豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

ぬいちゃん

2006年08月26日 | Weblog
外国のお話の中には、ぬいぐるみをずっと抱っこしている子どもたちが出てきたりします。
その持ち主にとってはぬいぐるみは単に玩具ではなく、特別な存在であるようです。

このことは、新井素子さんのぬいぐるみに関するエッセイを読んだときに初めて納得がいきました。
ぬいぐるみ・・新井さんの言うところの「ぬいさん」は、生きているのです。
それは、その筋の人には当然の話なのでした。
その筋とは、あの筋ではなく、ぬいぐるみと会話のできる人たちのことです。

長女の虎子もそういう子どもでした。
初代のぬいさんは、うさぎ。
私が学生時代に友達からもらっていたものです。どういうわけか虎子のお気に入りとなり、物心つくまでずっとその「うさし」は彼女のそばにいました。
眠たくなると、鼻と鼻をこすりあわせてふむふむしています。
後に聞いてみると、それは一日のあれやこれやをうさしさんに報告していたとのことでした。

そばにおいているので、だんだんぬいちゃんの様子がおかしくなってきます。あちこちがぼろぼろになり、果ては分解が始まります。
とうとうどうしょうもなくなったときになんとか虎子を説得し、二代目を探しに行きました。デパートのぬいぐるみ売り場で見つけた二代目はあざらしの「みーちゃん」。
このみーちゃんにも本当にお世話になりました。
相変わらず朝な夕なに語りかけ、かたわらにはべらせていました。この二代目くんも程なく分解しはじめ、私からかなり強引な修理を施されて何度も復活しました。

どうしようもなくなったときに、やってきたのがパスタくんです。
この子は、本当に生きている犬でした。

みーちゃんはどうなったのか・・?

虎子に聞くとみーちゃんはある日パスタが来る少し前にいなくなったのだそうです。実際になくなったわけではありません。
顔がそれまでとはまったく違ったのだと。
私たちが見ていたぼろぼろのアザラシの顔は虎子には例えようもないほど愛らしく生き生きとみえていたようです。

今でも大真面目でそのときの話をする虎子です。
あくまでも実感として話してくれました。
世の中には、なにか不思議なものが見えてしまうという方もいらしゃるようですが、それと同じようなことが、起こっていたのかもしれませんね。

どうしてぬいぐるみにそこまで執着していたのか。
専門家に尋ねれば、なにか名前を付けられそうで怖いです。
虎子は自分なりに何かを克服していたのかもしれません。