先日、結婚したばかりの友人からの招待で、彼女のお寺にお邪魔して来ました。
鎌倉組のお寺さんで、築30年の本堂をお祖父さまが案内してくださるというサービス付き。(笑)
本堂は鉄筋で、1階が待合室、2階がお堂になっている、とっても広々としたものでした。
何より、お祖父さまが通信兵だったということで配線関係に強く、その知識を本堂の様々なところで実践に利用されていたのが印象的。
一番驚いたのが、正面のお焼香用の香炉の前に立つと、それをセンサーが感知して、自動的に香炉の中に設置した熱源の電源が入るというもの。
無人の本堂にいつお参りしても、きちんとお焼香ができるという勝れた装置でした。
歴史は800年以上と、最乗寺よりも古い古いお寺さん。
でも、そこに居続ける一人一人の特性で、長い歴史の上にその古さをも越えた斬新で新鮮な歴史を積み重ねていくことができるのだということを、体感してきたように思います。
木造の本堂の良さをもっともっと活かすための、新しい「何か」を模索したいと思う良い刺激をいただきました。
「冬」の寺報の表紙写真を撮ると言いながら、相変わらず「秋」な写真を撮っています。(笑)
でも、屋外で冬を撮るには、まだまだ早いことをようやく悟りました。
冬至にも半月以上の間がありますしね。
先月に行った箱根では紅葉する前の光景しか見られませんでしたが、境内でも色付いていく木々を十分に観賞することができます。
それがどれほど有り難いことであるか分かってはいるのですが、ついつい忘れて他所の紅葉を見たくなるのが常のこと。
見慣れてしまうと、それが当たり前になってしまって、最初の感動が薄れてしまうものです。
美しいものも、美しいと感じることができなくなります。
きっと、いろんなものに慣れて、いろんなものを当たり前にしてきているのでしょう。
他人の好意も善意も、自分の悪意も悪行も、慣れてしまえば当たり前のものになり、感謝や慙愧の心も、どんどんどんどん薄れていく。
だから立ち止まる瞬間が必要なのだと思います。
立ち止まった瞬間、改めて周りを見て感動することがあるように、当たり前としてしまったすべてのものが、当たり前ではないことに気づけるご縁がきっとあるはず。
たぶん、他所の紅葉を見ることが、私にとって境内の紅葉が「当たり前」から「有り難い」に変わるご縁なんじゃないかなと思ったりします。
…とかなんとか、もっともらしいことを言っていますが、一番の理由は「自分で掃除をしなくていい紅葉を見たいだけ」だったりして。(笑)
気がつけば12月。
師走の月になりました。
そろそろ冬の寺報の季節でもあります。
とりあえず、表紙候補になりそうな写真を適当に撮っていくことにしました。
そのうちの気に入った1枚がコチラ。
うん、「冬」っていうより「秋!」って感じかな。(笑)
もうしばらく、カメラ片手にさ迷ってみることにしますね。