唐招提寺は前回に続いて2回目です。
唐招提寺:「唐の高僧鑑真和上が聖武天皇に招かれ、12年もの間、幾度にも及ぶ苦難の末に来日を果たしたのち、天平宝字3(759)年、新田部親王の旧邸を賜り創建。奈良の大寺のほとんどが勅願による官寺であるのに対し、この寺は鑑真和上発願による私院であることが特徴。境内には金堂、講堂、校倉(2棟)、鼓楼(いずれも国宝)をはじめとする伽藍が立ち並んでいる。これらは、朝廷などの寄進により徐々に整えられていったもので、現在でも創建時の姿を伺い知ることができる。また、天平彫刻の傑作も数多く安置されている。なかでも御影堂の鑑真和上像(国宝)は、わが国に現存する最古の肖像彫刻で、晩年をむかえた鑑真和上の深い精神性を感じさせる。旧開山堂前には、和上像に対面して芭蕉が詠んだ「若葉して御目の雫拭はばや」の句碑が立てられている。わが国に残る最大の天平建築である金堂(国宝)は、平成12年から約10年をかけて本格的な解体修理が行われた」そうです。「堂内は、連子窓から取り入れられた柔らかな光に満たされ、中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)が並ぶ姿は、天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気に包まれています。」とありますが、結構その雰囲気に浸ってみてきました。こちらは講堂です。外観は平屋の入母屋造で、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれます。
天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在です。内部は、本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)の他、多くの仏像が安置されています。右が鼓楼:金堂・講堂の中間の東側に建つ、2階建ての建築物です。名称は「鼓楼」ですが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。 左が礼堂(らいどう)鼓楼の東に位置する南北19間の細長い建物の南側8間が礼堂、北側10間が東室、その間の1間は、馬道(めどう)と呼ばれる通路になっています。
通路渡って裏に出ると、こんなものがありました。
「うちわまき」:「鎌倉時代の唐招提寺中興の祖・大悲菩薩覚盛(だいひぼさつ・かくじょう)上人が、修行中に蚊にさされているのを見て、それをたたこうとした弟子に、「自分の血を与えるのも菩薩行である」とおっしゃって戒めたという故事があります。戒行清廉なるその徳をたたえ、「せめて団扇で蚊を払って差し上げよう」と、上人が亡くなられたときに法華寺の尼僧がハート型うちわを供えたことが始まりです。」だそうです。
上人の命日に執り行われる中興忌梵網会(ちゅうこうきぼんもうえ)の法要の後、舎利殿(鼓楼)から1500本のうちわがまかれ、(安全のため、そのうちの数百本は僧坊で手渡し)うちわを授かることは、病魔退散や魔除けのご利益があるといわれています。
鐘楼は、金堂・講堂を結ぶ唐招提寺の伽藍中心線から見て礼堂と対称の場所に位置しています。鐘楼に懸かる梵鐘は平安時代のものだそうです。朝夕5時に鳴らされるそうです。
西ノ京駅に向かう途中、養天神があるというので寄り道をしました。養天満宮社の境内(3410㎡)は奈良市指定文化財、天然記念物で、ツブラジイ(コジイ)、ネジキ、ナナメノキなどの原生林となっていました。
天神様から降りたところに、「がんこ一徹長屋」というのがありました。「伝統の技を受け継いだ大和の匠がこだわりの技をお見せする、ほんまもんの職人長屋。」ということだそうです。時間もなかったので通り過ぎました。