サバ奈子

むかし猫ブログ、いま趣味ブログ

室蘭市 野外彫刻 大川原脳神経外科病院

2024-06-25 05:48:05 | 野外彫刻

大川原脳神経外科病院です。

毎日、通勤で病院前を通っているのですが、

玄関から造形物が見えて、銘板もちらっと見えたものだから、中に入ってみました。

大川原脳神経外科病院 Art Gallery

室蘭の自然をテーマに物語をつくりました。
風-森-海-水-花をモチーフに道内外で活躍する3名の作家が一つ一つ大切に制作しました。
身近な風景や心地良い季節を院内で見つけてください。

風 EURUS 春を告げる風
熊谷文秀

熊谷文秀HPより

海 UNDULATION 波動
熊谷文秀

熊谷文秀HPより

あと受付の後ろに作品があったのだけど、こちらは写真NGだったので、大川原脳神経外科病院から拝借しました。

他にも2点ほど作品があるようなので、機会があったら撮ってきたいです。
脳ドック、こちらの病院で申し込んでみます。(が、うちの職場は人間ドックと脳ドックは5年に1回しか当たらないので、再来年の予定です。ひっどい頭痛でもなければ脳神経外科にはお世話になることがないような。)

大川原脳神経外科病院
室蘭市寿町1丁目10番1号

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東京都 野外彫刻 東京駅 他

2024-05-30 05:53:08 | 野外彫刻

東京駅の八重洲地下中央改札の近くに

銀の鈴
宮田亮平 作
東京芸術大学 学長
2007年10月25日

東京駅「銀の鈴」の歴史
(初代)
昭和43年6月 昭和39年の東海道新幹線開業以降、お客様が増えたことをきっかけに、東京駅社員による考案で、「銀の鈴」待ち合わせ場所が1階の東海道新幹線乗換え改札前に誕生しました。
第1代目は手製の張子で、岳で鈴の型を作り、銀紙で装飾したものでした。
(銀の鈴の由来)
神社で鈴をつけた紐を揺すってから拝むのは、神様を呼ぶためのものだそうです。
古来、鈴は神様だけでなく、人を呼び注意を促す道具として鈴が制作されました。

(2代目)
昭和44年11月 手製の第1代目誕生から約1年半後に鋳銅製で制作され、昭和53年3月まで鈴の音を流していました。

(3代目)
昭和60年2月 東京駅名店会により名店街30周年記念事業として東京駅に寄贈され、1階八重洲中央待ち合わせ場の改良工事完成と共に設置されました。
平成6年8月に、長野新幹線(平成9年開業)乗入れ整備に伴って、現在地に移転されました。

 (4代目)
平成19年10月 東京駅が生まれ変わる「東京ステーションシティー」の誕生を機に、東京芸術大学 楽長、金工家・宮田亮平氏による制作の4代目「銀の鈴」が(株)鉄道会館により寄贈されました。

都庁に向かう地下通路で発見。

銘板はなく、検索しても引っかからず。

調べている途中で、排除アートなるものを目にする。

特定の人々(ホームレス等)の排除のために作用する、デザインとアートの中間のものとのこと。
排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザイン が面白かったので、興味がある方はどうぞ。

都庁から帰ってくる途中で見つけた。

スバルビル新宿の目
作 宮下芳子
1969.12.27
東京都新宿区西新宿1丁目7-1

人の流れが多く、無人で撮るのはほぼ無理です。
中に照明があり、東日本大震災の後、節電のため消灯していたが、今はLED照明になり点灯を再開したとのこと。
アートも進化するのね。

夫は東京に4年ほど住んでいたことがあり、銀の鈴や新宿の目は見慣れており、足を止める事はないが、私には興味津々。
別の角度で観光を楽しめるのもまた楽しい。

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靖国神社 その2

2024-05-27 06:03:58 | 野外彫刻

明治26年、門人らの篤志(とくし)で完成したこの銅像は、日本最初の西洋式銅像で、たちまち東京の新名所となりました。
高さ12メートル。彫刻家 大熊氏廣(おおくまうじひろ)制作です。
(靖国神社ホームページより)

