先日、シンポジウム
「闘いとしての政治 信念としての政治」にいってきた。
パネリストは、野中広務さん(元自民党幹事長)、
森達也さん(ドキュメンタリー作家)、姜尚中さん(東京大学教授)。
シンポジウムのチラシには、次の案内が。
元自由民主党幹事長として日本政治の中核に位置し、また
数々の社会的な取り組みに尽力されてきた野中広努氏を迎え、
「政治家にとって信念とは何か」「戦後日本社会と自民党政治」
「社会的差別との闘い」といったテーマについて議論します。
野中広務氏の基調講演のほか、森達也氏(ドキュメンタリー作家)、
姜尚中氏(東京大教授)を交えたデイスカッションを予定しております。
「二大政党制の幕開け」が喧伝される現在だからこそ、自民党政治の
担ってきた社会的・政治的意味を再考し、「10年代」の課題を
模索する試みです。
会場は、東京大学情報学環 福武ホールラーニングシアター。
安藤忠雄さんの設計で2008年3月にできた
真新しくきれいなホールの地下2階にある。
いまや都心では少ない緑深い空間をつぶして
コンクリートのホールを、なんでいまさら建てたんだ?
という気がどうしてもしてしまう、謎のホールだった。
収容力はそれほど大きくないらしく、
シンポジウムは事前申しこみのうえ抽選となったようす。
「もしも当日これなくなった方は、参加をおことわりした方に
席をまわしたいから、できれば事前にその旨ご連絡ください」と
直前に事務局からメールがとどいたほど。
なのでその日、
めずらしく朝一から都内での仕事でクタクタになっていた身をひきずって、
それでも期待に胸をふくらませ、シンポジウムへむかった。
式次第はつぎのとおり:
1)開催者挨拶
2)野中広務氏基調講演
3)セッション1:政治と信念
4)休憩
5)セッション2:社会と正義。
紺の背広と白いシャツに青のネクタイをしめた野中さんは、
左手でマイクをもち、中央の壇上にたったまま基調講演をこなす。
ピンとはったその声からは、
今年84歳になるといわれてもにわかには信じがたい。
後半のセッションは、
3名のパネリストが壇上にすわり、
東京大学准教授の北田暁大さんのコーディネートですすめられた。
セッションでの印象的な質疑内容をすこしご紹介(以下、敬称略)。
*****
姜「戦争を二度とおこすようなことはしたくない、というのが
信念のベースにあるようだけれど、…
権力の源泉はどこにあるとお考えか?」
野中「私はわたしなりに、自分が片付けておかなければならないことを
自分がそのポストにいる間にやっておきたいと(思っていた)」
北田「その状況その状況でやるべきことをやる、というのが
(野中さんの)お話だったかと思います」…
姜「戦後日本の注目すべき政治家は保守政治家ではないか。
いまの時代に、何を守り何を変えていくのかが、有権者に
伝わっていないのではないか。野中さんは『保守』について
どういうお考えか?」
野中「守るべきは平和。反戦。国民を中産階級にしておくこと。
これが、自民党が守ってきたものだ。でも、だんだんと
戦争のむごたらしさ、日本がやった戦争の傷跡が忘れられている…」
野中「われわれの時代の『保守』と、
海外に自衛隊が出て行っているのをよしとするような今の時代の『保守』を、
同じとみなすのは、本当にいやなんです」
野中「本当に良識があれば、憲法一条はそのままに、
二条で自衛隊をきちんと位置づけて『専守防衛』と明示して、
海外にはいかない、とするべきだ。でもそんなことをいうと、
いまの『保守』政治家たちに笑われる」…
姜「野中さんの両義性が鍵ではないか。野中さんのやった役職は
旧内務省の管轄かとおもう。野中さんのパワーの源は『情報』じゃないか。
