奈良の2日目は大和西大寺にある施設の訪問です。午後からの仕事なので、午前中前回と同じく薬師寺と唐招提寺を散策しました。薬師寺は「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山です。
天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。(718)ということで、現在は平成10年よりユネスコ世界遺産に登録されています。
金堂と西塔、国宝の東塔は30年まで改修中です。4年前から来ていますが、見ることができませんでした。金堂内部は写真禁止ということで、撮れません。本当は建物より仏像が価値があるので自分で写真を撮りたいのですが。
薬師三尊像 【国宝】 白鳳時代これはネット載っている写真です。
鐘楼は毎日朝夕6時に鳴らしているようです。次は東院堂です。
聖観世音菩薩像 【国宝】 白鳳時代






薬師寺への参拝は本来はこの休ヶ岡八幡にて身を清めておこなわれるべきものと書かれていました。た
こちらは休ケ丘中には「平安時代前期の寛平年間(889~898)に薬師寺別当栄紹[えいしょう]によって勧請祭祀[かんじょうさいし]された薬師寺鎮守八幡宮の三柱の神像で、ひとまわり大ぶりに造られた僧形八幡神[そうぎょうはちまんしん]
を中心にし、向かって右に神功皇后[じんぐうこうごう]
、向かって左に仲津姫命[なかつひめのみこと]
を配した三神一具の像として安置されています。」ということだそうです。仲津姫命は国宝になっているようです。
玄奘三蔵院伽藍:「玄奘三蔵[げんじょうさんぞう](600または602~664)は、『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶です。玄奘は戒名であり、俗名は陳褘(チンイ)。諡は大遍覚で、尊称は法師、三蔵など。鳩摩羅什と共に二大訳聖、あるいは真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれるそうです。17年間にわたりインドでの勉学を終え、帰国後は持ち帰られた経典の翻訳に専念、その数1335巻に及ぶそうです。玄奘三蔵の最も究めたかった事は、「瑜伽唯識[ゆがゆいしき]」の教えでした。その教えの流れを継承している宗派が法相宗[ほっそうしゅう]だそうです。また、インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著し、これが後に伝奇小説『西遊記』の基ともなった、とのことです。





現在、薬師寺と興福寺が法相宗の大本山で、玄奘三蔵は法相宗の始祖に当ることになります。
玄奘三蔵像(東京国立博物館蔵)

昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見し、その一部が昭和19年(1944)に全日本仏教会にも分骨されましたが、戦時中でもあり、埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安され、その後ご頂骨を祀る石塔が建てられたそうです。薬師寺も玄奘三蔵と深いご縁のある事から、遺徳を顕彰するため全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を拝受し、平成3年(1991)玄奘三蔵院伽藍を建立しました。」ということのようです。
右手のところに
紅梅が咲いていました。
右ノ京駅に向かうところの梅は前回と同じほどの開花状況です。唐招提寺までは800m位ですが行くかどうか悩みましたが、奈良訪問も最後になるかと思い見に行きました。



