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【小倉百人一首】4:山部赤人

2014年06月02日 04時54分18秒 | 小倉百人一首
山部赤人

田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ

前回の柿本人麻呂と並び称される歌聖。歌仙と称されることもある。
ただ、人麻呂が、その歌の数々から高級官吏に見受けられるのに対し、こちらは下級官吏と見られている。
歌には日本各地の情景を取り入れたものが多い。

歌が残された時代から聖武天皇(54代)期と思われるが、公式記録には一切名前が見当たらないことから結局どういう人なのかは謎に包まれている。

赤人の歌にも天皇賛歌とよぶべきものが結構あるが、聖武天皇の時代は藤原氏が台頭し、また国中に疫病が蔓延したために大仏建立が行われたり、墾田永年私財法により土地の私有が認められるなど、鎌倉時代まで続く日本の貴族政治の根幹ができた時代でもある。

【小倉百人一首】3:柿本人麻呂

2014年06月02日 02時50分15秒 | 小倉百人一首
柿本人麻呂

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む

前回の持統天皇でもちょっと触れたが、古代日本の、そして万葉集における最高の歌人。
なぜ最高かというと、その歌の格調高さや、数多くの枕詞の開発(?)もしており古今和歌集の仮名序でも「歌聖」と記載されている。

が、おもしろいことに百人一首に収録されているこの歌は本人が作ったのではないというのが定説。ちなみに歌自体は『拾遺集』から採られている。

その生涯も謎に包まれており、生存していた天武・持統・文武と天皇の権勢が絶頂期の時代を反映してか、天皇=神という皇室の賛歌ともいえる歌が多く、宮廷歌人的なポジションの可能性が高い。
当時の記録の中に柿本人麻呂の名は見当たらないが、柿本姓の人名はあることから、こいつじゃないかという説はある。

終焉の地についても確定はしておらず、彼が詠んだ辞世句が石見国の内容であることから、ここが終焉の地と目されているが新史料でもでない限り永久に不明のままだろう。

ちなみに明治の歌人・正岡子規は『歌よみに与ふる書』という全10回の新聞連載の中で、『万葉集』と源実朝の私選集である『金塊和歌集』を理想とし、後の歌人たちのバイブルともなった『古今集』を徹底的にこきおろしている。
で、この人麻呂の歌については「前置の詞(ことば)多けれど、あれは前置の詞長きために夜の長き様を感ぜられ候」と一応褒めている。
子規の評は個人的な好みが出すぎてて当時から賛否両論あったらしいが、読んでみるとどうも子規は写実的かどうかという点を非常に重視しており、例えば序詞や枕詞などのテクニックに走ったり、主観的な景色を歌って客観的に「そんな景色ありえないだろ」というような歌はどれだけ格調高くても嫌いなようだ。百人一首に掲載されている歌もいくつか槍玉にあげられているのでそのうち紹介。