情報は『情』の『報』、情をしるということ。被差別出身の野中さんが
日本の情報の中枢をしる、被差別出身でありながら日本のセキュリティ、情報を
になう、そこが野中さんのユニークさだとおもう。
情報について、野中さんなりの考えがあれば聞かせてほしい」
野中「そんな高邁な考え方でそういうポストについたのではないんです。
地方からでてきて初めて国会にいったとき『なんていい加減なところだろう』
と思った。でも、明治以来のこの国会を、私ごときに変えられるわけはない。
ただ、たったひとつできることはある。
自分の委員会には、自分は出席しつづけることだ。そう思ってそれを実行した。
そうしたら、NTT民営化法案の審議など重要法案の審議で
(出席率のいい人を入れようということで)、
情報の分野にはいるよう声がかかったのではないかとおもう」…
森「少数派である出自と、多数派の論理で動く政治家とは、矛盾すると思う。
苦しまれたことあったのではないですか?」
野中「おっしゃるとおりです。最初はイラクの問題。このときは
採決のときに退席しました。…自分の立場は立場としながら、
反対はしないで、退席という手段でしめしました」
*****
ほかに印象的だったのは、野中さんの次の発言。
「このあいだの事業仕分けは、わたしに言わせれば、
財務省の思惑どおりに運んだだけ。蓮舫議員や枝野議員のわきに
財務官僚がいて、助言をしてる姿がみられたでしょう。
メディアは、役人のシナリオにのらないようにしないと
日本の民主主義はいつまでたっても進歩しない」
「事業仕分けをみていて、『この民族は、どうしてこんなに
ひとつの流れのなかに埋没してゆくのだろう』と怖くなりました」
共感したのは、「こんな日本に誰がした」という野中さんの怒り。
ただ、それについてのご本人の解が「それは小泉純一郎です」
という一言だけだったのには驚き、思わず笑ってしまったけれど。
スゴイなと思わせられたのは、野中さんの目ぢから。
いくらキャパが大きくないとはいえ、200人程度は入りそうな会場内で、
まさか目があっているわけはないのに、それでもなぜか
「自分が睨まれているのではないか」と思えてきてしまう凄味があった。
シンポジウムは21時20分までつづき、それでも時間がたりないと思えるほど。
ただ、野中さんのキャラの濃さ・土の匂い・生き血流れる生身感を前に、
他の人たちは完敗という印象もうけた。
望みすぎかもしれないが、たとえば、司会を辛淑玉(しん・すご)さんが
やっていたらどうだっただろうと、思わず想像をめぐらせてしまう。
「闘いとしての政治 信念としての政治」にいってきた。
パネリストは、野中広務さん(元自民党幹事長)、
森達也さん(ドキュメンタリー作家)、姜尚中さん(東京大学教授)。
シンポジウムのチラシには、次の案内が。
元自由民主党幹事長として日本政治の中核に位置し、また
数々の社会的な取り組みに尽力されてきた野中広努氏を迎え、
「政治家にとって信念とは何か」「戦後日本社会と自民党政治」
「社会的差別との闘い」といったテーマについて議論します。
野中広務氏の基調講演のほか、森達也氏(ドキュメンタリー作家)、
姜尚中氏(東京大教授)を交えたデイスカッションを予定しております。
「二大政党制の幕開け」が喧伝される現在だからこそ、自民党政治の
担ってきた社会的・政治的意味を再考し、「10年代」の課題を
模索する試みです。
会場は、東京大学情報学環 福武ホールラーニングシアター。
安藤忠雄さんの設計で2008年3月にできた
真新しくきれいなホールの地下2階にある。
いまや都心では少ない緑深い空間をつぶして
コンクリートのホールを、なんでいまさら建てたんだ?
