週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

夢のような話

2010-09-17 00:44:24 | ひとりごと

先日、民主党の代表を決める党内選挙がありました。

首相と前幹事長の戦い。
結果はご存知の通り、菅首相の圧勝でした。

勝利の決め手は、党員及びサポーターの票数。
しかし、注目すべきは国会議員の票数が僅か6票差だったということ。
この得票差は、そのまま国民と国会議員との温度差であり、【政治と金】の問題に対する認識の違いが表れたという評論を耳にしました。

ある新聞では、民主党を料亭の厨房に例えて、こんな表現がありました。
菅さんは、料理の味はイマイチだが、とりあえず清潔なだけは確かな板長。
小沢さんは、料理は美味しいと評判だが、手を洗わずに調理をしようとするのに板長になりたがる板前。
その2人の仲介をしようとしたのが、料理の味も清潔感も、お客からダメ出しされて板長を降ろされた鳩山さん。

これはメディアの情報を知る限りの私から見た、国政を担う人たちの姿そのものです。
それがそのまま党員とサポーターの票に表れたということでしょう。
しかし、国会議員の票数の差を、そのまま国民との温度差ととらえてよいものか…最初は納得していたのですが、だんだんそれだけではないのではないかと思うようになってきました。

小沢さんが代表となり、総理大臣となれば、当然野党から【政治と金】の追求にあい、国会審議が進まないということは言うまでもなく明らかなこと。
そして【政治と金】のイメージが、民主党にとってもプラスに働くことはないということも同様。
また、国の顔がコロコロ変わるということも、対外的にはマイナスです。
そんなことは国会議員も百も承知だったはず。
それでも、小沢さんを担ぎ出し、投票をした…その結果、半数の得票を得たという事実。

私には、小沢さんは【政治と金】の象徴であり、人を動かし自分は表に出ないで身を守る【黒幕】という印象しかありません。
彼が何を動かし、何を成し遂げたのか…ダークな印象の前では瑣末なこと。
知ろうともせず、印象ばかりが先走り、気がつけば人となりを決定付けてしまっていました。

それを全て知った上で、国会議員の半数が小沢さんに投票したと考えると、そこには確かに国民との温度差はあるのでしょうが、同時に私たちが知りえない、近くにいるからこそ分かる「小沢さん」という生身の魅力があったとも思うのです。

決め付けとは恐ろしいもので、見えるものも見えなくしてしまいます。
嫌いと思ったら、なかなか良い所を見つけられないように。
良い所があっても、それを認められないように。

全ての情報は、メディアによって切り取られたものでしかありません。
それは現実の一部ではあっても、真実ではない。
なのに私は、それを真実だと思い込み、自分の中で良し悪しの決め付けが為されてしまう。
そして、知ろうとする努力を放棄して、流されるまま結論を出す。

確かに、投票結果は当然の結末で安心しましたが、その票の中にどれだけ流された結論があったのかを考えると、政治がイメージ先行となっている現状と、メディアにまんまと踊らされている自分を憂うばかりです。

もっともこれは、国会議員たる者が、恩義や畏怖などといった個人的な感傷をもって国政を動かす判断をなすようなことはないという、夢のような希望のもとに論じていますが…まぁ、夢なんでしょうけどね。
どちらにしても、手を洗って調理するのが最低条件に変わりはない。


雨のバーベキュー

2010-09-15 00:21:02 | 近況報告

少し涼しい風が吹き出し、夏らしいこともせず夏が終わってしまうと、焦って今日はベランダでバーベキューをしました。

横浜の天気予報は夕方から雨。
けれど今は晴れてるし、雨も夜から降るかもしれない…。
淡い期待を抱きつつ、午後4時過ぎから早々にお肉を焼き始めました。

しかし、お肉を2枚ほど食べた辺りで雨がポツポツ。
まぁ、雨男と雨女が雨の予報を覆すことなんて不可能なのは分かりきったこと。
川の中洲でバーベキューをしていたなら慌てて片付けるのでしょうが、所詮ベランダで親子3人のバーベキューなので、屋根の出ているところまでズルズルと移動して、食事を続行。

こういうときに、片方だけが慌てたり、雨の中はイヤだと片付けようとしたりするとギクシャクして、後味のよくない思い出になってしまうこともあります。
だから、「まぁ、いいか」と一緒にのんびり構えてくれる相手でよかったと、互いの共通した気性に笑って感謝し合って、お肉をパクリ。

雨空を見ながら、雨音をBGMに、濡れないように肩を寄せ合ってするバーベキューもなかなか楽しく、これはこれで有りでした。

ちなみに息子は、お肉少々にトウモロコシ・大学いも・大学かぼちゃ・焼おにぎりでお腹を満たしてもらいました。
息子も来年はもっと、いろんなものが食べられるようになっているでしょう。
今年のように家族だけじゃなくて、大勢でバーベキューをして、息子の夏の思い出を増やしていけたらと思っています。

もちろん、今度は晴れた日に(笑)

 


