ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

昨年の思い出「貴志川線、貴志川駅たま駅長」

2015年02月21日 10時22分11秒 | 訪問地周辺散策

昨年、下調べもしないで突然行きましたが、素顔のたま駅長に会えてよかったです。

観光客と言えば中国系の人が多かったと思っていましたが、この時期は春節で大量に中国の方が観光に来られるのですね。今年は奈良に行ってきましたが、京都から奈良に向かう電車でも中国の方がいっぱいいらっしゃいました。ネコ駅長も時々ニュースの記事になるので懐かしく見ています。

*春節(しゅんせつ)というのは旧正月であり、中国だけではなく、全世界の華人にとって最も大切な伝統的な祝日で、2015年の春節は2月18日(大晦日)から3月5日(元宵節)までだそうです。

駅長からのお知せ

めでたく古希を迎えた社長代理の「たま駅長」は、毎週、火・水・木・金曜日の4日間、貴志駅でゆったり勤務に就くことになりました。なお土・日曜日及び祝日の月曜日は、まだまだ力不足ではございますが、ニタマ駅長代行がしっかり貴志駅を守って参りますので、変わらぬご愛顧のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

○たま駅長(非常勤) 毎週火・水・木・金曜日は貴志駅に出勤

ニタマ駅長 水・木曜日公休 平日は伊太祈曽駅、土・日曜日と祝日の月曜日は貴志駅にて駅長代行

水曜日に行ったのでたま駅長に会えました。

2014年11月には、「たま駅長、ニタマ駅長と「貴志川線の未来をつくる会」の10周年を祝う!」催し物があったようで、関東でも報道されていました。

 
ネコ駅長貴志駅
和歌山2日目は午前中で仕事を終えたので、ネコ駅長さんで有名な和歌山電鉄貴志川線に乗ってみました。イチゴとネコ駅長が売り物のようです。列車にも工夫があって途中ですれ違った列車はおもち...
 
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唐招提寺

2015年02月20日 08時23分52秒 | 訪問地周辺散策

唐招提寺は前回に続いて2回目です。

唐招提寺:「唐の高僧鑑真和上が聖武天皇に招かれ、12年もの間、幾度にも及ぶ苦難の末に来日を果たしたのち、天平宝字3(759)年、新田部親王の旧邸を賜り創建。奈良の大寺のほとんどが勅願による官寺であるのに対し、この寺は鑑真和上発願による私院であることが特徴。境内には金堂、講堂、校倉(2棟)、鼓楼(いずれも国宝)をはじめとする伽藍が立ち並んでいる。これらは、朝廷などの寄進により徐々に整えられていったもので、現在でも創建時の姿を伺い知ることができる。また、天平彫刻の傑作も数多く安置されている。なかでも御影堂の鑑真和上像(国宝)は、わが国に現存する最古の肖像彫刻で、晩年をむかえた鑑真和上の深い精神性を感じさせる。旧開山堂前には、和上像に対面して芭蕉が詠んだ「若葉して御目の雫拭はばや」の句碑が立てられている。わが国に残る最大の天平建築である金堂(国宝)は、平成12年から約10年をかけて本格的な解体修理が行われた」そうです。「堂内は、連子窓から取り入れられた柔らかな光に満たされ、中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)が並ぶ姿は、天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気に包まれています。」とありますが、結構その雰囲気に浸ってみてきました。こちらは講堂です。外観は平屋の入母屋造で、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれます。
天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在です。内部は、本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)の他、多くの仏像が安置されています。右が鼓楼:金堂・講堂の中間の東側に建つ、2階建ての建築物です。名称は「鼓楼」ですが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。 左が礼堂(らいどう)鼓楼の東に位置する南北19間の細長い建物の南側8間が礼堂、北側10間が東室、その間の1間は、馬道(めどう)と呼ばれる通路になっています。

通路渡って裏に出ると、こんなものがありました。

「うちわまき」:「鎌倉時代の唐招提寺中興の祖・大悲菩薩覚盛(だいひぼさつ・かくじょう)上人が、修行中に蚊にさされているのを見て、それをたたこうとした弟子に、「自分の血を与えるのも菩薩行である」とおっしゃって戒めたという故事があります。戒行清廉なるその徳をたたえ、「せめて団扇で蚊を払って差し上げよう」と、上人が亡くなられたときに法華寺の尼僧がハート型うちわを供えたことが始まりです。」だそうです。
上人の命日に執り行われる中興忌梵網会(ちゅうこうきぼんもうえ)の法要の後、舎利殿(鼓楼)から1500本のうちわがまかれ、(安全のため、そのうちの数百本は僧坊で手渡し)うちわを授かることは、病魔退散や魔除けのご利益があるといわれています。

