週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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法話・「信心」③

2011-07-16 01:54:47 | 法話のようなもの

           (7月9日 お経の会の法話より ①②の続き)


阿弥陀さまは、計り知ることなど到底できないほどの長い間、生きとし生けるもののことを思い、生きとし生けるもののために修行を修められた仏さまです。
そして、その修行で積まれた功徳を、自分のためではなく、すべて私たちを救うためだけに振り向けられた仏さまです。

そのうえで、阿弥陀さまは私たちに、「あなたを信じる」と仰います。
たとえ想像を絶するほど長い間をかけ懸命に積んだ功徳を無駄にされようと、裏切るような生きかたをされようと、理屈ではなくただ「救いたい」という思いから、己の全てをかけて信じ続けてくださる阿弥陀さまのお心。

それが阿弥陀さまの「信じる心」です。

ですから、「信心」は私の中に始めからあるものではありません。
信じよう、信じようと思って、その思いを積み重ね、深めていくことが信心なのでもありません。
自分の中で理解し、思案し、作り上げていくものでもありません。

誰かを裏切る生きかたをしているこの私を。
良いことをしようとしても、到底できないこの私を。
取り繕っても誤魔化すことのできない、そのままの私を。

疑うことなく、決して裏切ることなく、信じ続けてくださる阿弥陀さまのお心が、いまこのときも私に至り届けられています。
だからこそ、浄土真宗では「信心がある」と言わず、「信心をいただく」と言うのです。
そして、それを親鸞聖人は「如来より賜わりたる信心」と仰られたのです。

私が信じて救われていくのではなく、私を信じ、私を救いたいと願い誓った尊いお心を受け止めるところに、浄土真宗の信心があります。

線引きも、取り引きも、条件付けも必要としない阿弥陀さまの信心。
その信心をいただくということは、疑う必要もないということ。
それは、私が「疑わない」信心ではなく、「疑いの余地すらない」信心ということ。

阿弥陀さまから与えられた信心。
目には見えなくても、信じてくださる思いがあり、信じられている自分がいるということ、生きている今気づいて欲しい。

すべては、阿弥陀さまの真実の教えを聞くところから始まります。
これからもご聴聞を重ね、阿弥陀さまからの信心を受け止め続けて下さいませ。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏   合掌
                                                  (了)



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