山部赤人
田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
前回の柿本人麻呂と並び称される歌聖。歌仙と称されることもある。
ただ、人麻呂が、その歌の数々から高級官吏に見受けられるのに対し、こちらは下級官吏と見られている。
歌には日本各地の情景を取り入れたものが多い。
歌が残された時代から聖武天皇(54代)期と思われるが、公式記録には一切名前が見当たらないことから結局どういう人なのかは謎に包まれている。
赤人の歌にも天皇賛歌とよぶべきものが結構あるが、聖武天皇の時代は藤原氏が台頭し、また国中に疫病が蔓延したために大仏建立が行われたり、墾田永年私財法により土地の私有が認められるなど、鎌倉時代まで続く日本の貴族政治の根幹ができた時代でもある。
田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
前回の柿本人麻呂と並び称される歌聖。歌仙と称されることもある。
ただ、人麻呂が、その歌の数々から高級官吏に見受けられるのに対し、こちらは下級官吏と見られている。
歌には日本各地の情景を取り入れたものが多い。
歌が残された時代から聖武天皇(54代)期と思われるが、公式記録には一切名前が見当たらないことから結局どういう人なのかは謎に包まれている。
赤人の歌にも天皇賛歌とよぶべきものが結構あるが、聖武天皇の時代は藤原氏が台頭し、また国中に疫病が蔓延したために大仏建立が行われたり、墾田永年私財法により土地の私有が認められるなど、鎌倉時代まで続く日本の貴族政治の根幹ができた時代でもある。