豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

和風ケーキ

2006年08月18日 | Weblog
そういえば、最近というか、ここ十数年「夏ばて」というものをしたことがないような気がします。昔はしていたのかというと、その記憶すらないので、もしかすると未経験なのかもしれません。ともかく、夏痩せしたという方の話を聞くと、お気の毒にというよりはあやかりたい。

食欲の秋とは言うけれど、夏も何でも美味しいなぁ。
特にケーキはね、本当に別腹。



豪華なラインナップ。そのうち和風のケーキがこちら。



で、この夏の一押し。ものすごく美味しかったのがこれです。
白餡を主体にしたケーキ「ダンツィーツ」。
ご主人が修行に行かれていたウィーンの町の名前だそうです。
もともとは鳥の名前だとか。



もう、めちゃくちゃ美味しい!びっくりするほど美味しい!

解明すると上から、

オレンジピール入りの白餡のクリーム
チョコスポンジと普通のスポンジのミックス(洋酒が効いてる)
オレンジピール入りの白餡のクリーム
白餡のスポンジ
漉し餡とくるみの入った普通のスポンジ
チョコレートのスポンジ
オレンジピール入りの白餡のクリーム
普通のスポンジ

の、多層構造になっていました。
これを縦一直線にフォークをおろしていっぺんに食べると、もういろんな味が渾然一体として、なんともいえない美味しさ。

しかし、食べながらメモしたのにかなり曖昧ですね。
ここは、もう一度調査して、きちんとしたことを発表しなくてはなりません。



茗荷

2006年08月17日 | Weblog
最近、茗荷がことのほか美味しく感じられます。


昨日は山盛りの茗荷をてんぷらにして食べました。

その翌日、すなわち休み明けの今日。

午前中早くの来客を忘れていました。

休みボケか、茗荷の効能か?



今日もたくさんの茗荷がやってきました。




今晩は、新聞に載っていた豚の冷しゃぶを作りました。

乱切りにした茗荷を敷いた上にさっと熱湯で茹でて氷水にとった豚肉を並べてポン酢をかけるだけというシンプルな一品。

茗荷と豚肉とポン酢が記事にあるとおり絶妙な組み合わせでした。

さて、明日は何を忘れるのでしょうか。




ウサオ(2)

2006年08月16日 | Weblog
甥のウサオは、お菓子が大好き。
自分のプロフィールの好きなもの欄に「あんこ あんこ 和菓子 お菓子」と書くくらいですから半端じゃありません。大学一年生の男の子でもそういう風に書くのですね。
それはともかく、あんこはこしあん派。

彼の母である妹は、ことあるごとにひらすらこしあんを練っていました。
おはぎ、桜餅、あん餅、お汁粉・・・。
幼いころは、もみじ饅頭屋さんになるのだと言っていました。なぜなら、焼きそこない(多分、ないですね。今のシステムでは)を食べさせてもらえるから・・。

今年の春から、大阪で一人暮らしをしています。先日の竜子との関西行きでは、宿はウサオのところを利用しました。宿泊代は晩御飯!

どんなところに下宿しているのか興味津々。駅から少し歩くけど、こぎれいなアパート。空調設備も整ったしゃれたお部屋でした。
その日は、日中は35度以上の猛暑。しかし、部屋に着いたウサオが、まずしたことは、麦茶を沸かすこと。

ただでさえ暑い部屋は蒸し風呂状態です。
ウサオ、暑いよ・・・サウナみたい。
喉が渇いたよ・・・。
なんか飲ませて・・。

聞けば、クーラーはこの夏まだつけたことがないとのこと。ならば、協力してみようと思った傍らで、竜子があえいでいました。我慢できなくなった彼女は、とりあえずシャワーで体を冷やすことに。

石鹸が・・・ない。
しょうがないから、シャンプーで代用。
ウサオ・・!

結構広い部屋だけど、窓からの風だけではさすがに暑い。ぬるめの麦茶をいただき、今期初のクーラーをかけてもらい、なんとか眠りに着きました。

妹にも好きなことを言い、したい放題していたウサオが暮らし方に工夫をしている様子は、健気でもあり、おかしくもあり。
近くにあるコンビ二はほとんど利用しないで、ダイエーのタイムサービスにかけているそう。(うーん、だんなさんにはしたくないタイプだなあ・・。)

一人暮らし予備軍の竜子にも、よいお手本となりました。翌日、暑さ負けでよろける竜子を励ましながら京都で買った豆餅の味は、あんこ好きなウサオにも食べさせてやりたいものでした。

