昨日は、昨年にお亡くなりになりました、漫画家の国友やすゆき先生をしのぶ会で、銀座の「遊樹」にたくさんの漫画家の先生や出版社の方が集まり、私も呼んでいただき参加しました、、。私は、20年以上も前に、まだ先生の奥様のお子さんができる前に、奥様と、当時の漫画家の仲間と、オーストラリアの旅にご一緒させていただいたことがあります、当時はまだ景気がよかったので、グレート・バリア・リーフのリザード・アイランドという島を貸し切りでバカンスをしました。私は飛行機に乗ったのが初めてで、サンゴ礁やゴルフコースを見たのも初めてで、何もかもが今も昨日のことのように覚えています、その明るい光の中で、当時漫画家で駆け出しだった私にとり、国友先生はメジャー出版社で執筆されていて、太陽のような存在でした。とても明るくて優しくてまじめ。奥様もとても明るくて、ちょっと決まり事からはみ出すタイプなのが似ていて。だから奥様とはそのあともずっと連絡を取り合っていました。
訃報は去年の九月、
パリにいたとき。奥様から、、、。本当にびっくりして、異国で何もできないのがつらかったです。
私はその後忙しくなりやがて病気になり、、すこし間遠になってしまった奥様とは、、それからしょっちゅうまた連絡を取るようになりました。。。『タロちゃん、タロちゃん(私は当時そう呼ばれていました)」と電話をかけてくれて、コンサートにも来てくれるようになり、、。昨日も呼んでいただきました。
国友先生をしのび、早稲田の漫画研究会から一緒だったという弘兼憲治先生やドラゴン桜の三田先生、高橋留美子先生もいらして、、漫画家として、一人の人間として、国友先生がどれだけ愛されていたかわかるにぎやかな会でした。奥様も「いつまでも泣いていても仕方ない」と、沢山カラオケをお歌いになり、若者たちに囲まれて慰められているのを見て少し安心しました。私も「タロちゃん、歌って」と言っていただいたので、ジャズからカラオケから、オペラまで(💦)歌わせていだたきました。
弘兼先生があいさつをなさり、「俺もいつ逝くか、わからないし」なんておっしゃいますが、みんな「いや、先生だけは死なない」と思ったと思います、、。死なれたら困ります。
でも、人生は長いようで短いですね。漫画家は仕事が辛いし、互いに遊び歩いている時間はないので、互いの作品を見て、親しくなります。数回しか会っていなくても、作品見ていると親しくなっていくんですね。私も10年も雑誌連載はしていないので忘れられたと思っていましたが、多くの方が声をかけて下さり、ファンだと言って下さり、(+_+)しました。
互いに会えないから、互いの作品を見て安否を気遣い、会った時は本当に優しくしてくれるんです、、。作品の力さえあれば縁故関係なく生きていける世界なので、とてもフェアでいじめなんか経験したことがありません、、。本当優しくて努力家な皆さんと時代を共にし、こんな時間をともにできたのを本当にありがたく感じました。
それももともとは国友先生とその担当さんが作ってくれたご縁です。その担当さんももうすぐ退職と伺い、感無量でした。私もあとどれだけ表現できるのか、、残りの時間を精一杯表現に振り向けたい。でもバランスが大事です、体をまた壊さないように、、。
数年前、いわしげ孝先生もお亡くなりになり。また一人大きな山が失われてつらいですが、私たちにできることはつなげていきたい。私は先生方ほどには漫画の才能がないと思いますが。こういう優しいつながりの伝統は守りたいと思いました。。。
漫画協会の方もいらして、里中満智子先生のお話しでも盛り上がり、、。バロン吉本先生や、ちばてつや先生にも私はどれだけ勇気づけていただいたでしょう。私も若い人たちにそういうことがで来るようになれたらと思います。
私の隣の席にいた、国友先生のお嬢様が、高橋留美子先生に犬夜叉の絵入りサインを頂いていました。いいな!
そういうのを力にして、頑張ってね。奥様も、またカラオケをして遊びましょう、そういう時間を作るようにしますから、また遊びましょう、沢山仲間と遊んで、頑張って、、いつかはみんないなくなるけど、、若い人たちにこんな仲間で支えあう伝統がつながっていけば大丈夫、、。いまはやっと少し漫画を再開して描き始めたばかりですが、私は漫画の世界に足を踏み入れて迎えていただくことが出着て本当に幸せだと思いました。
今年、来年は絵画を中心に創作しますが、漫画は辞めずに続けて、まだ代表作がなく、納得していないので、それについてはやはりあきらめずに挑んでゆきたいとおもいました。
国友先生のご冥福を心からお祈り申し上げます、、そして、遠い未来向こうの世界でまたみんなで遊べることを信じて、私たち残ったものは精一杯毎日と、仲間を大切にしたいと思います、、。皆さん、ぜひ国友先生の作品を見つけて呼んでいたけましたら幸いです、漫画にかけた国友先生の情熱は。作品として今もちゃんと生き続けています、、