【コンビニエンス】という単語が【便利】という意味だと知ったのは、高校生のときだ。
四半世紀と数年という時を振り返って考えても、世の中、便利になったなぁと、至るところで思ってしまう。
この目で見ることも、この手で触れることもなく。
あらゆる現実と思わしき情報を、コタツに座りながらにして手に入れている。
コンビニの24時間営業が当たり前になり、スーパーの深夜営業も珍しくなくなった。
欲しいものが、欲しいときに手に入る。
身近で手に入れられないものも、ネットで探せば手に入る。
それら全てが便利になったなぁと思うことではあるけど。
じゃあ、小さい頃は不便だと感じていたかと言えば、そうでもない。
それは不便ではなく、当たり前のことだったから。
今では不便と思うことでも、そういうものだと受け入れていたと思うから。
便利になるということは、時間にゆとりができるということだと思ってた。
便利になった分、一つ一つに割く時間が短縮されて、余裕が生まれるはずだった。
けれど、実際は生まれた時間のゆとりのなかに、更なる便利を詰め込んでいた。
結局、時間にゆとりが、あるのかないのか、よく分からない。
そして、便利であることに慣れると、便利でないものが許せなくなっていた。
不便なことに割く時間は無駄なものと、切って捨てる。
切れないものには、怒りを感じる。
便利になる前は、当たり前のことだったはずなのに。
その時間を、楽しむ余裕はどこにもない。
なんとなく、心のゆとりも失われていくような気がした。
便利であるがゆえに、生まれるゆとりもあるだろうが。
便利であるがゆえに、奪うゆとりもあるのだろう。
【便利】とは【自分に都合の良いこと】という意味らしい。
それなら、自分にとって都合の悪いことは楽しめまい。
主体となるのは、いつだって自分。
便利と思うのも、不便と思うのも、すべて自己中心であることから生じる思い。
切って捨てるのは自分だけど、誰かに切られて捨てられている自分もいる…。
いろんな自分を知ることで、生まれるゆとりもあるかもしれない。
ちなみに、【ゆとり】も【余裕】も、その意味を持つ英単語を、この歳になっても知らなかった。
電子辞書を引くと、複数の単語が表示され、どれが即しているのかも分かりづいらい…全くもって不便である。