サバ奈子

むかし猫ブログ、いま趣味ブログ

浦河町 野外彫刻 その5

2022-02-24 06:34:41 | 野外彫刻

浦河町総合文化センターです。

こちらに彫刻が2点あるとのことで、やってきました。

玄関に入ったところで、彫刻を発見。

子うまと子ども
鈴木吾郎
平成8年2月

前回浦河に来た時には、ノーチェックだったので、今回は絶対に見なければ!と
思っていた作品です。

あどけない少年の像。

後ろにショッピングセンターMIOの入口があります。浦河町総合文化センターは
複合ビルになっています。

もう一つの彫刻が見つからず、施設をぐるっと1周して、中庭でやっと見つけられました。

ところが中庭は立ち入り禁止のため入れず。

図書館の職員に作品が見たいんです!と訴えて中に入れてもらいました。

銘板はなし。

でもこの作風と表情には見覚えがあります。

サインを見つける。
Y.Sugawara
たぶん菅原義則で間違いない!

家に帰ってから検索する。
アートサロン細川に菅原義則のプロフィールがあり、タイトルが「春風に・・・」
であることが判明。

1996年に設置されたとのことです。

浦河町総合文化センター
浦河郡浦河町大通3丁目52番地

彫刻を探している途中で、ショッピングモールの中にも入ったので、顔出しパネルを
見つける。

浦河町応援大使
大谷翔平選手、白村明弘選手
記念撮影コーナー

等身大パネルもありました。

浦河町制100周年の記念に大谷君が来てくれたんですかね。

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浦河町 野外彫刻 その4

2022-02-23 07:23:14 | 野外彫刻

JRA日高育成牧場です。

敷地内に彫刻があります。

これがタイトルなのかなぁ?と思うのだけど、読めません。

ウマ娘にはまっている息子に、この馬の名前わかる?と聞いたら、せめて色が
ついていたらヒントになるのにね と言った後、少ないヒントから調べてくれて、
エルシドじゃないかなぁ?とのこと。

エルシドとは、フランス生産のアングロアラブ系種の競走馬、種牡馬。フランスで
競走生活を送り、引退後は日高軽種馬農業協同組合により輸入され日本で種牡馬と
して繋養されると、多数の活躍馬を送り出した。功績を称えて同農協には銅像が
建てられたとある。

でも年代的に違うかも。

昭和32年6月16日
社団法人日本軽種馬協会日高支部

JRA日高育成牧場
北海道浦河郡浦河町西舎535-13

場所を移動して、うらかわ優駿ビレッジAERUです。

敷地内に彫刻があります。

トウショウボーイ号
トウショウボーイは、昭和50年代にテンポイント、グリーングラス共に「3強
次代」を築き、その走り姿から「天馬」と呼ばれた。
1973年4月15日生、1992年9月18日没

父 テスコボーイ
母 ソシアルバタフライ
戦勝 15戦10勝
  1976年 皐月賞、有馬記念
  1977年 宝塚記念、高松宮杯
主な産駒 ダイゼンキング・ミスターシービー・アラホウトク
     サクラホクトオー・パッシングショット
     シスタートウショウ・ダイイチルビー

西平孝史の作品で、岡山県出身の彫刻家です。

1998年 トウショウボーイ号のブロンズ馬像の制作を機に、ブロンズ像ができる
までの工程写真集「ブロンズ」を発行しています。 

うらかわ優駿ビレッジAERU
北海道浦河郡浦河町西舎141番40

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浦河町 野外彫刻 その3

2022-02-22 04:27:53 | 野外彫刻

谷川牧場の谷川事務所です。

私が浦河町に住んでいた時は、谷川牧場のオーナーの谷川弘一郎さんが
町長でした。

馬魂碑があります。

ミホシンザン号之碑
父 シンザン
母 ナポリジヨオー
1982年4月16日 生
2014年12月4日 没
父シンザンの血を受けて、秋の淀での快勝を
“幻の三冠馬”と人はいう。

チョウカイキャロル号之碑
父 ブライアンズタイム 1991年3月16日 生
母 ウィットワタースランド
 1994年優駿牡馬【オークス】G1
 1994年中京記念G3
 1994年エリザベス女王杯G1 2着
 1994年忘れな草賞
  12戦4勝
 2019年9月12日 没

