昨年とまったく同じように茅場町の施設を訪問しました。見るところも一緒でした。とにかく建物はこの神社の隣ですから。
最初に智泉院
江戸時代には病を治す御利益のある薬師信仰が盛んで、茅場町のお薬師様は特に人々の信仰が厚く、有名でだったそうです。
江戸城を築いた太田道灌は、自分の領地(相模国大庭村)より薬師如来を江戸に移し、のち江戸城に入った家康が、天海に命じて江戸城の鎮守である日枝神社(千代田区の山王神社)の神輿が渡る所である山王御旅所を南茅場町に設置し、別当寺として薬師堂をつくったのが智泉院のはじまりだそうです。
延宝7年(1679)に刊行された『江戸方角安見図鑑』(江戸城下町の切絵図)には、山王御旅所が見え、その境内に智泉院が描かれています。前には幕府のお抱えの御船手組(海軍)の頭、向井将監の屋敷が、北側には運河がありました。そのころの地誌や名所案内にはかならず茅場町“お薬師様”の賑わいがでているということです。
『江戸名所図会』には「薬師堂、同じく御旅所の地にあり、本尊薬師如来は、恵心僧都の作なり、山王権現の本地仏たる故、慈眼大師勧請し給ふといへり、縁日は毎月八日、十二日にして、門前二・三町の間、植木の市立てり、別当は医王山智泉院と号す」とあります。今回は狛犬を撮ってみました。
隣のお稲荷さん、明徳稲荷神社です。
明徳稲荷神社の創建年代は不詳ですが、元禄年間(1688-1704)には茅場町交差点に祀られていたといい、関東大震災後の区画整理により当地へ遷座したらしいです。
日枝神社の前の雨水受けは防火用水として使用されていまようです。昭和4年4月と書かれていました。いざというときはバケツリレーで消火したのでしょうか。
茅場町・摂社日枝神社茅場町にある施設を訪問しました。20日に行ったノロウイルスのリスコミのあった場所の隣の施設でした。周辺を散策してみました。この神社は、千代田区永田町の旧官幣大社・日枝神社の摂社...