豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

アルゼンチンババア鑑賞

2007年03月25日 | Weblog
買い物に街に出るついでに、久々に家族揃って映画鑑賞をしました。
よしもとばななさん原作の「アルゼンチンババア」です。最近のほとんどの作品を見尽くしている虎子のまだ見ていない映画を探すと、そうなりました。母は、もとから是非見たいと思っていましたし、竜子は何でもいいよ。父は、鈴木京香さんが見られるのかと大乗り気で出かけていきました。

さて、ここからは、期待していた母の感想です・・・。

YAHOO!JAPANまで巻き込んだ委員会を作って制作をしようと思った動機は何だったのでしょう。ビジネスとして成功する予測図は描けているのだと思いますが、伝えようとしたものを十分に受け取ったという充実感を味わうことは出来ませんでした。

かけがえのない愛する妻を病で失ったお父さんのアルゼンチンババアとの暮らし様は、他の何かと比較してその善悪を評価されるものではなく、それだけでそうあるべき姿だと位置づけられるものだということが描かれているのだろうと思っていました。
でも、期待ははずれ、原作には登場しないお父さんの妹の存在が、メルヘンともいうべき小説の設定に現実感を添え、それがなんとも中途半端な印象をもたらしているように感じました。
お父さんが打ち込んでいた曼荼羅の制作に関するくだりも、さらっと単なる一場面として描かれ、原作にあった物語の中心ともいうような役割は担わされてはいませんでした。
妻を亡くした人が、その悲しみのあまり事実を受け止められなくて、精神の破綻をきたす。その綻びを繕ったのが、非日常の世界を生きているような世間から疎まれている変わり者の汚いおばさんだった、という事実の中に含まれる、生きているということの核のようなものをもう少し見せて欲しかったなあと思いました。

「命短し、輝け、すべての人」ということなのだと思いますが、言葉で説明するのではなく映像で見せて頂きたかったと、勝手なことを思ってしまいました。
原作からその設定やエッセンスだけを抜き取って、まったく別なものを作るという制作の方法もこの頃はよくありがちです。その方がかえって映画としてのまとまりを高めている場合もあると思います。
今回は、かなり奇妙な小説が映画化されるということで、どう映像になっているのかという期待が高かっただけに、見るほうの私が原作にこだわりすぎているのかもしれませんね。

虎子の感想
「結局、お父さんが弱い人だったって話なのかな?」
竜子の感想
「・・・・・。」
父の感想
「よくわからなかったが、鈴木京香が美人だと言うのはよくわかった。」

以上。