週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

御正忌報恩講法要

2013-01-10 22:38:29 | 行事のご案内

現在、京都のご本山では御正忌報恩講法要が営まれています。

    本山HP   http://www.hongwanji.or.jp/news/info/19116.html

親鸞聖人のご遺徳を偲び、751回忌にあたる御正忌報恩講法要が9日逮夜(たいや)から16日の満日中(まんにっちゅう)まで7昼夜、28座にわたり本山・御影堂で営まれます。

親鸞聖人のご祥月(しょうつき)命日を縁に1週間営まれる本願寺最大の年中行事。

期間中、全国から僧侶・門信徒が多数参拝し、聖人のご遺徳を偲ぶとともに浄土真宗の信者としての自覚を新たにします。

皆様のご参拝をお待ちしております。     (HPより抜粋)

 
 
といっても、京都までお参りに行くのは難しい方も多いはず。
ですが、現在はインターネット中継で法要の模様を拝見できますので、パソコンや端末でアクセスしてみてください。
 
    法要中継   http://webtv.hongwanji.or.jp/html/n1c6.html
 
中継内容の日程もありますので、合わせてご覧ください。
 

巨大雪だるま現るっ!

2013-01-08 21:46:01 | ひとりごと

     


新潟県にある友人のお寺に、大きな雪だるまが出現しました。(笑)

なんだかスケールが違いすぎますね。
間にすべり台まで付いていて、子供たちが本当に楽しそう。
私からしたら、とんでもない降雪に途方に暮れてしまうような状態でも、遊び心いっぱいに楽しんでしまう友人一家がとっても眩しく映りました。

さて、今年は横浜でも雪だるまが作れるくらいの雪が降るかしら?

     

ちなみに、こちらは2年前の雪だるま。(坊守作)
首のくびれが何だかセクシィですね。(笑)


八重の桜

2013-01-06 22:06:38 | ひとりごと

大河ドラマ『八重の桜』がスタートしました。 (http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/

       

メインポスターのコピーには「この時代、咲いてみようじゃないの」と、最後に小さなピンクのハートマークが付いています。

視聴者ひとりひとりが主人公の八重のように、「どんな時代であろうと力強く悔いなく生き抜いてみようじゃないの!」と思ってほしいという思いが込められているコピーだそうです。

「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた新島八重は、戊辰戦争時に断髪・男装をしてスペンサー銃を手に奮闘した女性です。
今回の冒頭のシーンは、ちょうどその戦いの最中のシーンでしたが、八重がスペンサー銃で闘う姿は決して雄雄しくなく、凛々しくありました。

男勝りと称されながらも、女性として動乱の時代を生き抜いていく綾瀬はるかさんの八重の姿に、「」が相応しく感じました。

「ならぬことは、ならぬものです」

今後が楽しみです。


寒い朝

2013-01-04 21:25:14 | ひとりごと

三が日も過ぎ、お参りに来られる方も少ないと思って、今日は朝から龍くんと駐車場で遊ぼうと外に出てみると…。

      

霜柱がありました。
時間は10時前、お日さまも出てあったかかったので、ちょっと予想外でした。

      

霜柱を見ると踏みたくなるのが子供の必定なのでしょうか。
小さい頃の私と同じように、龍くんもせっせと踏み潰していました。

本当は、私も踏みたかったのですが……、ちゃんと龍くんに譲りましたよ。
きちんと大人になれていたようです。(笑)


機縁

2013-01-02 21:52:13 | 法話のようなもの

       

今日も抜けるような青空に恵まれた一日でした。


午前中、お年賀のご挨拶にとお越しくださったご門徒さんが、こんなことをおっしゃいました。

「歳をとったから、お参りに来るの。 若いときは来なかったからね。」

同じお坊さんでも、聞く人によっては「それではダメだ」とお説教を始めてしまうような言葉です。
でも私は、とっても素直な言葉だと思いました。

お参りをすることは、確かに大事です。
我が身を振り返えったり、自分主義に走ることを諌められたり、無量のつながりの中での一つの点として支え支えられていることに気づかされたり。
ご先祖さまを縁として、阿弥陀さまのみ教えを聞かせていただくのに大切なのが、お寺にお参りすることだと思います。

ただ、「機縁」という言葉があります。

仏教語で「根機・因縁」の略で、「仏の教えを受けるものの素質能力(根機)と、仏の教えに触れる原因条件(因縁)の両者が熟して、初めて仏の衆生教化があるとされる」という意味です。

一人一人、機縁は異なります。
きっとこのご門徒さんは、「歳をとった」ということが機縁となったのでしょう。
どのような人生を歩まれたのか、その喜怒哀楽の日々はご本人の胸の内に大切にしまわれているのでしょうが、その日々の末にお寺へとお参りに来られるという今があるのですから、歳をとることも素敵なことだと思いました。

み仏の願いに触れる機縁は、いつ終わるともしれない命を生きている以上、早ければ早いほうが確かに良いことだと思います。
でも、遅いことを否定するものでは決してありません。

ただ私たち僧侶は、どなたにも、いつ熟すか分からない機を逃してしまわれないように、常にみ教えをお取り次ぎしていかなくてはならないのだと、改めて肝に銘じさせていただきました。