筒袖羽織(つつそでばおり)に短袴(たんこ)を着け、左手に双眼鏡を持った大村益次郎銅像は、江戸城富士見櫓(ふじみやぐら)から北東方面の上野に籠もる彰義隊(しょうぎたい)を凝視している姿をモデルにしたとも言われています。

銅像台座の文章は三條實美(さんじょうさねとみ)による大村益次郎顕彰文です。
弓矢をデザインした鉄柵と大砲8門(もん)が配置されていましたが、昭和18年に撤去され、陸軍省に献納されました。
現在も、基壇(きだん)には鉄柵の跡が残っています。

「日本陸軍の父」といわれ、司馬遼太郎作「花神(かしん)」の主人公ともなった大村益次郎(村田蔵六)は、長州藩の出身で蘭学にすぐれ、維新政府に参画して、近代的軍隊の基礎を作りました。

また靖國神社の前身である招魂社を九段坂上に建立することを決定しました。ところが、大村に反感を持つ士族らに京都で襲われて重傷を負い、招魂社創建直後の明治2年、大阪で歿しました。

亨年47歳でした。

大村益次郎の説明です。

全国の戦歿者の妻たちが所属する日本遺族会婦人部からの献金により、昭和40年に建設されました。

靖国の時計塔

国の繁栄と平和への祈りを、永く後世に伝えようとするブロンズの時計塔です。

靖国の時計塔
国は、昭和三十八年四月一日「戦没者等の妻に対する特別給付金支給法」を制定し、戦没者の妻の特別な立場を認め、慰藉の方途を講じました。
この感激を記念して、奉納いたします。
昭和四十年十月
財団法人 日本遺族会婦人部

慰霊の泉

異境の厳しい戦場で、「お母さん、水を!」と叫びながら息を引き取った兵士たちを偲んで、国際的社会奉仕団である社団法人東京キワニスクラブから、明治百年を記念して昭和42年に奉納されました。

この彫刻は清らかな水を捧げる慈愛にあふれる母を、抽象的に表現したものです。

作品の下にあるのが

戦跡の石

激戦の戦跡では、遺骨収集も困難を極めます。
硫黄島、グアム島他各戦地を象徴する石、計51個が集められ、うち半数の25個が展示されています。「慰霊の泉」とともに東京キワニスクラブの奉納です。

出征を見送る家族の像

令和2年10月、徳島県遺族会奉納により建立されました。

国の為に尊い一命を捧げられた御祭神の家族が、我が子、兄弟、夫、父等を見送る際に抱かれたせつない愛慕の情を後世に伝えるものです。

制作は鎌田邦宏氏、鋳造は阪井鋳金所阪井泰彦氏によるものです。

靖国神社
東京都千代田区九段北3-1-1

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靖国神社 その1

2024-05-26 07:51:56 | 野外彫刻

はとバスに乗って靖国神社に来ました。

小雨がちらつく寒い日でした。

右の燈篭(海軍)

大燈籠
ここに聳え立つのは高さ13メートルで日本最大級の大きな花崗岩製の燈籠です。
基壇部分のレリーフは社殿に向かって左側に陸軍、右側に海軍の日清戦争から満洲事変までの主な戦闘場面が各7面ずつ描かれています。
帝国美術院長 正木直彦(まさきなおひこ)の監修により、4人の彫刻家が制作しました。

日露戦争 第二回旅順港閉塞の広瀬中佐
小倉右一郎

日露戦争 日本海海戦戦艦三笠艦橋の東郷元帥
小倉右一郎

第一次世界大戦 地中海遠征の特務艦隊
吉田久継

上海事変 上海付近の空中戦
小倉右一郎

上海事変勃発 海軍陸戦隊
吉田久継

救護 日本赤十字社救護看護婦の活動
小倉右一郎

日清戦争 黄海海戦
吉田久継

左の燈篭(陸軍)

北晨事変 天津城の攻撃
畑政吉

日清戦争 広島大本営
畑政吉

昭和10年、現・富国生命である富國徴兵保険相互会社から奉納されたものです。終戦直後に撤去されそうになりましたが、レリーフを隠す工事を施して難を逃れることができました。
富國徴兵保険相互会社は1923年(大正12年)創業の保険会社です。
戦前は子息が徴兵された際に保険金が出る「徴兵保険」を扱う会社でした。