ホクトボーイ号之碑
父 テスコボーイ 1973年 生 鹿毛
母 フィリーバスター 日進牧場 生産
通算13勝
 天皇賞
 京都記念・阪神大賞典
 朝日チャレンジC・スワンC
1987年10月5日 没

ミナガワマンナ号
1978~2007年
父・シンザン
母・ロングマンナ

タケフブキ号之碑
父 パーソロン
母 ハヤフブキ
1969年4月13日 生
1995年1月15日 没

タケホープ号之碑
父 インディアナ 1970年生 鹿毛
母 ハヤフブキ 谷川牧場生産
通算7勝 日本ダービー 菊花賞
     天皇賞 アメリカJC杯
競馬史上に一時代を築き上げた無双のステイヤー
1973年年度代表馬
1994年7月16日 没

シンザン
堤直美

シンザンを称えて

シンザン(1961年4月2日 - 1996年7月13日)は、史上2頭目、戦後初のクラシック三冠馬。

1964年、1965年啓衆社賞年度代表馬。

1984年に顕彰馬に選出された。八大競走の勝利数から、日本競馬史上初めて
「五冠馬」の称号を与えられた競走馬であり、戦後日本の競馬界に長く影響を
与え続けた功績の大きさから「神馬」とも呼ばれている。

その走りは「鉈の切れ味」と形容された。

シンザンのすごいところは、産駒もとても優秀な成績を残したこと。

1983年夏
馬主 シンザンクラブ 橋元幸次
調教師 武田文吾

調教師 武田文吾氏の言葉

牧場の風景がなつかしかったです。

谷川牧場
北海道浦河郡浦河町西幌別112-3

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JR北海道 今日も終日運休

2022-02-21 14:52:41 | 日記

JR北海道ホームページより

【2/21 運転見合わせ】
〇以下の区間で始発から「終日」運転を見合わせます。
・千歳線 札 幌 ~ 新千歳空港・苫小牧 間
・函館線 小 樽 ~ 岩見沢 間
・学園都市線 札 幌 ~ 北海道医療大学 間
・函館線  森  ~ 長万部 間
     長万部 ~ 小 樽 間
     岩見沢 ~ 旭 川 間
・室蘭線 岩見沢 ~ 苫小牧 間
・石勝線 南千歳 ~ 新 得 間
・根室線 滝 川 ~ 新 得 間(代行バス含む)
     新 得 ~ 音 別 間
・花咲線 釧 路 ~ 根 室 間
・釧網線 釧 路 ~ 網 走 間
・宗谷線 旭 川 ~ 稚 内 間
・石北線 旭 川 ~ 網 走 間
・富良野線 旭 川 ~ 富良野 間
・留萌線 深 川 ~ 留 萌 間
※本日出発分の在来線特急はすべて運休します。

今日もお仕事休みました。
正直、たいして雪も降っていないのになぜ?って思いました。

でもお買い物に行こうと思ったら、橋のスロープが吹きだまっていて、長靴履いても
むなしいくらいの積雪で前に進めず、それでも迂回して川を渡って歩道を歩きだした
ら、歩道が吹きだまっていて進めなくなって、引き返して来たら、大粒のアラレが
降り始め、風も強いものだから、顔にあたって痛くて目も開けられなくなって、
こんなんで交通事故でもあったらバカらしい と買い物をやめて帰ってきました。

無理です。
歩けません。
遭難します。
JRの運休は正しい判断だったと思います。

北海道は暴風雪 札幌圏でJR終日運休 多重衝突で100台立ち往生

今日はおうちでのんびりします。
午前中の割と穏やかな時間帯に雪かきできてよかった。

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浦河町 野外彫刻 その2

2022-02-21 05:37:29 | 野外彫刻

浦河町立郷土博物館です。

32頭の馬像をのせた優駿の門が訪問客を出迎えます。

優駿の門
亀倉康之

亀倉康之(1934~2012)は東京都文京区の出身ですが、東京芸術大学彫金科に
在学中に訪れた北海道の大自然に感動。このときであった北海道の自然・馬は
亀倉作品の代表的モチーフとなった とのことです。