「また来るね」って別れてきましたが、おばちゃんは君の背中に生えてきた小さな羽を見逃さなかったよ・・。今が楽しくてしょうがないのだろうね。

体には気をつけて、がんばれ、ウサオ。




花火

2006年08月15日 | Weblog
念願のまん丸の花火をこの夏初めて観ることが出来ました。

宮島(厳島)の水中花火大会。もう二十数年続いていますが、目のあたりにしたのは初めてのことです。
知り合いの方のお宅にお邪魔して見せていただきました。
まだ早いうちから、島に渡るフェリーは大混雑。午後7時50分から始まる花火ですが、4時頃にはもうこんな人出です。
鳥居越しの花火は絶好のポイントらしく、カメラマンの三脚が干潟に並んでいました。


水中花火というくらいですから、海上に半円形に広がる花火が見事です。上空の丸い花火と組み合わせるととてもきれいで豪華でした。
でも、やはり、好きだったのは、夜空に一発ずつ上がっていく大きな花火。
火の球が、闇の中をぐんぐん昇って行き、それが一瞬ふっと消えた次の瞬間、ぱーっと大きな花が咲きます。光の花が最大値まで開いた瞬間にドンという大きな音。その後、闇の中にばらばらになった光のかけらが消えていきます。残るのは闇。
この一連の流れがなんとも美しかったです。




うえのの「あなご飯」。藤い屋の焼きたてのもみじ饅頭。


お正月とお盆・・・、二大膨張期の誘惑には、抗いがたいものがあります。




鯛そうめん

2006年08月13日 | Weblog
お盆や法事に振舞われるのが、鯛そうめん。

鯛をしょうゆと砂糖ベースで甘辛く煮て、その煮汁をお素麺にかけて食べる郷土料理です。
広島県全体で行われているものではなく、夫の実家あたりに伝わっている料理のようです。
これだけ、大きな物になると注文した魚屋さんが煮てくれます。小ぶりなものや切り身でも出来ますが、一匹丸ごとこうして煮ると格別な美味しさです。右は、一緒に注文したお刺身の盛り合わせ。ヒラメとはまちと蛸。特に蛸は今が旬なので美味しかったです。一時間塩もみをしたあとに茹でるのだそうですが、透明感があってみずみずしくていつもとはかなり違った味でした。この季節に広島にいらっしゃるなら是非お召し上がり頂きたいです!



これに鮎の塩焼きときゅうりとワカメの酢のものを加えて、お昼の献立でした。

11人なのに、間違えて12人分セッティングしてしまいました。
やはり、戻ってきているのかもしれませんね。



ミトコンドリア

2006年08月12日 | Weblog
ミトコンドリアのDNAには母の系譜が綴られている、のだそうです。

核のDNAは男女双方が複雑に交じり合うので、先祖をたどるには不都合なのだそうです。しかし、細胞にエネルギーを与える助けをするミトコンドリアのDNAは、男性側は精子とともに消滅してしまい女性側の卵子にのみ残るので、常に母系遺伝。すなわち、このDNAを遡れば女性側の先祖を辿っていくことが出来るのだそうです。NHKの子供向けの科学番組で取り上げられていた人類のルーツ探しの一節です。面白い話だなあと、その説明の明快さとともに心に残っていました。
もう一度、改めて説明しようとするとなかなか難しいですね。間違っていたら、ごめんなさい。

ともかく、このミトコンドリアのDNAの性質を利用して、母方を辿っていくと人類は一人の母に行き着くのだそうです。その名も「ミトコンドリア・イブ」。ただ、人類はこの一人の女性をのみ母としたのではなく、複数の母が想定されるようです。例えば、ヨーロッパ人は、7人の女性を母としているという具合です。

日本人のルーツも調べられていました。日本人の多くは、9人の母に辿り着くのだそうです。つまり、恵美子、由美、寧々、千恵、愛、幸、フフェイ、ガイア、イナ。この9人です。

すでに「DNAの母」を調べるシステムも整っているようです。DNAの採取キットを取り寄せてサンプルを送れば、自分の「母」が特定されるのだそうです。それにしても、いくら学術記号による命名とはいえ、フフェイさん、ガイアさんあたりがお母さんですと言われてもピンと来ないかもしれませんね。

何ゆえ、こういうことをしどろもどろ書いているのでしょう。
それは、この母系のルーツを示すともいうべき「印」が身近に存在しているのかもと思う事柄に出遭ったからなのです。
少し前に、紋付の着物を着る機会がありました。背中の中心についている小さな紋を見ていると、この紋が母の着物にも付いていたことを思い出しました。着物の紋は、代々母方の模様を娘が受け継いでいくことになっています。
つまり、私の紋は母や母の姉妹と同じものでして、父の姉妹達とは違うのです。
これは、まさに、紋がその人のミトコンドリアの種類を表す記号であることを示しているのではないでしょうか。

