奈良に2年ぶり3回目の施設訪問です。腰の調子が悪く歩くのに苦労していますが、せっかくの奈良なので訪問先の近くを散策しました。前回も訪れた興福寺です。奈良市観光協会公式ホームページでは「猿沢池にうつる興福寺の五重塔は、奈良を代表する風景になっています。その興福寺は、藤原鎌足の死後の幸福のために建てられた山階寺が、飛鳥に移されて厩坂寺となり、平城遷都で移建されたと伝えられていますが、実は鎌足の子不比等の発願で氏寺として創建されたものです。中金堂ができて間もなく、官寺なみの扱いを受けることになりました。その後721年(養老5)に北円堂、
(北円堂は前回から工事中で金網に囲まれています)726年(神亀3)に東金堂
(東金堂と奥が国宝館です。鹿がいっぱいです)と五重塔
、734年(天平6)に西金堂が建てられて伽藍がおおかた整いました。そして、平安時代の初め813年(弘仁4)には、藤原冬嗣が南円堂
(猿沢池に映る南円堂です)を建てます。」と書かれていましたので、猿沢池にうつる五重塔を撮るのを目的に行ってみました。
前回は三重塔も見たのですが、前回見ていない世界遺産の元興寺に向かいました。
真言律宗 元興寺(がんごうじ)【世界文化遺産 古都奈良の文化財】
日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が平城遷都にともなって、蘇我氏寺から官大寺に性格を変え、新築移転されたのが、元興寺(佛法元興の場、聖教最初の地)であるとくことだそうです。重要文化財の東門です。奥が国宝の極楽堂
「東室南階大房(僧坊)の三房(室)分を寄棟造、本瓦葺六間四面の聖堂に改造されたもの、僧坊の一室(極楽坊)の身舎部を内陣とし、東妻を正面として前面向拝とした鎌倉時代新和様の堂々たる建造物である。奈良時代の往生人智光、礼光両法師の禅室として、また、百日念仏講衆の往生極楽院として極楽堂、智光法師感得の浄土曼荼羅が祀られたので曼荼羅堂とも呼ばれた。
南都における浄土教発祥の聖地として古来有名な堂宇である。」ということだそうです。
紅梅が咲いていました。