鐘楼は、金堂・講堂を結ぶ唐招提寺の伽藍中心線から見て礼堂と対称の場所に位置しています。鐘楼に懸かる梵鐘は平安時代のものだそうです。朝夕5時に鳴らされるそうです。

西ノ京駅に向かう途中、養天神があるというので寄り道をしました。養天満宮社の境内(3410㎡)は奈良市指定文化財、天然記念物で、ツブラジイ(コジイ)、ネジキ、ナナメノキなどの原生林となっていました。

天神様から降りたところに、「がんこ一徹長屋」というのがありました。伝統の技を受け継いだ大和の匠がこだわりの技をお見せする、ほんまもんの職人長屋。」ということだそうです。時間もなかったので通り過ぎました。

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薬師寺

2015年02月19日 13時17分23秒 | 訪問地周辺散策

奈良の2日目は大和西大寺にある施設の訪問です。午後からの仕事なので、午前中前回と同じく薬師寺と唐招提寺を散策しました。薬師寺は「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山です。
天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。(718)ということで、現在は平成10年よりユネスコ世界遺産に登録されています。金堂と西塔、国宝の東塔は30年まで改修中です。4年前から来ていますが、見ることができませんでした。金堂内部は写真禁止ということで、撮れません。本当は建物より仏像が価値があるので自分で写真を撮りたいのですが。

薬師三尊像 【国宝】 白鳳時代これはネット載っている写真です。

鐘楼は毎日朝夕6時に鳴らしているようです。次は東院堂です。

聖観世音菩薩像 【国宝】 白鳳時代

聖観音菩薩像 国宝 の写真お寺さんの説明には「心の目で見ることを「観[かん]」といいます。色なき色を見、音なき音を聴く、これが「観」です。この観の働きをもって私たちの悩みや苦しみや悶えをお救い下さるのが観音菩薩です。聖観世音菩薩は日本屈指のお美しいお姿の観音さまといわれ、薄い衣を召し、その衣の美しい襞の流れの下からおみ足が透けて見える彫刻法は、インドのグプタ王朝の影響を受けたものです。」と書かれていました。吉祥椿、花に興味があるというより土塀の崩れが気になりました。このまま崩れ去るのか修復するとして大変だろうと思いました。いつも西ノ京駅から入るので、反対側の入り口に行ってみました。由緒書きがありました。前回は修学旅行生が来ていて、お坊さんの講義があり、薬師如来像と日光・月光菩薩の話をしていたのを聞きました。西塔です。。「塔は本来お釈迦様のお墓を意味します。インドで梵語のストゥーパが音訳されて卒塔婆[そとうば]となり、それが塔婆、更には塔と表現されるようになりました。お釈迦様のご遺骨(仏舎利[ぶっしゃり])を埋葬して盛り土をしたものが原型です。その塔婆を遠くからでも拝めるように、また尊敬の気持ちから、より高い台の上にお祀りするようになったのです。」という、卒塔婆(塔婆)と塔について興味深く読みました。
こちらは休ヶ岡八幡です。
薬師寺への参拝は本来はこの休ヶ岡八幡にて身を清めておこなわれるべきものと書かれていました。たこちらは休ケ丘中には「平安時代前期の寛平年間(889~898)に薬師寺別当栄紹[えいしょう]によって勧請祭祀[かんじょうさいし]された薬師寺鎮守八幡宮の三柱の神像で、ひとまわり大ぶりに造られた僧形八幡神[そうぎょうはちまんしん]を中心にし、向かって右に神功皇后[じんぐうこうごう]、向かって左に仲津姫命[なかつひめのみこと]を配した三神一具の像として安置されています。」ということだそうです。仲津姫命は国宝になっているようです。玄奘三蔵院伽藍:「玄奘三蔵[げんじょうさんぞう](600または602~664)は、『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶です。玄奘は戒名であり、俗名は陳褘チンイ。諡は大遍覚で、尊称は法師、三蔵など。鳩摩羅什と共に二大訳聖、あるいは真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれるそうです。17年間にわたりインドでの勉学を終え、帰国後は持ち帰られた経典の翻訳に専念、その数1335巻に及ぶそうです。玄奘三蔵の最も究めたかった事は、「瑜伽唯識[ゆがゆいしき]」の教えでした。その教えの流れを継承している宗派が法相宗[ほっそうしゅう]だそうです。また、インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著し、これが後に伝奇小説『西遊記』の基ともなった、とのことです。
現在、薬師寺と興福寺が法相宗の大本山で、玄奘三蔵は法相宗の始祖に当ることになります。玄奘三蔵像(東京国立博物館蔵)
昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見し、その一部が昭和19年(1944)に全日本仏教会にも分骨されましたが、戦時中でもあり、埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安され、その後ご頂骨を祀る石塔が建てられたそうです。薬師寺も玄奘三蔵と深いご縁のある事から、遺徳を顕彰するため全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を拝受し、平成3年(1991)玄奘三蔵院伽藍を建立しました。」ということのようです。右手のところに紅梅が咲いていました。右ノ京駅に向かうところの梅は前回と同じほどの開花状況です。唐招提寺までは800m位ですが行くかどうか悩みましたが、奈良訪問も最後になるかと思い見に行きました。
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興福寺・元興寺