1977~1986年頃、北海道日高地方に度々滞在し、モニュメント等多くの作品を
残しています。

建物側から見た優駿の門です。

敷地内に彫刻がありました。

子どもの手とか一部崩壊しています。

銘板らしきものはありますが、全く読めませんでした。

コンクリート造りは劣化が激しい。

郷土博物館は、1978(昭和53)年に旧東小学校を改修して開館したので、小学校
次代のものではないかと。

昔、浦河町に住んでいたけど、当時は車を持っていなかったので、歩ける範囲
しか散策できなかった。

自転車は持っていたけど、けっこう起伏が激しい土地で移動手段には向かなかった。

レリーフがありました。
もしかしたら小学生の卒業制作かもしれません。

モニュメントがありました。

国際青年年記念 青春の像 創造の手
(昭和60年11月30日)
※当時の青年会メンバーらが記念の品をタイムカプセルに保存
1985 30th→ 2015

2015.11.21 Opened
次代をこえて
今、新たなる一歩!
浦青協30周年 実行委員会

もう一つ彫刻がありました。

これもきっと小学校時代のものだろう。

劣化が激しいです。

浦河町 野外彫刻 は昨年ちらっと載せているので、今回はその2になります。

浦河町立郷土博物館
浦河郡浦河町字西幌別273-1

コメント (2)
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食事の店 水鶏(くいな)

2022-02-20 08:12:58 | 食べ歩き

様似観光案内所で、お昼を食べたいのですが、おすすめは?と聞いたら、
2~3店紹介してくれて、その中の一つです。

最初は別の海鮮の店に行ったのだけど、定休日だったようで、2番目の候補
でこちらのお店に来ました。

昔の貨車と車掌車を2台くっつけて屋根をつけた構造になっています。

地元でも人気のお店ですが、ブログ的にも話題性があり、こちらのお店に決めました。

お店を改造するのも大変だったでしょうね。

のれんをくぐって、

重い扉を開けます。年季が入っています。

メニューです。

サイン色紙。NHKの番組が来たんですね。

車両の壁をぶち抜いて、飲食スペースと調理スペースになっています。

食事が出てくるまで、珍しいので、いろいろ写真を撮る。

いろいろ改造しているので、この電気は当時のものだろうかとか考えていました。

席はカウンターとテーブル席がありますが、お客さんがいっぱいだったので、
テーブル席は写真を撮れませんでした。

ポータブルストーブです。真冬でも暖房はこれだけ?
ストーブの隣にある「9633型式9600」が重要らしい。

味噌ラーメンにしました。札幌ラーメン風です。小ライスがサービスで
ついてきます。

東急車両 昭和29年

日本国有鉄道

なかなか楽しいし、おいしかった。このお店にしてよかった。

食事の店 水鶏(くいな)
様似郡様似町錦町6-4

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様似町 野外彫刻 その4

2022-02-19 04:42:21 | 野外彫刻

様似町立あすなろ幼稚園です。

建物に向かって玄関の左側の壁です。

玄関の右側にもあります。対の作品ですね。

メロディウェーブ
上杉愛

様似町立あすなろ幼稚園
北海道様似郡様似町錦町1-8

地図をたよりに潮見台に向かいます。

観音山三十三観音霊場
この霊場は明治28年蝦夷三官寺等澍院 第十三世塚田純田大和尚の発願により
町内外の篤信者が地域の平安と繁栄を願って当時「円山」と呼ばれたこの地に
三十三体の観音様を奉納したことに始まる。
以後、この山は「観音山」と呼ばれ親しまれ毎年行われる「お山かけ(三十三
観音礼拝)」には多くの人々が参拝している。
建立から百年を迎えた平成8年6月 第十四世 大久保智行和尚により盛大な記念
法要が行われ、平成10年10月24日には等澍院建立二百年記念事業の一環として檀
信徒六十余名の奉仕による大修復が行われ今日に至る。
奉仕施主 遠藤石材 遠藤力雄
  施主 荒木漁業部 荒木トミ

巨大なカシワの木です。

観音山の御神木記念保護樹木
この木は、樹齢400年以上と推定されるカシワです。
明治28年蝦夷三官寺、等樹院中興の祖である塚田順田氏が三十三館観世音の石像を
設置したことから、この山を観音山と呼ぶようになりました。それ以来、頂上に生
育していたこの巨木は御神木として崇拝され、地域の人々に親しまれています。
昭和48年3月17日指定
北海道