台湾鎮定 明治四十一年 警官隊の戦闘
畑政吉

上海事変 爆弾三勇士
斎藤素厳

満州事変 熱河長城攻撃
畑政吉

第一次世界大戦 装甲列車の戦闘
斎藤素厳

日清戦争 奉天入城式
斎藤素厳

桜をモチーフにした”さくら陶板”は、令和元年、靖國神社御創立150年記念事業に際して、英霊にゆかりのある各都道府県の土を用いて現地の陶工達により制作・奉納されたものです。
英霊へまごころをこめ、伝統の技によりつくられた陶板一枚一枚が慰霊の心とその継承を表現します。
”さくら陶板”により、皆様が本殿に御参拝戴く際の”みちしるべ”となるよう”慰霊の庭”と名付けられたこの地に建立されました。
(靖国神社ホームページより)

北海道のさくら陶板だけ載せておきます。

北海道河東郡と名寄市の土 南匡剛作

田中支隊忠魂碑

常陸丸殉難記念碑

日露戦争中の明治37年6月15日、陸軍輸送船「常陸丸(ひたちまる)」は近衛後備歩兵第一聯隊(このえこうび ほへいだいいちれんたい)を乗せ、満洲を目指して濃霧の玄界灘を航海していました。そこにロシアのウラジオ艦隊が突如現れ、常陸丸は猛烈な集中攻撃を浴びせられましたが、輸送船のため十分な反撃もできず、須知(すち)聯隊長は軍旗を奉焼し自決、1千余名が船と運命をともにしました。毎年6月15日、この碑の前で戦歿将兵ともども、常陸丸船長以下の陣歿した3名の英国人に対する慰霊祭が行われています。
(靖国神社のホームページより)

つづきます。

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東京都 野外彫刻 千代田区 東京駅

2024-05-24 05:53:53 | 野外彫刻

東京駅です。

丸の内南口です。

ドームの天井を見上げます。

拡大
創建時の石膏パーツが取付けられたレリーフ
戦災復興工事によって設置されたドーム天井裏に、創建当初のレリーフの一部が残存していました。その表面はほとんど焼け落ちていましたが石膏によるパーツには保存可能なものがありました。復原に際し、残存した創建時の石膏パーツが、一部取り外され強化剤含浸の上、南ドームのアーチレリーフに取り付けられました。(黒い部分)

拡大
ドーム下の八角コーナーには、左を向く八羽の勇猛な鷲が取り付けられています。両翼を広げた約2.1mの大鷲は細部にわたり躍動感にあふれています。

拡大
干支の彫刻は、ドーム内の8カ所のコーナーに、その干支の方位に従って十二支のうち八支の彫刻が配置されています。残りの四支、子(ねずみ/北)、卯(うさぎ/東)、午(うま/南)、酉(とり/西)は省かれています。いずれも灰緑色をバックにガラス繊維強化石膏(GRG)で作られています。

東京駅駅前広場の南側です。

男性が両手を広げた祈りの像があります。


αγάπη

愛の像(アガペの像)
「アガペ」とは、ギリシャ語「αγάπη」(アガペー)、神の人間に対する愛、「無償の愛」の意味という。

製作は横江嘉純

Wikipediaより
横江 嘉純(よこえ よしずみ、1887年(明治20年)5月 - 1962年(昭和37年)2月14日)は、日本の彫刻家。塑像を得意とし、木彫、大理石像、洋画も遺した。

戦争犯罪(戦犯)で捕まり獄死、法務死した人々の遺書をまとめた「世紀の遺書」の収益金の一部で建てられたとのこと。

東京都のマンホール蓋

東京駅丸の内駅前広場の北西端に彫刻があります。

正二位勲一等子爵井上勝君像

君自明治初年専任創設鐵道之事拮据経營基礎始立盡心斯業抵老不渝四十三年夏力疾訪制歐洲歿子塗次可謂斃而後巳矣茲同志胥謀鋳君像置諸東京車站以傳偉績於不朽云大正三年十一月建

