ETV特集(NHK)がおもしろい。
9月18日(日)に放送されたのは
「シリーズ 原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論」。
番組のサイトにある内容紹介を以下にご紹介させていただく。
*****「前編 置き去りにされた慎重論」
広大な大地を不毛の地に変え、
人々を放射能被ばくの恐怖に陥れている福島第一原発事故。
世界で初めての多重炉心溶融事故だった。
原子力発電の安全性 神話は、たった一度の“想定外”の地震・津波により
もろくも崩れ去った。なぜ福島原発事故は起きてしまったのか。
事故原因の直接的な究明とともに今必要な のは、
歴史的な視点で安全神話形成の過程を見直すことである。
私たちはある資料を入手した。『原子力政策研究会』の録音テープ。
1980年代から90年代にかけて、我が国の原子力発電を支えてきた
研究者、官 僚、電力業界の重鎮たちが内輪だけの会合を重ね、
原発政策の過去と行く末の議論をしていたのだ。
議事は非公開と決めていたため、当事者たちの本音が語られている。
さらに、生存する関係者も福島原発事故の反省を込めて、今その内幕を率直に証言し始めた。
この資料と証言をもとに、福島原発事故までの歩みを2回シリーズで徹底的に振り返る。
前編は、原子力発電所の我が国への導入を決めた1950~70 年代前半のれい明期をみる。
当初は安全性の不確かな未知のテクノロジーを地震大国に立地することへの疑問など
慎重論が主流であった。しかし米ソ冷戦の論 理、そして戦後の経済復興の原理によって
強引に原発導入が決まっていった。太平洋戦争に石油などの資源不足で敗北した過去や、
世界で唯一の被爆国という過 去を背負った日本が、原発建設に至るまでの道のりで
「経済性追求」と「安全性確保」の矛盾を抱えていった過程を検証する。
*****
NOD(NHKオンデマンド)の「見逃し番組」で
9月19日午後6時から2週間配信されるという。
ご自分のパソコンから、ご都合のいい時に、210円でみることができる。
18日の放送を見逃した方も、ぜひこちらにアクセスしてご覧になってみてください。
ちなみに今度の日曜、9月25日の午後10時からは
「シリーズ 原発事故への道程 後編 そして“安全”は神話になった」
が放送される予定。
*****「後編 そして“安全”は神話になった」
原子力政策研究会に集った原発関係者たちの録音テープと新たな証言により、
なぜ福島原発事故が起きたのか、その歴史的深層を探るシリーズ。
後編は原 発が次々に建設された1970年代以降、
日本の原発で事故は起きないという「安全神話」がいかにして誕生したか、その過程を明らかにする。
1973年石油ショックの翌年に電源三法が成立し、「安全」を前提に原発建設が加速していった。
このとき、日本で初めて原発の安全性を科学的に問う 裁判「伊方原発訴訟」が始まっていた。
裁判は原発建設に反対する地元住民と科学者たちによる原告と、
建設を推進しようとする国によって争われた。そこでは
今回の福島原発で起きた「全電源喪失」や「炉心溶融」などの事態が
ほぼすべて俎上に載せられていた。公判中にスリーマイル島やチェルノブイリ原発の事故も起き、
安全性の見直しが迫られる状況も生まれた。
しかし最高裁は「行政裁量の分野」だとし、反対派の訴えを退けた。
原発の安全性を正面から問うルートが失われるなか、
誰も疑問を挟めなくなった行政と業界、学術界により安全神話は膨張していくことになる。
日本にお ける最初で最後の本格的な原発法廷の消長を軸にして、
安全神話がいかにして一人歩きしていったか、その歴史的メカニズムを検証する。
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前編をみたら、ある意味スリリングなほど興味ぶかかった。
と同時に、なんなんだいったい…と泣けてもきた。
この感情が何なのかちょっとまだ分からない。
いずれにしろ、掘りおこされた歴史的事実をしらなかったなら
生じることもなかった感情・感覚・気持ちにちがいない。
現実を知るということが如何に大事か、あらためて知らされた。
後編への期待もおのずと高まる。
余談だが、番組にでていた関係者に知りあいがいた。
母をとおして知った方なので、わたし自身が直接よく存じあげるわけではないけれど。
ご家族が原発関係の技術的な仕事をされていたと聞いたことはあったが
こんなに中枢ちかくだったとは。
番組の趣旨から外れるのでまるで触れられてなかったものの
この「知りあい」は「原子力はいけない」と声をあげてひさしい。
原子力業界(の中枢ちかく)にいたその「ご家族」は
「おまえの家族に(原発に反対するのを)やめさせろ」と会社から言われ、
「やめさせられるものなら、とっくにやめさせてます」とこたえたと聞く。
じっさい、この「知りあい」は発言も行動もやめなかった。
さまざまな決断をせまられる瞬間が誰にもある。
その瞬間の積みかさねが人生をつくり、その集積が時代をつくる――
それを希求しつづけるのがデモクラシーなのだと思う。