豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

講演会

2006年08月08日 | Weblog
先のオープンキャンパス。
お付きの母の目的は、訪れる学校で行われる千住博さんの講演会でした。

かなり以前に、ニューヨーク近代美術館の中の絵を紹介されていたのを雑誌で見てとても気になっていた方でした。バイオリンの千住真理子さん、作曲家の千住明さんのお兄様です。今回プロフィールを拝見すると、1958年生まれだとか。ぐっと親しみが湧いてきました。

ステージの上にパネルを屏風状に立てて、実際に絵を描きながらの講演でした。

まず、初めにおっしゃったこと。
芸術ってなんでしょう?

導かれた答えは「伝達すること、伝達しようとすること」でした。
誰かとコミュニケーションをとることが芸術であると。


最初の問いかけは、「芸術とは何かがわかる、芸術の横綱とは何でしょう?」でした。
何かなあ・・・
日本画家の方だから、やはり彫刻というよりも絵かなあと思っているうちに、意表をつく言葉が出てきました。

いわく、「それは、料理です!」。
つまり、素材のよいところをどう引き出そうか、どう扱おうかと考えをめぐらすこと。そして、完成したものを誰かに食べてもらおうとすること。料理の一連の活動そのものが芸術であると言われたのでした。

「ほ~っ。そんなものかな?」と、なんとなくきつねにつままれた感じ。

千住さんもたいへん尊敬されているご様子だった岡本太郎さんは、職業を聞かれたときに「人間」と答えられていたそうです。奇をてらったような物言いですが、実はかなり本気だったのではないでしょうか。すなわち、岡本太郎さんは自分を芸術家とは思っていらっしゃらなかったのではないかと。なにか伝えたいものがあるから、それが作品として形になってしまう・・、そういう風に自分が生きている人間である限り、やむにやまれない伝えたいという衝動を抑えられない方だったような気がしました。

芸術とは、何かを誰かに伝えようとするところに生まれるもの全てであるということ。そして、美しさと単にきれいであるということは別のものであるということ。きれいでなくても美しさというものはあるのだと。

そんなお話をされながら、千住さんは、滝の絵を描いて行かれました。描くというよりも吹き付ける・・・かな?
建築用のエアスプレイに白い胡粉(=牡蠣殻などを細かく砕いたもの)を入れて、それを黒いキャンパスに吹き付けるという描き方。従来の日本画のイメージを一新する手法ですね。また、日本画で使用する画材の素晴らしさも紹介してくださいました。絵の具に当たるものは石を砕いたもの、天然のミネラルなのだそうです。それに非常にパワーを感じるとも言われました。化粧は「コスメティック」。もともと宝石を表す言葉だそうです。宝石で身を飾ることが化粧の先がけ。呪術的な意味もあったようですね。
石のパワーが作用するのか、日本画家には長生きが多いですよと言われていました。確かに奥田元宋さん、小倉遊亀さん、そして片岡球子さんといった方が思い出されます。
今から始めるなら、日本画!でしょうか。

滝から流れ落ちる水流を表すのに、千住さんは下から上に向かって、エアスプレイを動かされていました。そのほうがまっすぐな線が描けるのだそうです。
鍾乳洞で見かける石のつららのような形の水流を何本か絶妙な配置で描かれました。そして、パネルを寝かされたりスプレイの動きを緩めたり早めたりしてニュアンスの違う数本を付け加え、さらに飛沫を加えていかれると、目の前に水しぶきをあげて流れ落ちる立派な滝が出現していました。
一時間半が二時間に伸びた講演会でしたが、どこでも寝られるワタクシも見事に起きておりました。
なかなか経験できないことに遭遇できて、母も満足のオープンキャンパスでございました。目指せ、美しさ!です。

横で、竜子は前日の疲れもあってぐっすり・・