『本願寺新報』に最乗寺登場

2010-09-11 22:41:49 | 近況報告

寺報『最乗寺だより』の夏号にも掲載しましたが、5月のお経の会の常例日に初参式を執り行いました。

改めて説明しますが、初参式とは新しい命の誕生を慶び、阿弥陀さまの前で人生の出発をする儀式です。
また、子を授かって改めて今まで育ててくれた自らの親の願いに目覚めさせていただく機縁ともなる儀式です。

今回の初参式には、お経の会の参加者が一緒にお祝いをしてくださり、子供たちの愛らしさに微笑みながら、和やかな雰囲気の中で進められました。

その様子を、参加者の1人で、この初参式の提案者でもある方が、写真つきで『本願寺新報』に投稿してくださり、先日発行された『本願寺新報』に最乗寺の初参式が掲載されたのです。

『本願寺新報』は浄土真宗本願寺派の本山が編集をしている新聞で、全国の本願寺派のお寺に配布され、希望すれば個人で定期購読ができる発行物です。

ついに最乗寺も全国区になったのかと、ちょっと得意気になってしまいそうですが、これも全て、企画を持ち掛けてくださった上、記事を書いて投稿までなさったN川さんのおかげ。
今日のお経の会で、皆さんと本願寺新報を囲みながら、このような温かなご縁に支えられて最乗寺は今ここにあるんだなと、改めて繋がりの有り難さを噛み締めさせていただきました。

初参式を受けたあの二人の幼な子も、阿弥陀さまのもと、幾重ものご縁に支えられた命を生かされているということの【気付き】に溢れた人生を歩むことを、願ってやみません。

N川さん、ありがとうございました。


お経の会のご案内

2010-09-10 00:27:31 | 行事のご案内

明日は午後2時より、本堂にてお経の会があります。

お経の会は4月(永代経法要)・8月(お盆)・10月(報恩講法要)を除いた月の第2週の土曜日を常例としている会です。

浄土真宗で日常に読まれる『正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)』を皆さんと一緒に読む会ですが、あまり難しく考えないで下さい。
お家では隣近所の目もあって、なかなか大きな声が出せないでしょう。
けれど、本堂でなら、どんなに大きな声を出しても大丈夫。
読み慣れていないのなら、音程が外れていても当然当然。

大切なのは、心を込めて読み続けるということだけです。

耳が慣れてくれば、自然と音が取れてきます。
心が伴えば、経文に込められた思いも自分の中にストンと落ちてきます。

最初は見学がてらで構いませんので、まずは明日の午後2時に最乗寺の本堂まで足をお運び下さい。
予約は不要、習い事ではないのでお金も不要です。

明日は副住職が法話の当番です。
私と違って、副住職は正統派の法話しますので、お聞き逃がしのないように。
美味しいお茶菓子を用意して、お待ちしております。


億劫(おっくう)な日々

2010-09-08 01:38:08 | 法話のようなもの

毎日、夕方になると息子の散歩に出掛けます。
日中に比べれば、陽射しも和らぎ、うだるような暑さも少しだけ穏やかになっているはずなのですが、もともとがインドアな性分なので、外に出るのも正直おっくうでなりません。
一昔を思い、夏とはこんなに腰を重たくさせる季節だったかと首を捻ってしまいます。

さて、こんな「おっくう」な気分が続いているのですが、この「おっくう」を漢字にすると「億劫」となります。
「億」は馴染みのある字ですが、見慣れない「劫」という字、これは時間の単位を表す語であることをご存知でしょうか?

「劫」は本来「こう」と読み、一説には20km四方の岩に、100年に一度天女が舞い降りてきては、羽衣でその大岩を一度撫でて天へ帰るということを繰り返し、その大岩が磨耗してなくなっても終わらない時間を一劫というのだそうです。

浄土真宗において、日常に読まれるお経に『正信念仏偈』があります。
その中に「五劫思惟之摂受」という経文があるのですが、これは阿弥陀さまがまだ仏(如来)となる前、菩薩として修行をされていた頃に、誰一人も漏らすことなく救い上げるためにどうすればよいのかと、五劫の間お考えになられたという意味があります。

尽きることのない欲望に塗れた者たちを救うということが、いかに困難なことであり、他でもない私自身がいかに救い難い存在であったかということを、この劫という時間が知らしめてくれます。

劫の一億倍で億劫。
想像すらできない長い時間が転じて「面倒臭い」という意味になったと言われていますが、一劫を生き永らえるどころか、いつ命の灯火が消えるかも分からない人生を歩んでいるのですから、「おっくう」などと言っている暇など本当はないのかもしれませんね。

息子が一緒に散歩をしてくれるのは今だけでしょう。
本当に、おっくうなんて言っていては勿体無い勿体無い。

さて、この『正信偈』を皆さんと一緒に読む会が、今週の土曜・午後2時より本堂でございます。
事前予約は要りません。
どなたでも参加できますので、どうぞお越し下さいませ。

おっと、蛇足ですが、落語で有名な「寿限無 寿限無 五劫のすりきれ…」の五劫は、上記のように阿弥陀さまの考えられていた時間に由来します。
ちなみに、この「寿限無」に続くとんでもなく長い名前の中には、スーパーマリオというゲームの登場人物や武器の名前に使われているのが幾つかあるので、興味をもたれたら探されてみては…?