という気がどうしてもしてしまう、謎のホールだった。
収容力はそれほど大きくないらしく、
シンポジウムは事前申しこみのうえ抽選となったようす。
「もしも当日これなくなった方は、参加をおことわりした方に
席をまわしたいから、できれば事前にその旨ご連絡ください」と
直前に事務局からメールがとどいたほど。
なのでその日、
めずらしく朝一から都内での仕事でクタクタになっていた身をひきずって、
それでも期待に胸をふくらませ、シンポジウムへむかった。
式次第はつぎのとおり:
1)開催者挨拶
2)野中広務氏基調講演
3)セッション1:政治と信念
4)休憩
5)セッション2:社会と正義。
紺の背広と白いシャツに青のネクタイをしめた野中さんは、
左手でマイクをもち、中央の壇上にたったまま基調講演をこなす。
ピンとはったその声からは、
今年84歳になるといわれてもにわかには信じがたい。
後半のセッションは、
3名のパネリストが壇上にすわり、
東京大学准教授の北田暁大さんのコーディネートですすめられた。
セッションでの印象的な質疑内容をすこしご紹介(以下、敬称略)。
*****
姜「戦争を二度とおこすようなことはしたくない、というのが
信念のベースにあるようだけれど、…
権力の源泉はどこにあるとお考えか?」
野中「私はわたしなりに、自分が片付けておかなければならないことを
自分がそのポストにいる間にやっておきたいと(思っていた)」
北田「その状況その状況でやるべきことをやる、というのが
(野中さんの)お話だったかと思います」…
姜「戦後日本の注目すべき政治家は保守政治家ではないか。
いまの時代に、何を守り何を変えていくのかが、有権者に
伝わっていないのではないか。野中さんは『保守』について
どういうお考えか?」
野中「守るべきは平和。反戦。国民を中産階級にしておくこと。
これが、自民党が守ってきたものだ。でも、だんだんと
戦争のむごたらしさ、日本がやった戦争の傷跡が忘れられている…」
野中「われわれの時代の『保守』と、
海外に自衛隊が出て行っているのをよしとするような今の時代の『保守』を、
同じとみなすのは、本当にいやなんです」
野中「本当に良識があれば、憲法一条はそのままに、
二条で自衛隊をきちんと位置づけて『専守防衛』と明示して、
海外にはいかない、とするべきだ。でもそんなことをいうと、
いまの『保守』政治家たちに笑われる」…
姜「野中さんの両義性が鍵ではないか。野中さんのやった役職は
旧内務省の管轄かとおもう。野中さんのパワーの源は『情報』じゃないか。
情報は『情』の『報』、情をしるということ。被差別出身の野中さんが
日本の情報の中枢をしる、被差別出身でありながら日本のセキュリティ、情報を
になう、そこが野中さんのユニークさだとおもう。
情報について、野中さんなりの考えがあれば聞かせてほしい」
野中「そんな高邁な考え方でそういうポストについたのではないんです。
地方からでてきて初めて国会にいったとき『なんていい加減なところだろう』
と思った。でも、明治以来のこの国会を、私ごときに変えられるわけはない。
ただ、たったひとつできることはある。
自分の委員会には、自分は出席しつづけることだ。そう思ってそれを実行した。
そうしたら、NTT民営化法案の審議など重要法案の審議で
(出席率のいい人を入れようということで)、
情報の分野にはいるよう声がかかったのではないかとおもう」…
森「少数派である出自と、多数派の論理で動く政治家とは、矛盾すると思う。
苦しまれたことあったのではないですか?」
野中「おっしゃるとおりです。最初はイラクの問題。このときは
採決のときに退席しました。…自分の立場は立場としながら、
反対はしないで、退席という手段でしめしました」
*****
ほかに印象的だったのは、野中さんの次の発言。
「このあいだの事業仕分けは、わたしに言わせれば、
財務省の思惑どおりに運んだだけ。蓮舫議員や枝野議員のわきに
財務官僚がいて、助言をしてる姿がみられたでしょう。
メディアは、役人のシナリオにのらないようにしないと
日本の民主主義はいつまでたっても進歩しない」
「事業仕分けをみていて、『この民族は、どうしてこんなに
ひとつの流れのなかに埋没してゆくのだろう』と怖くなりました」
共感したのは、「こんな日本に誰がした」という野中さんの怒り。
ただ、それについてのご本人の解が「それは小泉純一郎です」
という一言だけだったのには驚き、思わず笑ってしまったけれど。
スゴイなと思わせられたのは、野中さんの目ぢから。
いくらキャパが大きくないとはいえ、200人程度は入りそうな会場内で、
まさか目があっているわけはないのに、それでもなぜか
「自分が睨まれているのではないか」と思えてきてしまう凄味があった。
シンポジウムは21時20分までつづき、それでも時間がたりないと思えるほど。
ただ、野中さんのキャラの濃さ・土の匂い・生き血流れる生身感を前に、
他の人たちは完敗という印象もうけた。
望みすぎかもしれないが、たとえば、司会を辛淑玉(しん・すご)さんが
やっていたらどうだっただろうと、思わず想像をめぐらせてしまう。