Diary Of 酒田の人

田舎住まいの60代サラリーマンの趣味の日々

鳥海あざみ

2023-11-10 21:27:12 | 日記
今日の酒田はずっと雨で、しかも夕方からは風も強くなりました

さて、「鳥海あざみ」というのは鳥海山の固有種のアザミで下向きに花をつけます。(画像は借り物です)
今回話題にするのはこのお花ではなく、わが母校である酒田工業高校の生徒会誌の「鳥海あざみ」です

画像は第15号となっていますが、ワタシは高校時代14号と15号の編集に参加しており
さしてなにもなにも残せなかった高校時代に唯一残したものでもあります。
この蝶をデザインした表紙はワタシの同級生が描いたもので、表紙裏に一文を寄せています。
さて、この「鳥海あざみ」第15号が発行されたのは昭和52年の春で、その数か月前の昭和51年10月29日に酒田大火が発生しています。
当然、この生徒会誌でも下記のような表紙を付けて取り上げておりました

記事の内容によると、生徒13名と教職員2名が被災しており、生徒のうち2名はワタシの同級生
さらに教職員のうちの一人はワタシのクラスの担任でありました。
で、この記事にはワタシもいくつか文章を書いているんですが、今見るとえらく恥ずかしい内容なので
被災した教職員の寄せた文章の一部を紹介したいと思います。被災した当事者にしか書けない緊迫感が伝わる文章です。

私が、学校を終え、家に帰ったのは、午後五時十五分頃でした。
やっと落ち着いた思ったら、火事だ!!と叫んで騒いでいる人や消防車のサイレンの音が外から聞こえて来た
この台風のような日に何処だろう?と思って、懐中電灯を手に外に飛び出た。
空は、かすかに赤くなっていた。街の人々は、皆、道端で狼狽している。火元は?と思い、私は道路沿いに走った。
・・・市街地のド真中、映画館グリーンハウスが燃え、繁華街は煙でむせるほどであった。
火元と私の家までは距離にして450m足らず、直ぐに引き返して家に戻った。
風は増々強く荒れ狂っている。このとき不吉な予感がした。直ぐに家の裏の土蔵の屋根にホーキを持って上がった。
紙くずの燃えたような白い布が、どんどん飛んでくる。まるで雪が降るような光景であった。
空は夕焼けのように真赤である。しかし、それが次第に少なくなり、白煙が立ち上り、次に真っ黒い煙に変わったので
「消えたかなあ・・・酒田の消防もなかなかやるものだ・・・」と思ったのだが
それもつかの間、今度は炎が立ち上がり見る見るうちに広がっていった。

次回へ続きますが、思えば昭和51年10月29日も風の強い金曜日でありました。