豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

「さくら」

2007年03月02日 | Weblog
桜ではなくて、犬の名前です。
雑種のメス犬に付けられた名前が本の題名になっていました。
ゴジ健さんが紹介してくださっていた「きいろいゾウ」の作者、西加奈子さんの作品です。

娘の受験に付き添って行くときに、なかなか読めなかった本をたくさん持っていこうと心ひそかに楽しみにしていたのですが・・。
結局、読むことができたのは新書が一冊とこの「さくら」だけでした。
しかも、最後は帰りの新幹線の中という有様で、落ち着いて本を読むという目論見は見事に計画倒れに終わってしまったのでした。


ある一家の長い一日。振り返ってみれば、リアルタイムで進行しているのはその一日だけで、物語の多くは、主人公の回想であったと後から気がつくわけですが、いろんな意味で濃い家族の振れ幅の大きい物語でありました。
この日は、大晦日。家を捨てて出て行った父親が久しぶりに帰宅する・・という便りが届き、下宿先で彼女と年末年始を過ごそうと思っていた主人公が帰省することを決める。それは、久々に愛犬さくらに会えるという楽しみも併せ持つものなのだ、というよくわからない状況から物語は始まります。

主人公は、大学生の次男。個性的な家族の中では、外見も中身もきわめて平凡で地味なキャラクターとして存在しています。出会った人を引き付けてやまない魅力を持った長男。人目を引く美しさを持つ彼らの妹。この三人の両親である一組の愛情あふれる夫婦。そして、この一家に加わる犬の「さくら」の5人と一匹で構成された家族の暮らしぶりは、波乱万丈というわけではなく、傍から見ると極めて平凡な日常の連続です。それが、ある理由で断ち切られた時に現れた混乱が、一人一人を打ちのめし、いったん家族はさまざまな方向を向いて別々に走り出してしまいます。甘くやさしいベールに包まれていた柔らかな植物が、ベールがはがれたととたんにあっけなく凍りついてしまったようなものですね。同じように苦しい気持ちを抱いていた読み手である私も、この先どうするのよと混乱してしまうくらいの状況です。でも、支えきれない悲しみにとっぷりつかった後に、落ち着いて目をあければ、凍っていたはずの地面にかすかに何かが芽吹いている・・・そんな感想が湧いてくる結末が待っていました。凍った家族の溶解は、さくらの不具合がもたらしたものでした。それも家族の幸せの象徴がこの犬であったということの確認なのかもしれません。

決してハッピーなお話ではないのに、そこはかとない希望を感じる不思議なお話。
太陽のような母や兄が中心であったと思えていた家族の幸せは、実は大人しくて目立たない父親が担っていたのだ・・と、主人公が述懐する場面がありますが、この家族が思い切り空中分解できたのは、この幸せなひとつのかたまりを静かに見つめていた主人公の存在があったからではないかとも思いました。幸せの象徴は犬の「さくら」でした。でも、大きく揺らぐ家族の中で、やじろべえの支点となっていたのが次男であったといえるのかもしれません。

久々に物語の中で生きる時間を楽しんだ「さくら」でした。
しばらく、この世界に浸っていたくて次の本を手に取るのをためらっています。
しかし、どなたにもお薦めの本というよりは、出会われればどうぞという感じですね。とても印象的な心に残る一冊ではありました。