週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

涅槃会

2011-02-15 01:57:40 | 仏教小話
今日、2月15日はお釈迦さまがお亡くなりなられた日です。

広く『涅槃会(ねはんえ)』という名称で知られており、ご門徒の皆さまに送らせていただいた「ほのぼのカレンダー」にも、今日の日付に涅槃会と書かれています。

【涅槃】とはサンスクリット語で【ニルヴァーナ】と言い、「吹き消した状態」を意味します。
これは「煩悩の火が吹き消された状態」のことであり、これが「悟りの境地」という意味へと転回したようです。

そしてニルヴァーナには、「生命の火が吹き消された状態」という解釈もあり、お釈迦さまなど、悟りをひらいた方の死を表す「入滅」とも訳されるようになりました。

さて、「悟り」が「涅槃」であるならば、35歳で悟りをひらかれたお釈迦さまは、既に涅槃に入られているはずと思われるかもしれません。
全くその通りで、お釈迦さまは35歳で、既に涅槃に入られています。
しかし、煩悩の火が吹き消され、心の束縛を離れることができていても、肉体上の束縛からは逃れられない状態にある…この状態を【有余涅槃】と言います。

完全な涅槃(さとり)とは、心だけでなく肉体の束縛を離れたところにある…それが【無余涅槃】です。

お釈迦さまは80歳で入滅され、無余涅槃に入られました。

死因は食あたりと言われています。
それは時に超人的なイメージを抱かせるお釈迦さまには不似合いな、あまりにも人間らしいものでした。

そんなお釈迦さまのご生涯を描いた、手塚治虫の『ブッダ』の映画が完成したようです。
その試写会に縁あって招待されていたのですが、都合がつかず断念。

とっても残念な気持ちを発散しようと、時期的な雰囲気に流されるまま、チョコのパウンドケーキを焼いてみました。

     

14日はバレンタインデーならぬ、涅槃会イブということで(笑)

究極の依り所

2011-02-14 01:51:25 | 法話のようなもの
土曜日のお経の会は、不安定な天気にも関わらず、ご参集をいただきました。

        

終了後は、暖かいお座敷でお茶タイム。

       

中心はやっぱり龍くん。
人見知りの龍くんも、毎月遊んでくれるお友達(笑)の顔は忘れません。


さて、今回のお経の会の法話は副住職でした。
御讃題は『正信偈』の五首目の御和讃です。


  清浄光明ならびなし 遇斯光のゆへなれば
       一切の業繋ものぞこりぬ 畢竟依を帰命せよ   
(浄土和讃)


だれもが何かを拠り所にして生きている。
それは仕事だったり、お金だったり、家族であったり、健康であったり…。
そういう拠り所のために頑張ることができるし、生活にも張りが出たりもする。
しかし、どんなに大切な拠り所であっても、それらと別れ分かつときが必ず訪れる。

トルストイの民話『人にはどれほどの土地がいるか』には、土地を拠り所とした男が描かれている。

日の出から日没までの間、出発点から歩いた内側の面積の土地をもらえるというウマイ話に乗った男は、ただひたすら歩き続けた。
日没までに出発点に戻るという条件だったが、歩けば歩くほど良い土地になり、なかなか曲がることも、引き返すこともでなくなってしまう。
だが、戻らなければ元も子もないと、欲張って遠くに歩き過ぎた自分を責めつつ、ボロボロになりながら必死に出発点を目指す。
男はなんとか日没に間に合って、広大な土地を手に入れたのだが…そこで息絶えてしまった。
そして男は、全身が入るだけの土地に穴が掘られ、埋葬された。

不動の土地という確かと思われた拠り所であろうとも、死の前では手放すことしかできない。
そんな不確かな拠り所を頼りに生きる私たちに、真の確かな拠り所を示してくださるのが、御讃題の御和讃にある畢竟依。

畢竟依とは「究極の拠り所」ということ。

煩悩の汚れのない、他に比べるべきものがないほど清浄な阿弥陀さまの光明に遇えば、罪業深く、苦悩の淵に沈んでいようと、その束縛から離れることができる。
その光を放つ阿弥陀さまを、本当に依るべき究極の拠り所として生きなさい。

