先日、民主党の代表を決める党内選挙がありました。
首相と前幹事長の戦い。
結果はご存知の通り、菅首相の圧勝でした。
勝利の決め手は、党員及びサポーターの票数。
しかし、注目すべきは国会議員の票数が僅か6票差だったということ。
この得票差は、そのまま国民と国会議員との温度差であり、【政治と金】の問題に対する認識の違いが表れたという評論を耳にしました。
ある新聞では、民主党を料亭の厨房に例えて、こんな表現がありました。
菅さんは、料理の味はイマイチだが、とりあえず清潔なだけは確かな板長。
小沢さんは、料理は美味しいと評判だが、手を洗わずに調理をしようとするのに板長になりたがる板前。
その2人の仲介をしようとしたのが、料理の味も清潔感も、お客からダメ出しされて板長を降ろされた鳩山さん。
これはメディアの情報を知る限りの私から見た、国政を担う人たちの姿そのものです。
それがそのまま党員とサポーターの票に表れたということでしょう。
しかし、国会議員の票数の差を、そのまま国民との温度差ととらえてよいものか…最初は納得していたのですが、だんだんそれだけではないのではないかと思うようになってきました。
小沢さんが代表となり、総理大臣となれば、当然野党から【政治と金】の追求にあい、国会審議が進まないということは言うまでもなく明らかなこと。
そして【政治と金】のイメージが、民主党にとってもプラスに働くことはないということも同様。
また、国の顔がコロコロ変わるということも、対外的にはマイナスです。
そんなことは国会議員も百も承知だったはず。
それでも、小沢さんを担ぎ出し、投票をした…その結果、半数の得票を得たという事実。
私には、小沢さんは【政治と金】の象徴であり、人を動かし自分は表に出ないで身を守る【黒幕】という印象しかありません。
彼が何を動かし、何を成し遂げたのか…ダークな印象の前では瑣末なこと。
知ろうともせず、印象ばかりが先走り、気がつけば人となりを決定付けてしまっていました。
それを全て知った上で、国会議員の半数が小沢さんに投票したと考えると、そこには確かに国民との温度差はあるのでしょうが、同時に私たちが知りえない、近くにいるからこそ分かる「小沢さん」という生身の魅力があったとも思うのです。
決め付けとは恐ろしいもので、見えるものも見えなくしてしまいます。
嫌いと思ったら、なかなか良い所を見つけられないように。
良い所があっても、それを認められないように。
全ての情報は、メディアによって切り取られたものでしかありません。
それは現実の一部ではあっても、真実ではない。
なのに私は、それを真実だと思い込み、自分の中で良し悪しの決め付けが為されてしまう。
そして、知ろうとする努力を放棄して、流されるまま結論を出す。
確かに、投票結果は当然の結末で安心しましたが、その票の中にどれだけ流された結論があったのかを考えると、政治がイメージ先行となっている現状と、メディアにまんまと踊らされている自分を憂うばかりです。
もっともこれは、国会議員たる者が、恩義や畏怖などといった個人的な感傷をもって国政を動かす判断をなすようなことはないという、夢のような希望のもとに論じていますが…まぁ、夢なんでしょうけどね。
どちらにしても、手を洗って調理するのが最低条件に変わりはない。