小野小町
花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに
いわずと知れた”世界三代美女”の一人である(たぶんこの呼称は日本限定だと思うが)。おそらく日本史上最高の美女といってよいだろう。
前回の喜撰同様、六歌仙の一人に入っており、選者の紀貫之は
小野小町は古の衣通姫の流なり。あはれなるやうにて強からず。いはば、よき女のなやめる所あるに似たり。
強からぬは女の歌なればなるべし。
(小野小町は昔の衣通姫の流れを汲んでいる。その歌はあはれ(しみじみとしてる)ようで強くはない。
言ってみれば悩みのある美女に似ている)
ここで衣通姫はなんだ?という疑問にぶつかると思うが、衣通姫とは「衣を通り抜けるほどの美しさ」の姫の意で具体的には允恭天皇(19代)の皇女・軽大娘皇女をさす。この皇女は実の兄と恋に落ちてしまい、それが発覚して伊予へ流罪になった兄を追い、二人で自害したという伝説がある。
ようするに絶世の美女であることは紀貫之も認めているのだ。
ただ、素性についてはまったくといってよいほどわかっておらず、生地が秋田といわれているがそれも確証はない。ただし仁明天皇(54代)の頃の実在の人物である文屋康秀が三河に赴任した際、視察にこないかと誘われた小野小町が返した歌があるので実在の可能性は十分ある。
わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ
この時代、女性の本名が残ることは滅多になく、皇族か天皇の母となった人が系図に名を残すのみ、といってよいほど。
なので小町も名前ではなく、官職名ですらない。小町という呼び方自体も歴史の謎となっている。
当時の更衣(天皇の側妾)が「町」と呼ばれる部屋を与えられて○○町と呼ばれたのは事実なので、小野小町もその類かもしれないが、それでも「小町」は他に例がないので、この説を採るならもう一ひねり推理が必要だ。
ただ、この意味不明な小町が地域限定美人の代名詞である○○小町という通称が定着したのは不思議である。
花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに
いわずと知れた”世界三代美女”の一人である(たぶんこの呼称は日本限定だと思うが)。おそらく日本史上最高の美女といってよいだろう。
前回の喜撰同様、六歌仙の一人に入っており、選者の紀貫之は
小野小町は古の衣通姫の流なり。あはれなるやうにて強からず。いはば、よき女のなやめる所あるに似たり。
強からぬは女の歌なればなるべし。
(小野小町は昔の衣通姫の流れを汲んでいる。その歌はあはれ(しみじみとしてる)ようで強くはない。
言ってみれば悩みのある美女に似ている)
ここで衣通姫はなんだ?という疑問にぶつかると思うが、衣通姫とは「衣を通り抜けるほどの美しさ」の姫の意で具体的には允恭天皇(19代)の皇女・軽大娘皇女をさす。この皇女は実の兄と恋に落ちてしまい、それが発覚して伊予へ流罪になった兄を追い、二人で自害したという伝説がある。
ようするに絶世の美女であることは紀貫之も認めているのだ。
ただ、素性についてはまったくといってよいほどわかっておらず、生地が秋田といわれているがそれも確証はない。ただし仁明天皇(54代)の頃の実在の人物である文屋康秀が三河に赴任した際、視察にこないかと誘われた小野小町が返した歌があるので実在の可能性は十分ある。
わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ
この時代、女性の本名が残ることは滅多になく、皇族か天皇の母となった人が系図に名を残すのみ、といってよいほど。
なので小町も名前ではなく、官職名ですらない。小町という呼び方自体も歴史の謎となっている。
当時の更衣(天皇の側妾)が「町」と呼ばれる部屋を与えられて○○町と呼ばれたのは事実なので、小野小町もその類かもしれないが、それでも「小町」は他に例がないので、この説を採るならもう一ひねり推理が必要だ。
ただ、この意味不明な小町が地域限定美人の代名詞である○○小町という通称が定着したのは不思議である。