2015年02月18日 23時20分00秒 | 訪問地周辺散策

奈良に2年ぶり3回目の施設訪問です。腰の調子が悪く歩くのに苦労していますが、せっかくの奈良なので訪問先の近くを散策しました。前回も訪れた興福寺です。奈良市観光協会公式ホームページでは「猿沢池にうつる興福寺の五重塔は、奈良を代表する風景になっています。その興福寺は、藤原鎌足の死後の幸福のために建てられた山階寺が、飛鳥に移されて厩坂寺となり、平城遷都で移建されたと伝えられていますが、実は鎌足の子不比等の発願で氏寺として創建されたものです。中金堂ができて間もなく、官寺なみの扱いを受けることになりました。その後721年(養老5)に北円堂、(北円堂は前回から工事中で金網に囲まれています)726年(神亀3)に東金堂(東金堂と奥が国宝館です。鹿がいっぱいです)と五重塔、734年(天平6)に西金堂が建てられて伽藍がおおかた整いました。そして、平安時代の初め813年(弘仁4)には、藤原冬嗣が南円堂(猿沢池に映る南円堂です)を建てます。」と書かれていましたので、猿沢池にうつる五重塔を撮るのを目的に行ってみました。

前回は三重塔も見たのですが、前回見ていない世界遺産の元興寺に向かいました。

真言律宗 元興寺(がんごうじ)【世界文化遺産 古都奈良の文化財】

日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が平城遷都にともなって、蘇我氏寺から官大寺に性格を変え、新築移転されたのが、元興寺(佛法元興の場、聖教最初の地)であるとくことだそうです。重要文化財の東門です。奥が国宝の極楽堂
「東室南階大房(僧坊)の三房(室)分を寄棟造、本瓦葺六間四面の聖堂に改造されたもの、僧坊の一室(極楽坊)の身舎部を内陣とし、東妻を正面として前面向拝とした鎌倉時代新和様の堂々たる建造物である。奈良時代の往生人智光、礼光両法師の禅室として、また、百日念仏講衆の往生極楽院として極楽堂、智光法師感得の浄土曼荼羅が祀られたので曼荼羅堂とも呼ばれた。
 南都における浄土教発祥の聖地として古来有名な堂宇である。」ということだそうです。

紅梅が咲いていました。

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長津田

2015年02月10日 23時50分35秒 | 訪問地周辺散策

田園都市線長津田にある施設を2年ぶりに訪問しました。前回は八阪神社を探索しましたが、そこから少し登ったところに大石神社がありました。

入ったところが神社の裏手だったようで、いきなり本殿でした。少し引いてみると二本の大木がありました。巨木でモミの木でした。こちらはシラカシで横浜市名木、古木に指定されているようです。狛犬はあまり撮らないのですが、顔につられて撮りました。吽形と阿形というようです。

由緒書きが見つかりませんでしたが、ネットでこんなものを見つけました。在原業平を祀ったもののようです。こちらは大石稲荷社です。社殿のところに紅梅が咲いていました。大石観桜ということなので一の鳥居をでた土手ところの桜を撮ってみました。これが見事に咲き乱れるのでしょうか。

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