5月21日 クルド人家族のグループが、東南部ディヤルバクル県の市庁舎前にすわりこみ、子供たちを募集するPKKに抗議しています。PKKが4月、彼らの子供たちを強制的に徴集したと主張しています。
Sabah
家族たちは“誘拐”を非難する横断幕と子供たちの寫眞を掲げ、子供たちは4月23日、同県リジェ地区でのピクニック中に、PKKに参加させられたと主張しています。
子供たちは全員高校生で、リジェの郊外でNGOが開催したピクニックに参加していたそうです。そこにPKKの戦闘員グループが現れて、彼らのメンバーにするために5人の子供たちを捕らえたというのです。
15歳のハリメさんの母親サフィエ・ギュンデュスさんは、先月から娘を見ていない、会いたいと言っています。ギュンデュスさんは治安部隊に訴えましたが、娘の居所はわからなかったそうです。
「PKKの女性戦闘員たちが、私の娘と他の子供たちをPKKに参加するよう説得したのです」と彼女は言っています。「娘の友人たちが娘の学校カバンを届けてくれて、PKKの戦闘員が娘をPKKに入るよう説得したと言いました。私の娘は最初は抵抗していましたが、彼らは“PKKはあなたの家族とクルド人のために戦っている”と言って、ハリメをだましたのです」
ギュンデュスさんの夫はイラクで働いていて、彼女は娘と2人暮らしでした。「娘は幼く、PKKがなにをしているのか知りません。私は政府が娘を取り戻してくれるよう訴えているのです」
15歳のフラト・アイドゥン・エレン君の母マフフュズ・エレンさんは、「息子はPKKに入れられるには若すぎます。彼はまだ15歳です」と言い、息子は模範的な学生で「戦いかたなど知りません。彼は人を殺すことなどできません。彼に人を殺させたくありません。私は子供が帰ってくるまで、抗議をつづけます」
エレンさんは政府が子供たちを取り戻してくれると信じていると言っています。「私は平和プロセスを信じています」と、彼女はPKKの紛争を終わらせる政府の和解イニシアティブにも言及しました。
東南部シャンルウルファ県で親PKKのデモに参加して行方不明になった15歳のハティプ・テメル君の母エミネ・テメルさんも、2人の母親のすわり込みに加わりました。「ハティプは私の1人息子です。テロリスト攻撃で彼を死なせたくありません」
ハティプ君はデモ参加中にPKKに入ったと推測されます。
トルコの東南部と東部は何年間も、PKKの血なまぐさいキャンペーンの砦でした。PKKはこれまで3万人の人々を殺してきました。
2012年、政府は和解プロセスに着手し、何十年もつづいている紛争を終わらせ、クルド社会の権利を復活させるために、一連の改革を行いました。PKKは和解プロセスの施行後、停戦を宣言し、トルコには事実上、大きなテロはなくなりました。
それにもかかわらず、ここ何か月か、PKKは活動を再開し、東部や東南部で人々を誘拐し、治安部隊と砲火を交えました。PKKの最近の攻撃は、国境治安のための軍の前哨基地建設と関連しています。
PKK戦闘員たちはトルコ領内から“撤退”後、トルコと国境を接するイラク北部の山岳部のアジトに戻りました。
子供たちは全員高校生で、リジェの郊外でNGOが開催したピクニックに参加していたそうです。そこにPKKの戦闘員グループが現れて、彼らのメンバーにするために5人の子供たちを捕らえたというのです。
15歳のハリメさんの母親サフィエ・ギュンデュスさんは、先月から娘を見ていない、会いたいと言っています。ギュンデュスさんは治安部隊に訴えましたが、娘の居所はわからなかったそうです。
「PKKの女性戦闘員たちが、私の娘と他の子供たちをPKKに参加するよう説得したのです」と彼女は言っています。「娘の友人たちが娘の学校カバンを届けてくれて、PKKの戦闘員が娘をPKKに入るよう説得したと言いました。私の娘は最初は抵抗していましたが、彼らは“PKKはあなたの家族とクルド人のために戦っている”と言って、ハリメをだましたのです」
ギュンデュスさんの夫はイラクで働いていて、彼女は娘と2人暮らしでした。「娘は幼く、PKKがなにをしているのか知りません。私は政府が娘を取り戻してくれるよう訴えているのです」