この風習は、尾張以西に多く見られる西日本に独特のものだそうです。「女紋(おんなもん)」と呼ぶそうです。家紋は、もともと合戦で手柄をあげたときにそれが誰によるものかをはっきり認識するために発達してきたものだそうです。女紋についてはいろいろな定義の仕方がありますが、主には女性の財産を峻別するため。また、魔よけのためなどを目的として発達してきたようです。
武家社会であった関東に対して、商家が力を持っていた西日本。娘の嫁入りに持たせる道具にこの紋を記し、嫁ぐ娘の財産であることを明確にすることに利用されてきたようです。離縁して実家に帰るときに婚家から財産を持ち出すのはご法度でしたから、最初から娘独自の財産であることを明確にしておこうという訳です。女性の立場が弱かった頃の用心とはいえ、用意のいいことではあります。

しかし、仮に女性の財産をはっきりさせるためだけだとしたら、家紋をつければ事足りたでしょうし、もっと個人的な模様でも構わなかったと思われます。
あえて女紋として独特に発達してきた模様を受け継いで行くことは、やはり、母系の絆を強調することで、揺ぎ無い安心感を娘に与え、その幸せを祈ったものであるとも考えられるのではないでしょうか。


お盆

2006年08月11日 | Weblog
この辺りはかつて安芸の国と呼ばれておりました。浄土真宗の信者が多く、それは安芸門徒と呼ばれるほどの一大勢力を形成しています。
この安芸門徒の勢力範囲だけでの風習でしょうか、お盆には色紙で作った灯篭を墓所に備えます。



六面に色紙を張り、金の飾りをし、ひらひらをつけた盆灯篭は、それは派手派手しく、何かのお祭りのグッズのようです。大きさはだいたい人の身長くらい。これを各自携えて他家のお墓にも参るので、お盆前には仏具屋さんはもちろんのことスーパーマーケットやコンビニにもごく普通に備えてあります。

街の中のお寺の裏にある墓地などでは、ひしめき合うように立て混んで、その一角だけ極彩色に彩られた様子は何のイベントかと思うほどです。

ただ、悲しいのが白い灯篭が林立するお墓。
初めての盆を迎えたお墓には、白色の灯篭をお供えする慣わしです。
また、新盆の家には、縁者が気持ちを込めて提灯を送ります。仏壇の左右にその提灯を燈し、盆には家に戻ってくるという魂を迎えます。
日本全国の、お盆の風習はそれぞれでしょう。迎える時期も様々なのかもしれません。この地の安芸門徒のお盆はこういう感じです。

このたび、うちはお墓に白い灯篭を迎えます。
まだ、どうしてそうなのか不思議な感じがするものの、去年までなかった名前が刻まれ、それが現実であることが確実になりました。
とても優しかった義父が亡くなってからまもなく四ヶ月です。


おめざ

2006年08月10日 | Weblog
今日、帰りにデパートの「おめざフェア」というのに行って来ました。

朝のワイドショーの中の一コーナーで紹介されるタレントさんのお気に入りの品が一同に会しているという催しです。
「おめざ」とは、確か朝起きて一番最初に食べる甘いもの。もともとは、朝まだ起きてすぐの頭がボーっとしている時に甘いものを食べると脳に糖が供給されて目覚めが良くなる、というものだったと記憶しています。
今はそれを越えて、好きな食べ物の紹介になっているような気がしました。

会場にはありとあらゆるお菓子や飲み物、甘いのから辛いのまでそれはたくさんの美味しそうなものがひしめいていました。
人気のコーナーには、かなりの列も出来ていました。あとで立ち寄った別の階のお店の店員さんも「早く行ってみたい!」と浮き足立っていたので、内部でも人気を呼んでいる催しなのだなあと感心してしまいました。
誰かのお気に入りを紹介してもらうのって、確かに楽しいですよね。

私が心動かされたのは、これ。

 
兵馬俑ケーキではありません。

BEAR CAKE 」のプレーンとミルクティー。桂三枝さんのお気に入りだそうです。
可愛すぎて、食べるのがちょっとかわいそうになります。特に、ミルクティーが美味しかったです。


そしてですね。よーく考えてみると・・。
常備しているお薦め「おめざ」があったのでした。毎月一箱ずつお取り寄せするようになったもの。



藤原竜也くんの「おめざ」です。


似てる?

