文屋康秀
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ
六歌仙の一人。最後の一人大伴黒主は百人一首には選ばれていないので、紹介はこれが最後になる。
さて、紀貫之の評では
言葉はたくみにてそのさま身におはす。いはばあき人(商人)のよき衣着たらむがごとし
(言葉は巧みだが商人の華美な衣のようだ)
ということで技術は褒めてるが中身をけなしている。
下の句を現代語訳すると「なるほど、山から吹きおろす風を嵐というのであろうか」になり遊び心がある印象を受ける。
ちなみに嵐は「荒らし」の掛詞になっており、草木が萎れるほど荒らす風の強さを表現している。
さて、この文屋は下級官人ではあるが歌人としての評価は高かったらしく皇族に召されて交流しているらしい。
もっとも有名なエピソードは三河に赴任した際、小野小町に、現地に誘ったことだろう。それに対する小町の返歌は
わびぬれば身をうき草の根に絶えて 誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ
というもの。
それとこの文屋は三十六歌仙には入ってないが中古三十六歌仙には入っている。この中古三十六歌仙とは藤原公任が三十六歌仙を選んだ時期から約100年後に歌学者として名高い藤原範兼が三十六歌仙に入らなかった人を選んだもの。もちろん三十六歌仙以後の歌人も入っている。この36人のうち半分の18人が百人一首の歌人。
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ
六歌仙の一人。最後の一人大伴黒主は百人一首には選ばれていないので、紹介はこれが最後になる。
さて、紀貫之の評では
言葉はたくみにてそのさま身におはす。いはばあき人(商人)のよき衣着たらむがごとし
(言葉は巧みだが商人の華美な衣のようだ)
ということで技術は褒めてるが中身をけなしている。
下の句を現代語訳すると「なるほど、山から吹きおろす風を嵐というのであろうか」になり遊び心がある印象を受ける。
ちなみに嵐は「荒らし」の掛詞になっており、草木が萎れるほど荒らす風の強さを表現している。
さて、この文屋は下級官人ではあるが歌人としての評価は高かったらしく皇族に召されて交流しているらしい。
もっとも有名なエピソードは三河に赴任した際、小野小町に、現地に誘ったことだろう。それに対する小町の返歌は
わびぬれば身をうき草の根に絶えて 誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ
というもの。
それとこの文屋は三十六歌仙には入ってないが中古三十六歌仙には入っている。この中古三十六歌仙とは藤原公任が三十六歌仙を選んだ時期から約100年後に歌学者として名高い藤原範兼が三十六歌仙に入らなかった人を選んだもの。もちろん三十六歌仙以後の歌人も入っている。この36人のうち半分の18人が百人一首の歌人。