この御和讃の解釈の通り、私たちが依るべき究極の拠り所は、死を前にしても手放すことのない、阿弥陀さまただ一仏のみ。
そして阿弥陀さまを拠り所とさせていただくということは、私たちが決して手放されることのないという、この上ない安心をいただくことでもあるのである。

合掌

雪化粧

2011-02-13 00:55:01 | 近況報告
         

金曜日は予報通り、雪が降りました。

積雪の恐れもあるとの情報もありましたが、幸いなことに積もる雪ではなく、すぐ溶ける雪だったようです。
それでも午後2時を過ぎると、一時的に勢いを増して、屋根を白く覆うくらいの積雪が見られました。

   

裏庭も薄化粧ではありますが、雪景色に変身です。

大雪になるかもしれないという情報を耳にすると、雪かきをしなくてはならないと少々うんざりな気分になります。
けれど、いざ積もらないとなると、これまた少々残念な気分になるものです。

こんな矛盾をはらんだ気分になるのは、降雪の少ない地域に住んでいるからなのかもしれません。



それとも、この子に雪だるまを作ってあげたかったからかな(笑)

前日の夜、住職は雪かきグッズを買いに行き、副住職は龍くんの雪遊び用の防寒グッズを買いに行ったようです。
翌日、どちらも残念そうにしていたのが、今年の雪の思い出になりそうです。

明日はお経の会…

2011-02-11 02:17:35 | 行事のご案内
明日は第二土曜日、常例のお経の会の日です。

しかし…雪ですね、予報は。
今日も雪の予報ですが、今現在(11日午前2時すぎ)はまだ降っていないようです。

どれくらいの積雪になるのか分からないので、開催の有無についてはハッキリ言えませんが、皆さんの安全が第一です。
当日の朝の状況から判断して、中止の場合はこちらのブログでお知らせします。
また、いつも参加して下さっている方々には、直接お電話でご連絡いたします。

朝から冷え込みが厳しいようなので、皆さま、どうかご無理はなさらず、お身体をご自愛くださいませ。


さて話は逸れますが、以前、投稿時間の遅さを心配してくださった方がいらっしゃいました。
確かに夜更かしではありますが、実は龍くんを寝かしつけるときに、ついつい一緒に寝てしまうので、夜の8時から1時間半くらいの中途半端な睡眠をとっています。

それからお風呂に入って、ようやく自分の時間が取れるので、ついつい遅くまで起きてしまうという悪循環に陥ってしまいました。
しかも、朝の6時前後に龍くんが起こしてくれるので、遅寝早起きのリズムが身についてしまったようです。

しかし今日は法事があり、朝から駐車場や墓地の雪かきすることになるかもしれないので、今から寝て体力を回復・温存したいと思います。


「早く寝なさい」と言ってくれる人がいるということは、もしかしたらスゴク幸せなことなのかもしれない。
それは誰かに気に掛けられている何よりの証拠であって、一人じゃないという温もりが感じられるから。
けれど、そういうことに気づかされるのは、大抵が言われなくなってからだ。
それでも、言われていたという記憶は、今なお私の心を温める。

そういう気づけなかった無数の温もりに、私は生かされているということに気づかされるのは、大抵が誰もが寝静まった夜更けであるということが、更に睡眠時間を減らしてしまう要因と気づいた、今日この頃です。

大銀杏の枝下ろし

2011-02-10 02:09:12 | 近況報告

少し前になりますが、月曜と火曜にかけて、境内の大銀杏の枝おろしがありました。


          

      長い脚立をかけて…             枯れ枝を払い落とすこの人がいるのは…

        ここです (汗)

カラカラになっている枯れ枝や、グジュグジュになっている枝もあり、払い落とせない太い枝はノコギリで切り落としました。

        

強風に煽られて、小枝がたくさん落ちてくることはありましたが、太い枝が落ちてきたら大変です。
けれど、これであと数十年は大丈夫という太鼓判をいただきました。

       スッキリです。

避雷針も調整し直し、またしばらくは気ままに枝を伸ばしてもらえそうです。
これからも、最乗寺と都筑の街を見守り続けてくださいね。

危険な作業をお引き受けくださった業者の方々、本当にありがとうございました。