2006年08月09日 | Weblog
似てるという指摘は、それぞれの主観が大きくモノをいうので、共感できないことも多いのですが・・・。



「美」という文字と毛虫さんが似ているというビーバーさんのご指摘で並べてみました。
なるほど。わからないでもないですね、この二つの共通性は。
「美」をまさに体現しているのでしょうか。


「似てる?」もの、もう一つ。

毎晩お世話になっているシャワーヘッド。

ある日、これがある物(というのも畏れ多いのですが・・)に見えてからは、もうそれに見えてしまってしょうがないというものがあります。
それがこれ。
お姿は、映画でマザー・テレサを演じられたオリビア・ハッセーさんです。



毎晩、マザーの前に頭を垂れ、一日の我が身を省みる日々でございます。



講演会

2006年08月08日 | Weblog
先のオープンキャンパス。
お付きの母の目的は、訪れる学校で行われる千住博さんの講演会でした。

かなり以前に、ニューヨーク近代美術館の中の絵を紹介されていたのを雑誌で見てとても気になっていた方でした。バイオリンの千住真理子さん、作曲家の千住明さんのお兄様です。今回プロフィールを拝見すると、1958年生まれだとか。ぐっと親しみが湧いてきました。

ステージの上にパネルを屏風状に立てて、実際に絵を描きながらの講演でした。

まず、初めにおっしゃったこと。
芸術ってなんでしょう?

導かれた答えは「伝達すること、伝達しようとすること」でした。
誰かとコミュニケーションをとることが芸術であると。


最初の問いかけは、「芸術とは何かがわかる、芸術の横綱とは何でしょう?」でした。
何かなあ・・・
日本画家の方だから、やはり彫刻というよりも絵かなあと思っているうちに、意表をつく言葉が出てきました。

いわく、「それは、料理です!」。
つまり、素材のよいところをどう引き出そうか、どう扱おうかと考えをめぐらすこと。そして、完成したものを誰かに食べてもらおうとすること。料理の一連の活動そのものが芸術であると言われたのでした。

「ほ~っ。そんなものかな?」と、なんとなくきつねにつままれた感じ。

千住さんもたいへん尊敬されているご様子だった岡本太郎さんは、職業を聞かれたときに「人間」と答えられていたそうです。奇をてらったような物言いですが、実はかなり本気だったのではないでしょうか。すなわち、岡本太郎さんは自分を芸術家とは思っていらっしゃらなかったのではないかと。なにか伝えたいものがあるから、それが作品として形になってしまう・・、そういう風に自分が生きている人間である限り、やむにやまれない伝えたいという衝動を抑えられない方だったような気がしました。

芸術とは、何かを誰かに伝えようとするところに生まれるもの全てであるということ。そして、美しさと単にきれいであるということは別のものであるということ。きれいでなくても美しさというものはあるのだと。

そんなお話をされながら、千住さんは、滝の絵を描いて行かれました。描くというよりも吹き付ける・・・かな?
建築用のエアスプレイに白い胡粉(=牡蠣殻などを細かく砕いたもの)を入れて、それを黒いキャンパスに吹き付けるという描き方。従来の日本画のイメージを一新する手法ですね。また、日本画で使用する画材の素晴らしさも紹介してくださいました。絵の具に当たるものは石を砕いたもの、天然のミネラルなのだそうです。それに非常にパワーを感じるとも言われました。化粧は「コスメティック」。もともと宝石を表す言葉だそうです。宝石で身を飾ることが化粧の先がけ。呪術的な意味もあったようですね。
石のパワーが作用するのか、日本画家には長生きが多いですよと言われていました。確かに奥田元宋さん、小倉遊亀さん、そして片岡球子さんといった方が思い出されます。
今から始めるなら、日本画!でしょうか。

滝から流れ落ちる水流を表すのに、千住さんは下から上に向かって、エアスプレイを動かされていました。そのほうがまっすぐな線が描けるのだそうです。
鍾乳洞で見かける石のつららのような形の水流を何本か絶妙な配置で描かれました。そして、パネルを寝かされたりスプレイの動きを緩めたり早めたりしてニュアンスの違う数本を付け加え、さらに飛沫を加えていかれると、目の前に水しぶきをあげて流れ落ちる立派な滝が出現していました。
一時間半が二時間に伸びた講演会でしたが、どこでも寝られるワタクシも見事に起きておりました。
なかなか経験できないことに遭遇できて、母も満足のオープンキャンパスでございました。目指せ、美しさ!です。

横で、竜子は前日の疲れもあってぐっすり・・