15歳のフラト・アイドゥン・エレン君の母マフフュズ・エレンさんは、「息子はPKKに入れられるには若すぎます。彼はまだ15歳です」と言い、息子は模範的な学生で「戦いかたなど知りません。彼は人を殺すことなどできません。彼に人を殺させたくありません。私は子供が帰ってくるまで、抗議をつづけます」
エレンさんは政府が子供たちを取り戻してくれると信じていると言っています。「私は平和プロセスを信じています」と、彼女はPKKの紛争を終わらせる政府の和解イニシアティブにも言及しました。
東南部シャンルウルファ県で親PKKのデモに参加して行方不明になった15歳のハティプ・テメル君の母エミネ・テメルさんも、2人の母親のすわり込みに加わりました。「ハティプは私の1人息子です。テロリスト攻撃で彼を死なせたくありません」
ハティプ君はデモ参加中にPKKに入ったと推測されます。
トルコの東南部と東部は何年間も、PKKの血なまぐさいキャンペーンの砦でした。PKKはこれまで3万人の人々を殺してきました。
2012年、政府は和解プロセスに着手し、何十年もつづいている紛争を終わらせ、クルド社会の権利を復活させるために、一連の改革を行いました。PKKは和解プロセスの施行後、停戦を宣言し、トルコには事実上、大きなテロはなくなりました。
それにもかかわらず、ここ何か月か、PKKは活動を再開し、東部や東南部で人々を誘拐し、治安部隊と砲火を交えました。PKKの最近の攻撃は、国境治安のための軍の前哨基地建設と関連しています。
PKK戦闘員たちはトルコ領内から“撤退”後、トルコと国境を接するイラク北部の山岳部のアジトに戻りました。
裁判所は炭鉱会社オーナーの逮捕状の発行を拒否した
5月21日、裁判所は、検察官によるソマ炭鉱会社オーナーの逮捕状請求を拒否し、301人の作業員の命を奪った先週の事件に関して、彼の責任を示す証拠がないと裁定しました。
最大野党・共和人民党(CHP)のオズギュル・オゼル議員は、5月20日、ツイッターで、炭鉱事故を調査している検察官がソマ石炭会社のオーナー、アルプ・ギュルカンの逮捕状を求めたが果たせなかったと発表しました。
最大野党・共和人民党(CHP)のオズギュル・オゼル議員は、5月20日、ツイッターで、炭鉱事故を調査している検察官がソマ石炭会社のオーナー、アルプ・ギュルカンの逮捕状を求めたが果たせなかったと発表しました。
Hurriyet
アルプ・ギュルカンは5月16日、ソマの記者会見で語った
しかし、裁判所は逮捕の必要はないとし、この事件で「ギュルカンに落ち度があったことを示す情報はかけらもない」という最初の専門家の報告を引き合いに出しました。
5月16日のソマの記者会見で、ギュルカンは、事件に関して会社に手抜かりはなかったと信じていると言いました。
炭鉱の責任者であるトップの2人、オーナーの息子であり、会社のCEOであるジャン・ギュルカンと、ジェネラル・マネジャーのラマザン・ドールが5月19日、突然、逮捕されました。
検察官らは災害に関する最初の専門家の報告書をもとにして、事件で死んだ3人を含む39人の容疑者を決定しました。36人のうち、8人が逮捕され、9人は未決で仮釈放されました。
作業員と犠牲者の家族たちがソマの裁判所の前ですわりこみを始め、透明な裁判と、炭坑労働組合の組合長の調査を要求し、責任を果たさない労働組織を告発しています。
5月16日のソマの記者会見で、ギュルカンは、事件に関して会社に手抜かりはなかったと信じていると言いました。
炭鉱の責任者であるトップの2人、オーナーの息子であり、会社のCEOであるジャン・ギュルカンと、ジェネラル・マネジャーのラマザン・ドールが5月19日、突然、逮捕されました。
検察官らは災害に関する最初の専門家の報告書をもとにして、事件で死んだ3人を含む39人の容疑者を決定しました。36人のうち、8人が逮捕され、9人は未決で仮釈放されました。
作業員と犠牲者の家族たちがソマの裁判所の前ですわりこみを始め、透明な裁判と、炭坑労働組合の組合長の調査を要求し、責任を果たさない労働組織を告発しています。
「ときどきダイアリー」ヘ