友人が本を出版することになりました。
『絵ものがたり 正信偈 ひかりになった、王子さま』
本人による紹介文がこちらに載っています。
(→ http://www.merry-shaka.com/?eid=778#sequel)
…いやはや、スゴイですね。
テレビに出たり、本出したり、復興支援のためのカフェ作ったり…。
私の友人はアクティブなお坊さんに溢れています。(笑)
客殿の裏にある柿がたわわに実っています。
もう熟して落下してきていて、下はちょっとばかり悲惨な状況です。
なら、採って食べればいいと思われるかもしれませんが……。
柿の実は、高枝切りバサミでも届かない高所になっています。(汗)
私が小さかった頃は、まだ何とか届くくらいに実っていたので、祖父(前住職)が採る…というか、力技で捥ぎ採っていました。
それが気づけば、2階の窓より高いところに実がなるほど伸びていて、今は鳥が食べるのを見るだけになってしまいました。
高所になるだけに、手の届かない高級品みたいな感じですね。(笑)
今日から秋のお彼岸です。
「彼岸」とは、サンスクリット語で「パーラミーター」といって、「到彼岸(彼岸にいたる)」という意味があります。
友人はお彼岸を、
【此の岸(娑婆・まよいの世界)から彼の岸(浄土・さとりの世界)へ到る道を、自ら確認する時ではないか】
と味わっていると言っていました。
此岸から彼岸への道は、私が切り開いて作る道ではありません。
彼岸から此岸へと、阿弥陀さまのほうから延ばされている道なのです。
その道の上に、今あるということを確認する時。
それがお彼岸なのだということでしょう。
私自身もまた、確認するときにあるようです。
秋の寺報の締切りが迫ってきました。
過去、どんなことを書いていたのかを見直していると、2年前の秋号に「生前」という言葉についての記事がありました。
というわけで、どうぞ。(笑)
「生前」という語が日常会話に出てくることは稀ですが、例えば「生前はお世話になりました」などは、故人に代わってのお礼を言うときによく使われているので、それほど珍しくはないでしょう。
皆さんもいろんな場面で「生前」という言葉を耳にしたことがあると思います。
辞書によると、「生前」とは亡くなられた方の「生きていた間」のことを指しています。
しかし、「生まれる前」と書くのに、なぜ「生きていた間」という意味になるのか、不思議に思われたことはありませんか?
字のままを普通に考えれば、「生前」とは「この世に産まれる前」のことになってしまいます。
その場合の逆は「生後」であり、生後何ヶ月というように、この語は産まれた後のことを意味しますが、「生前」をこのような対比で考えると、どうしても違和感が残ります。
似たような考え方でもう一つ、「死後」という言葉があります。
これはそのまま「死した後」、つまり「亡くなった後」を指しますが、対比となる「死前」という言葉は存在しません。
けれど、「生きていた間」という意味を表すならば、この「死前」もしくは「生間」という言葉があると、聞く人に違和感を与えることなく伝えることができるのにと、つい思ってしまいます。
しかし、「生前」という言葉には、普段の私たちでは量り知れないほど大いなる意味が込められているのです。
では、その意味を簡単にまとめてみましょう。
人が亡くなることを、「往生する」とも言うことはご存知だと思います。
「往生」とは「往きて生まれる」ということ。
どこに往って生まれるかというと、阿弥陀さまの世界「お浄土」に往生するのです。
私たちは死んだらお墓の下で眠るわけではありません。
どこで亡くなろうと、どこに遺骨が納められようと、私たちは阿弥陀さまのお浄土に往き生まれ、自分や他人といった個を超えた差別(しゃべつ)のない世界で再び出遇うという、阿弥陀さまのみ教えの中に包まれているのです。
さあ、そろそろ見えてきたのではないでしょうか?
そうです、「生前」とは「お浄土に生まれる前」のこと、つまり今このときを指しているのです。
「生前」は「生後」や「死後」といった言葉との対比で考えるものではなく、この命の行く末が阿弥陀さまのみ教えに照らされ明らかになったところに「生前」という言葉があるのです。
往生するその前に、光輝くこの命が、何の光に照らされて尊く耀いているのかを知ろうとすることで、初めて「生前」の意味を受けとめることができるのではないでしょうか。
……ちゃんとしたことを書いていてビックリ。
あと1週間、頑張ります…。
先日、研修会のために築地へ向かう途中、建設中の見慣れない高ーーいビルが目の前に現れました。
場所は東銀座。
実はこのビル、建て替え真っ只中の歌舞伎座です。 (→http://www.kabuki-za.co.jp/)
正面は従来の歌舞伎座の外観を継承する造りとなっているようですが、その後ろで高層ビルと直結する形になるとのこと。
既に完成イメージ図を報道などで見ていましたが、実際に目にすると、高層ビルの少ない銀座の中で、その飛び抜けた高さにただただビックリしました。
十数年前に築地本願寺の仏教学院に通っていた頃から、築地のお隣にある東銀座は私のお散歩コースでもありました。 (主にダイエットのため・笑)
建て替えのために壊された前の歌舞伎座は、なんとなく狭そうで、人がゴミゴミしている感じが、前を通りかかる度に抱く印象でした。
それでも、それが重厚感のある建物になんとも合っていて、着物の人もいれば、行き慣れた雰囲気のある普段着の人もいて、正面で売られている天津甘栗の屋台も含めて、すべてが歌舞伎座に趣を与えていました。
今度の歌舞伎座は、屋上に緑の庭園、地下に大型駐車場、更には駅との直結。
その真新しさに最初は違和感を抱くこともあるのでしょうが、いずれ慣れて受け入れていくことでしょう。
前の歌舞伎座にだって、あの外観の右側部分にベトナム料理のお店が入っていたのですから。
このビルの光景が目に馴染んだころには、歌舞伎座も完成でしょうか。
お散歩が楽しみです。