カムイチャシ記念碑の案内板が見えました。(案内がないとどこにあるのか探すのに
途方にくれます)

カムイチャシ記念碑
ホタフベユーカル

ホタフ

ベユーカル

昭和53年9月建立
北海道ウタり協会様似支部

ジオにまつわるアイヌの昔ばなし
北海道には500以上のチャシ(砦)跡があるといわれていますが、この観音山の上
にもチャシがあったと伝えられています。様似町には、昔から多くのアイヌの人々が
暮らしており、地名とともにたくさんのアイヌのいいつたえが残されています。
争いを鎮めたホタフンペ(砂のクジラ)
むかしむかし、十勝のアイヌが様似に攻めてきたとき、様似のアイヌは観音山に陣地
をかまえ、勝敗がつかないまま何日も向かい合っていました。長い戦いにつかれた様
似のアイヌは、観音山の川向こうにクジラの形をした砂山を一夜のうちにつくり、そ
こに陣地をかまえ直しました。これを見た十勝のアイヌは、「海の王様のクジラには
弓は引けない」と仲直りを申し込み、その争いは終わりました。
今の西町生活館横にある小山が、そのクジラの砂やな「ホタ(砂)・フンペ(クジラ)」
だといわれています。

観音山
様似郡様似町潮見台2

北海道デジタル彫刻美術館/彫刻検索を見て、てっきり彫刻だと思って行ったのに、
石碑だった物件です。険しい山道です。運転がとても怖かったです。

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様似町 野外彫刻 その3

2022-02-18 05:39:45 | 野外彫刻

様似町立様似図書館です。

玄関前に彫刻があります。

ぬくもり

銘板がないため作者は不詳です。

子どもに読み聞かせをしている像で、図書館にぴったりです。

背中にサインがありますが、

'92
NSATHO
作者を特定するには至りません。

様似町役場に問い合わせたところ、寄贈のときの書類を探してくださり、
作者は佐藤範夫とのことです。

さらに北海道デジタル彫刻美術館には載っていませんが、アポイ岳ビジター
センター前と幌満川沿いのダムの管理棟に手塚さんの胸像がありますと
教えてくださったので、機会があれば行ってきたいと思います。
何回かメールのやりとりをしました。本当にありがとうございました。

様似ポニースタンプ会寄贈。
様似ポニースタンプ会は昭和43年設立され当初の目的を達成し平成3年
解散しました。

図書館の中に入ります。

作品名 天に還る鮭
作者名 砂澤ビッキ
    後藤和子

砂澤ビッキ 1931.3.6~1989.1.25
彫刻家、コンテンポラリーアーティスト、1931年(昭和8年)北海道旭川市生まれ。
本名・恒雄(ひさお)。1947年(昭和22年)北海道立農業講習所(現・北海道立
農業大学校)入学。1948年(昭和23年)同校終了、農業に従事。
若い頃から絵画や木彫に親しんでおり、22歳の時に上京、独学で制作に励み、
1958年(昭和33年)モダンアート展で新人賞受賞。
晩年、豪放さと繊細さが調和した独学の木彫作品を生んだ。
代表作に「四つの風」(札幌芸術の森野外美術館)、「風に聴く」(芸術の森美
術館)がある。

後藤和子 1941~
1941年(昭和16年)旧満州ハルピンに生まれる。1963年(昭和38年)北海道学芸
大学(現・北海道教育大学)特設美術過程卒業。1973年(昭和48年)に集団「12
稜空間」として、北海道芸術新賞を受賞。
以来、数多くの個展・グループ展を開催し、そのスケールを拡大させるとともに、
和紙にグワッシュやアクリルといった描材を駆使しながら、画面空間の質そのも
のを大きく変貌させている。現在は、札幌市を中心に活動中で、道内屈指の女性
抽象画家として注目されている。