井上勝(一八四三年~一九一○年)
明治期の鉄道専門官僚
江戸時代末期の長州藩(現在の山口県萩市)に生まれる。一八六三年(文久三年)、英国ロンドンに密航留学し、西欧の近代技術を学び、明治維新直後一八六八年(明治元年)に帰国。
一八七二年(明治五年)、日本最初の新橋ー横浜間をはじめ、初期の主要路線の敷設を主導する役割を担い、この功績から「鉄道の父」と呼ばれている。
一九一○年(明治四十三年)、欧州鉄道観察中に病に倒れ、若き日に過ごしたロンドンで息をひきとる。享年六十八歳。

大正三年十一月建立
昭和三十四年十月再建
昭和三十八年四月移設
平成二十九年十二月移設

初代の銅像は、本山白雲の制作で、金属供出により撤去されました。

昭和34年、朝倉文夫により再建されました。

東京駅
東京都千代田区丸の内1丁目9-1

東京駅の北西に位置する、日本工業倶楽部会館です。

登録有形文化財(建造物)
東京駅駅頭に建つアメリカ式オフィスビルの形態にユーゲント・シュティルの意匠を加味した大正建築。

我が国工業界のシンボル的建築で、正面中央パラペット上部の人像彫刻は当時の二大工業(石炭と紡績)を表す。
設計は横河工務所、松井貴太郎の担当とされる。
彫刻は、小倉右一郎の制作。
「日本初の本格的コンクリート彫刻」とのこと。

日本工業倶楽部会館 
東京都千代田区丸の内1-4-6

余談
さらっと書いているけど、3点とも作者調べるのにけっこう苦労しました。

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東京都 野外彫刻 墨田区

2024-05-19 08:10:03 | 野外彫刻

アサヒビール本社です。
四角いビルはまるでビールジョッキのようです。
ホールの上の黄色い物体は、「新世紀に向けて躍進するアサヒビールの燃える心の炎」をシンボライズしたものです。
「フラムドール(仏語:金の炎)」という名前です。
ビル全体がパブリックアートのようになっていて、ビルの中も凝ったデザインになっているようです。

本社ビルの1階に彫刻を発見。

めっちゃ気になるが、ホールならともかく、中に入るのは難しそう。
検索してもひっかからず。

枕橋際花壇のところに

K ゆらぎツリー

この作品は、そよ風が起こした漣(さざなみ)が、鏡面のように澄み切った水面に波紋を投げかけた時に、そこに映り込んですこしゆらぎ始めた東京スカイツリーをイメージソースとし制作したものです。

逆立ちしたようにも見える姿はユーモラスでもあります。また、この先の枕橋からは、北十間川に映りこむ実際の逆さツリーを見ることもできます。このゆらぎツリーが、この場に定着し、皆さんに愛されることを願っています。

皇太子殿下御降誕記念

何の木かなぁ・・。

業平橋 の横の大横川親水公園

J Reflect scape

「東京スカイツリーを見るという事は、東京スカイツリーの方向を見上げる事」そんなお決まりのスタイルを変えてみよう。東京スカイツリーを背に大きな凸面鏡を覗き込むと、そこには自分と東京スカイツリー、リアルとアンリアルが混ざった新しい風景があります。そびえ立つ巨大ツリーは親近感が沸く存在に転換され、大鏡は想像力を開放する装置となります。「不思議な東京スカイツリーと記念撮影できる」そんな新しいビューポイントをイメージしています。 

鏡にスカイツリーが写ることを計算して作った作品。

スカイツリーと記念写真も楽しいですね。

お目当ての東京スカイツリーが見えてきました。

たまたま見つけたので撮ってきたもの。

御神輿

スカイツリーの足下、小梅児童遊園です。

H おぼろけ

敷地は東京スカイツリーの目先にあり足下には様々な人、物、建物が混在しています。その足下の風景を棒のフィルターでぼやかす事でどの場所でもない抽象化されたビュースポットをつくろうと考えました。

また、墨田生まれの葛飾北斎は遠景に霧雨や雲を重ねて描く事で空間の奥行きを表現していました。おぼろけな風景の中で東京スカイツリーはよりクリアに浮かび上がり新たな鑑賞のかたちをつくりだします。

