたりの私の心理すら想像できずに、そんな同意を求めて来る人に出会うと、
このあたりが、この人との付き合いでのちょっとした限界かもしれないな、と思う。

私も、違うところで似たような発言をしてしまわないように、気をつけよう。

『涅槃経』を読む

2009-10-05 20:55:50 | Weblog
ブッダ臨終の説。田上太秀著、講談社学術文庫

涅槃経のことだけではなく、仏教の根本的な考え方が、よくよくわかった。
ような気がする。
田上さんの文章は、本当にわかりやすい。

なんだかスッキリした。

これは、この本を読んだからなのか、別の理由からなのか。

とにかく、今日の昼間、同僚と話をしていたときに、
ふと、仏陀が苦行をやめたときの心境を、「もしかして、こんな感じ?」と思った。

ただまっすぐなだけの滅私、自己否定は、
自分への嫌悪感のあらわれであって、修行でもなんでもない。
ただ「呪い」のかたちを変えただけ。

そして、私が出会った人たちは、
その本分を全うしているという意味において、みんな尊い。
たとえ、その当人が、本分が何かを自覚していなかったとしても。

それなら、どうして私はこんなに他人に対してイライラしてしまうのだろう。
お釈迦様は、亡くなる前いったい何が見えていたんだろうなあ。

相変わらず迷っているけれども、今日は先週より、少し気分がスッキリしている。

このスッキリしている理由には、もうひとつある。
この前の連休で、友人のホームページのリニューアルを手伝った。
そのサイトが今日、アップされた。
YouTubeにもチャンネルをもった。

こういった1つひとつが、気持ちをスッキリさせてくれる。
ずっと「過程」だけが続く毎日は・・・、やはりつらい。

犬の気持ち

2009-10-04 21:36:01 | Weblog
プレスビー、あ、違う。
フリスビー、というものを、昨日はじめてやった。

賢い犬が「取って来い」をやるアレだ。
空気をまっすぐに切り裂く感じ。
微妙な弧をえがいて、急に失速する感じ、
なんだか、とてもおもしろかった。

思わず走って追いかけたくなる。
犬には、たまらないだろう。

今日は、少し筋肉痛。
これがまた、気持ちいい。

ここのところ、『涅槃経』を読んでいる。
どうやら私は、仏陀によるいろいろなたとえ話が好きなようだ。
そして、華厳経や先日読んだ維摩経のように、
多くの菩薩や人が登場して、繰り広げる会話がおもしろい。

昨日、少し体を動かして、頭の中がすっきりした。

よし、そろそろ決めるか。

失恋は、ときに重要

2009-10-02 11:00:47 | Weblog
仕事をしていると、よく「このプロジェクトには、この人が絶対必要」と思う。
この場合、仕事内容が目立つかどうかは、あまり問題ではない。
存在感というものは、けっこう誰にでもあるから。

たまに「あなたはいないでくれ」と思う人もいるけど、
おかげで周囲が一致団結することもあるから、あえてここでは考えない。

そして、意外とメンバーというのは、流動的だ。
それぞれに個性があるのだから、「いい」と思った体制を、
そう長く続けられるものでもない。

人は、うつりかわっていくものだし、社会もうつる。

誰かが「抜ける」と言ったとき、また距離をおきたがっていると感じたとき、
周囲の人がどんなふうに行動するか。

私は「失恋」と同じように受けとめることにしている。
私の人生には、絶対にあなたが必要だと思っているけど、
でも、それがあなたにとっては、そうでないのなら、
泣こうがわめこうが、もうしょうがない。
じっと耐えるしかない。いずれ時が解決してくれるだろう。
そんな感じ。

これまで「失恋」したときに、「もう死んでしまいたい」と思ったとしても、
いま実際に生きている。
ということは、心の奥底では死ぬ気も、死ぬ勇気もなかったわけだ。

仕事は、時に恋愛と同じくらい、人生にとって大きい存在だけど、
「失恋」くらいで、死ぬことはないさ、と思う。
多額の借金がある、というような場合は、また違う気持ちになるだろうけど、
たいてい、そこまで深刻なことは起きない。
まして、会社は家族ではないし、同僚は恋人でもない。

別れ話を持ちかけられて、思わずつきまとってしまう人や、
逆に、それを期待して、別れ話を持ち出すような人を見ると、
いい失恋経験、というのを若いうちにしておくのは、
ときに重要なんだなあ・・・、と思う。

『維摩経』『勝鬘経』

2009-10-01 20:19:55 | Weblog
現代語訳大乗仏典、中村元著、東京書籍

在家仏教の代表的経典だということなので、
もしかしたら、私にも近づけるようなことが書いてあるのではないかと思い、
夜、寝る前に少しずつ読み進めた。

1日のおわりに仏教の本を読むと、本当に心が穏やかになる。

維摩さんと菩薩さんたちとの問答は、どれもこれも「とんち」がきいている。
機会があったら、私もこんな会話を横で聞いていたいものだ、と思うけど、
もしかしたら、ふだんしている何気ない会話も同じようなのかもしれない。
よく聞き、よく考えれば、そこらじゅうに菩薩さんや維摩さんがいると
感じることができるのだろうか。

いいや、それは無理だなあ。

そもそも、経典の内容を、本当に理解できているかというと、
ひいき目に見ても、たぶん3割くらいしかわかっていない。
言葉は平易だけど、行間に含んでいることがとても多いし、
脳のスペックがついていかない論理的なことが多い。

あと思うのは、
もし実際に維摩さんのような人が私の周囲にいたら、
きっと、「屁理屈が好きな人だなあ」と思って、あまり近づかない。
仏陀だって、かなりの変人だ。
たぶん・・・、遠巻きに眺めるだけだろう。

そう思うと、私が今日、居心地悪いなあ・・・、と思った仕事での会話も、
もし文字にして発表したら、ものすごい真理の言葉として、
ある見抜ける人が、ありがたがるのかもしれないなあ。
でも、思い出すだけでゲンナリするから、私には無理なんだなあ。やっぱり。

ただ言えるのは、
そのゲンナリする会話を聞きながら、
そこに含まれている意図を、100パーセント理解しているわけではない、と自覚していた。
そして、その会話の裏にある「せめぎ合い」が、正直めんどうだ、
と嫌悪感をもってしまった、ということだ。

裏にあることを知った気になったとしても、その時はスッキリするかもしれないけど、
それが当たっているかは、やはり確かめようがない。
そして、裏にあること、というのは、暗い部分であることが多いので、
知ろうとしないほうが、かえっていい場合もある。
お互いに、せっかく包んでいるんだから。

でも、会話をしていたら、釈然としないまま進めるのは、
気分がわるいじゃないか。

ああ、そうか。そういう会話には参加しなければいいんだ。