鮭の下の部分も拡大して撮ってくればよかったのですね。

図書館の玄関前にはタイル画がありました。

絵本の中から出てきたような作品。









様似町立様似図書館
北海道様似郡様似町大通1丁目25番地の1

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様似町 野外彫刻 その2

2022-02-17 05:38:55 | 野外彫刻

様似町役場とくっついている建物で、様似町公民館です。

玄関前に 第4回国際レルゾライト会議 2002.8/26-9/3 の石碑がありました。

玄関から中に入ってすぐのところに、彫刻あり。

立女
作者 佐藤公毅
寄贈者 橋坂兼雄

佐藤公毅(さとうこうき)は、1942年早来町(現安平町)生まれの木彫家。
全道展会友。苫小牧美術協会会員。彫刻家集団ZERO代表。

木という素材のもつ温かみや生命力を感じさせる抽象的な造形表現を作風とする。
自然のもつ洗練された形態と滑らかに研磨された質感を特徴とするその作品は、
見る者の視覚のみならず触覚的な感覚をも刺激する。

壁にレリーフあり。

様似の明日

螺旋階段に上がって見ようとするが、ライトが邪魔をする。

株式会社南組創業50周年記念
制作年月日 昭和54年3月17日
寄贈者 株式会社南組 代表南正
製作者 亀倉康之.南清
製作所 丸正南物産株式会社

見やすい位置を探して移動する。

鮭がたくさんいる様子。

亀倉康之はホームページを見つけたので貼っておく。金属造形作家です。

ロビーの角にあった作品。

トルソーⅡ
佐藤雅奉

佐藤雅奉は滝川市在住の彫刻家ですが、あまり情報がなくてすいません。

様似町公民館1F
様似郡様似町大通1丁目21

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様似町 野外彫刻 その1

2022-02-16 05:35:53 | 野外彫刻

様似町役場です。4体の胸像が並んでいます。

向かって右から紹介していきます。

様似町名誉町民 佐藤八三郎

佐藤八三郎(1875年~1963年)
昭和38年1月23日 様似町名誉町民推戴
明治8年様似町で生まれる 若くして地域の衆望を担い戸長役場時代の総代に
就任 以来永年にわたり村議会議員としてその重責を果たし特に広大な面積の
町有林を取得 町づくりの基本財産として育林確保に手腕を発揮 また私財を
投じて学校教育の充実に寄与 さらに冬島推進組合の初代組合長など各種団体
の役員として活躍 様似町発展の基礎を築いた
様似町



銘板はなし。背中に麦生のサインあり。

従六位勲五等瑞宝章 様似町名誉町民
留目四郎

留目四郎(1902年~1971年)
昭和43年11月3日 様似町名誉町民推戴
明治35年青森県に生まれる

略歴の文字がかすれていて、写真から文字起こしができませんでした。
文字が薄いのはよくあることで、時間があれば現地で解読するようにしています。



背中に麦生のサインあり。

従五位勲四等瑞宝章 様似町名誉町民
杉本榮一

杉本榮一(1903年~1996年)
昭和56年11月3日 様似町名誉町民に推戴
明治36年様似町に生まれる 早稲田大学在学中から報知新聞記者として国内外で活躍
昭和34年日高管内住民の衆望を担い北海道議会議員に初当選七期二十八年間道政に
参画 道議会議長をはじめ多くの要職を歴任 本道政界の重鎮として躍進 北海道の
基礎を築き本道の発展に大きく貢献した
様似町




背中に麦生のサインあり。

様似町名誉町民 三上重藏

三上重藏
(1875年~195?)
すいません。写真失敗して解読できませんでした。
昭和31年3月20日 様似町名誉町民に推戴
明治8年様似町で生まれる
水産業の発展に貢献されたようです。




M.YAMAZAKI
世界堂謹製

4体の彫刻について、様似町役場にメールで作者の問い合わせをしたところ、
4点とも亀倉康之の作品です と断言されてしまったが、どうしても納得でき
なかったので再度メールをしたところ、麦生とは亀倉康之の息子であること。
製作には亀倉康之も係わっており、当時を知る関係者には亀倉作品で周知され
ていたため、そのように回答してしまったとのこと。
世界堂謹製のM.YAMAZAKI作品については、別の場所から移転して来たため、
役場ではわかりかねるとのことでした。
丁寧な回答をありがとうございました。

様似町役場
北海道様似郡様似町大通1丁目21番地

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