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東京都 野外彫刻 台東区~墨田区

2024-05-18 07:56:01 | 野外彫刻

吾妻橋のところで、水上バス HOTALUNA ホタルナ を降りました。

吾妻橋の西詰めに

にゃんこちゃんがいました。

A そらちゃん
大理石彫刻にガラスとモザイクを組み合わせた作品です。招き猫で、両目と胸のハートは、色ガラスの凹レンズがはめ込まれており、東京スカイツリーや周辺の風景が小さく幾つも映ることで、おもしろいパノラマが楽しめます。近所には縁結びと招き猫発祥の地として有名な今戸神社がありますが、こちらの招き猫「そらちゃん」もよろしくお願いします。

今回の旅は彫刻巡りではなかったので、一番最初に目に入ったのが猫じゃなければ、スルーしていたと思います。

GTS観光アートプロジェクト
GTS観光アートラインは、平成22年度から24年度に実施された「GTS(藝大・台東・墨田)観光アートプロジェクト」によって誕生した、東京スカイツリー(r)と浅草をアートで繋ぐ回遊ルートです。東京スカイツリー(r)のビューポイントに設置された、環境アート作品12作品とアートベンチ6作品からなり、アートを楽しみながら、隅田川エリア全体を散策できます。

寄り道はしませんが、これから東京スカイツリーに行くので、道なりにあるものだけ撮ることにしました。
なので、台東区側は「そらちゃん」で終わり。
墨田区側の一部だけ探索します。

吾妻橋を通って、墨田区側に渡ります。

墨田区役所裏にモニュメント発見。銘板はなく、検索しても引っかからず。
墨田区役所のホームページに、まちかどアート と 街角モニュメント のサイトがしっかりあるのに、これは載っておらず。

墨田区役所前ふれあい広場 です。

L スカルプチャーツリー

スカルプチャーツリーは、東京スカイツリーの足下の一部をトレースした、十二支が宿る木です。東京スカイツリーと同様に、足下は三角形、頂部へ向けて円形へと変化し、芯柱には、十二支がそれぞれの方角に合わせて取り付けられています。

窓越しに東京スカイツリーを眺めているのは、東の動物の卯です。内部に入ると、格子によって周辺の建物が部分的に隠されて、見る角度によって様々な表情を楽しむことができます。

予定外の彫刻を見つけてしまいました。

本所生まれの幕末の雄・勝海舟(1823年から1899まで)の銅像が市民グループ「勝海舟の銅像を建てる会」により、海舟ゆかりの地である区役所前うるおい広場の緑地内に建立されました。

勝安芳

勝海舟生誕百八十年を記念して
平成15年(2003年)7月21日(海の日)に建立されました。

勝海舟は幕末と明治の激動期に、世界の中の日本の進路を洞察し、卓越した見識と献身的行動で海国日本の基礎を築き、多くの人材を育成しました。

西郷隆盛との会談によって江戸城の無血開城をとりきめた海舟は、江戸を戦禍から救い、今日の東京の発展と近代日本の平和的軌道を敷設した英雄であります。

銅像制作 木内禮智
「海舟」銘板制作 大谷利勝
「勝安芳」銘板揮毫 柳田泰山

つづきます。

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室蘭市 野外彫刻 むろらん広域センタービル

2024-04-25 05:48:13 | 野外彫刻

室蘭市 むろらん広域センタービルです。
北洋銀行、室蘭信金、商工会議所、室蘭市役所の一部、胆振総合振興局などが入っているビルです。

ロゴマークは、室蘭のシンボルとして親しまれている白鳥大橋を図案化しました。

玄関を入ったロビーにレリーフがあります。

国松希根太
月日(つきひ)

銘板がないので、たいへん苦労しましたが、広報むろらん 2009(H21)4月号で見つけました。

白老を拠点に活動している彫刻家です。

素材は全て木でした。
作品前のベンチには、いつもいつも人が座っていて、無人の時を撮るのは非常に難しいです。

西側玄関前にもレリーフがあります。

坂本正太郎
umikazehikari(うみかぜひかり)

