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【小倉百人一首】22:文屋康秀

2014年06月13日 14時19分20秒 | 小倉百人一首
文屋康秀

吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ

六歌仙の一人。最後の一人大伴黒主は百人一首には選ばれていないので、紹介はこれが最後になる。
さて、紀貫之の評では

 言葉はたくみにてそのさま身におはす。いはばあき人(商人)のよき衣着たらむがごとし

 (言葉は巧みだが商人の華美な衣のようだ)

ということで技術は褒めてるが中身をけなしている。
下の句を現代語訳すると「なるほど、山から吹きおろす風を嵐というのであろうか」になり遊び心がある印象を受ける。
ちなみに嵐は「荒らし」の掛詞になっており、草木が萎れるほど荒らす風の強さを表現している。

さて、この文屋は下級官人ではあるが歌人としての評価は高かったらしく皇族に召されて交流しているらしい。
もっとも有名なエピソードは三河に赴任した際、小野小町に、現地に誘ったことだろう。それに対する小町の返歌は

 わびぬれば身をうき草の根に絶えて 誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ

というもの。

それとこの文屋は三十六歌仙には入ってないが中古三十六歌仙には入っている。この中古三十六歌仙とは藤原公任が三十六歌仙を選んだ時期から約100年後に歌学者として名高い藤原範兼が三十六歌仙に入らなかった人を選んだもの。もちろん三十六歌仙以後の歌人も入っている。この36人のうち半分の18人が百人一首の歌人。

【小倉百人一首】21:素性法師

2014年06月13日 11時56分34秒 | 小倉百人一首
素性法師

今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな

前に登場した遍照が出家前に生んだ息子。素性と書いて「そせい」と読む。本名は良岑玄利というのが有力。
父の命で出家したらしい。それまでも歌人として名をはせており、この歌も出家前に詠んだ歌である。
歌人としてはかなり当時の評価は高かったらしく、宇多天皇(59代)の歌会にもたびたび招待されたりしてるし、歌会の主催もよく行っている。

宇多のあとを継いだ醍醐天皇の勅命による勅撰和歌集『古今集』では全1111首のうち36首が収録されている。数だけみるとたいしたことなさそうだが、実は4人の編者を除けば最多入選なのである。
872年、人臣摂政の道をひらいた藤原良房が死去するが、それを悼んだ歌が『古今集』に収録されている次の歌である。

 ちのなみだ おちてぞだぎつ 白川は 君が世までの 名にこそありけれ

白川は良房が葬られた場所。