室蘭出身の彫刻家です。

同じく広報むろらん 2009(H21)4月号で紹介されていました。

西側玄関前に彫刻があります。

変奏
創作者 高橋昭五郎
題字 室蘭市長 新宮正志

「奏」という感じが入っているだけあって、楽器のハープのような形状。

彫刻「変奏」の経緯
この彫刻「変奏」の素材は、室蘭市の保存樹木として指定された推定樹齢90~100年の「キハダ」です。
知利別川の改修工事の支障となり、移植には耐えられないと樹木医の診断もあったため、やむなく、平成21年3月18日に伐採されましたが、伐採を惜しむ市民の声を受け、室蘭市在住の彫刻家、高橋昭五郎氏の創作により、「キハダ」は「変奏」という名の彫刻として命を吹き返し、平成21年8月22日に室蘭市へ寄贈されました。

こちらは広報むろらんには載っていませんでした。

オープンから数か月経過してからの設置だったからだと思います。

もう一つ広報むろらんに、応援ボルタが載っていたので、玄関に行くと、のぼりと張り紙に隠れていました。

応援ボルタ
登尾真帆

この応援ボルタは「てつのまちぷろじぇくと」と「むろらんカレーラーメンの会」が共同で開発。

室蘭在住のクラフト作家、登尾真帆(のぼりおまほ)さんが製作したものです。

むろらん広域センタービルの完成を記念して作られました。

むろらん広域センタービル
北海道室蘭市海岸町1丁目4-1

【追記】R6.4.27 国松希根太 と 坂本正太郎 の作品の紹介が逆になっていたので、訂正しました。

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函館市 野外彫刻 渡島総合振興局

2024-04-05 05:43:40 | 野外彫刻

渡島総合振興局です。

敷地内に彫刻があります。

「風刻」
沢田 正文
彫刻の輪の中を様々な風が通り抜けていきます。
風はたくさんの事象を作り上げてきました。
大地の創造、文化の創造、産業の創造・・・
私たちは、この彫刻を通じて、渡島の歴史を思いおこし、未来への発展を確信します。
また、建物と調和した落ち着いた風格と親しみを感じさせ 訪れる人々の心を捕らえてくれることでしょう。

説明文が摩耗していて、解読が難しいところがありましたが、文字起こしできてよかったです。

沢田正文さんは宮崎県出身で、1994年にニセコにアトリエを移動しました。

オブジェやレリーフ等の評価は高く、作品は道内外に散らばります。

庁舎内。1階のエレベーターホールです。

こちらにも作品あり。

時の断片
沢田正文

渡島総合振興局
函館市美原4丁目6番16号

もう一つ
中庭に「Kaze-Kozou」の作品あり。
同じく沢田正文の作品です。
画像は北海道のホームページから拝借しました。
中庭にあるとのことで、気がつかなかったのですが、平日じゃないと中に入れないので、撮るのは難しいです。

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福島町 野外彫刻 その2

2024-03-30 07:43:41 | 野外彫刻

福島町の千代の山千代の富士記念館です。

建物の前に彫刻があります。

千代の山像

福島町は、第41代横綱・千代の山、第58代横綱・千代の富士の生誕の地です。

千代の山 雅信(ちよのやま まさのぶ、1926年6月2日 - 1977年10月29日)は、北海道松前郡福島町出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。第41代横綱。本名は杉村 昌治(すぎむら まさはる)。

千代の山・千代の富士像
制作 小張隆男

サインあり。
96
T.Obari

横綱千代の山・千代の富士記念館は大昔に来たことがあるのと、今回の旅の目的が道の駅巡りだったため、入場はしませんでした。

千代の富士像
小張隆男

千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ、1955年(昭和30年)6月1日 - 2016年(平成28年)7月31日)は、北海道松前郡福島町出身で九重部屋に所属した大相撲力士。本名は秋元 貢(あきもと みつぐ)。第58代横綱。昭和最後の大横綱。位階は従四位。血液型はA型。

千代の富士は私が小学生の時に活躍していて大ファンでした。

'96
T.Obari

横綱千代の山・千代の富士記念館
北海道松前郡福島町字福島190番地

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